2008年3月28日金曜日

今週の倫理 (552号)より 「活力朝礼」でヤル気集団になる

経営不振、倒産の危機に陥っている企業を見ると、その原因の根っこの部分は共通しています。赤字が続き、不良債権を抱え、借入金が減らないという三重苦に悩んでいるのです。このような事態を解決できるのは、トップである社長以外にはありません。社員の心に火をつけ、やる気を引き出し、社内を明るく一変させていくことです

現在の社風や企業風土を生まれ変わらせる一助として、「活力朝礼」の導入をお勧めします。すでにお手元に届いている『倫理ネットワーク』№71号の「今こそ本気! 活力朝礼で己を変える」を参考に推進するとよいでしょう。

朝礼には、企業の社風、社員の質などが表われます。まさに朝礼は企業の縮図といえるのです。職場朝礼を活力あるものに創造することでヤル気集団が生まれてきます。

 A社では来店されるお客様に、明るい元気な挨拶をまったく行なっていませんでした。しかし「活力朝礼」を徹底するようになって以来、挨拶・返事・笑顔の基本トレーニングの成果がすぐに出てきました。お客様が玄関を入ると、受付係が「いらっしゃいませ」と明るく笑顔で迎えます。懇切丁寧な対応は社内の随所で見られるようになり、お客様に喜ばれる会社に変わっていったことは言うまでもありません。

 お客様にとっては、たった一度の挨拶なのです。応対する社員の誠実な挨拶だけが、お客様の心に刻み込まれるのです。「本気」の挨拶・返事だけが社内の空気を変えることができるのです。
笑顔一つ毎朝の朝礼でトレーニングできない人が、お客様の前で実践できるはずがありません。とくに朝の

「おはようございます」という明るい挨拶がまともにできない会社では、大きな発展は望めません。朝一番の挨拶は活力の交換なのです。そこから活気に満ちた一日がスタートします。
朝礼は貴重な人材育成の場ともなります。「継続は力なり」の心で続けていくところに、本当の力が身についてきます。毎日続ける朝礼だからこそ、やり方次第で社員は急加速で成長し、伸びていきます。
B社では、職場の人間関係がギクシャクして、売り上げも上がらず、倒産の危機も囁かれましたが、「活力朝礼」の実践によって見事に立ち直り、社会が必要とする会社として健全な繁栄を実現しています。朝礼で、社是・社訓・実践の心得を全員で明るく大きな声で唱和し、広く社会にとって有用な存在になることを目指したのです。

「わが社をすばらしい会社にしよう」という目標に向かって、社是・社訓を唱和する中で職場の連帯感は生まれ、「ヤル気」集団となっていきます。朝礼を通して、経営理念や行動指針などの価値観の共有化を図ることが肝要です。職場の一員として、どのような局面に立たされても、常にお客さまの立場に立つことを最優先に考え、それぞれが個性を活かし、イキイキと働くことができるかどうか。そこに社の未来がかかっています。
当たり前のことをやり続けるところに、大きな意味があります。朝礼も仕事の一貫と捉え、活力朝礼に磨きをかけて、日本一の会社を目指していきましょう。

2008年3月25日火曜日

3月18日 モーニングセミナー 「車作り(英国車)の精神を通して」


本日のモーニングセミナー講師は、日本ロールス・ロイス&ベントレーオーナーズクラブ会長の和田篤泰さん。

クルマ好きの会員が多いせいか、ゲストを含めて37社38名の出席と近年稀に見る高出席率のMSでした。

講演の内容は、クルマ談義に終始するかと思いきや日本人と英国人の国民性を比較したお話が多く、人とクルマの関わりという切り口から、日本人はもっと精神的に豊かにならないといけないんじゃないだろうかということを改めて気づかせていただくことができました。

自分の価値基準でクルマを選び、多少の欠点は「あばたもエクボ」と気にせず、愛情を注ぎ込む英国人と
カタログデータやら使い勝手の良さでクルマを選び、数年経てばドンドン新車に買い換えていく日本人という
国民性の違いもあるが、自分たちオーナーズクラブのメンバーは、1台1台丁寧に作り上げられた英国車を
「先人の築き上げた遺産」として次の世代に受け継いでいかなければならないと思っているとのことでした。
このこだわりというものが人間の深みを増していくことにもつながっているんだろ~なと思いました。

また、ロールス・ロイスという特別な車で注目される存在であることから、交通安全や町おこしなど地域に
人を呼び込むイベントに参加しながら、地域社会に貢献していく活動もされているとのことでした。

ライオンズクラブに永年在籍しながら様々な活動をされている中で、モーニングセミナーという勉強会スタイルを過分にお褒めいただき、「実るほど頭をたれる稲穂かな」という大変謙虚なお人柄に皆が魅了されていました。


朝食終了後には、ホテル前に止めていた100年近く前のロールス・ロイスを惜しげもなく会員の試乗会に解放していただき、試乗を希望した参加者全員を乗せてホテル周辺を一周していただきました。

何となく「ロールス・ロイス」というと敷居が高く取っ付きにくい印象ばかりだったのですが、その敷居を自然体で下げて招き入れてくれる和田会長のお人柄に参加者の皆さんが感動し、清々しい朝を過ごし気持ちの良い一日のスタートを切ることができました。

2008年3月21日金曜日

今週の倫理 (551号)より 錯覚の愛情

 私たちの多くは「愛情がすべてを救う」と信じてきましたし、それが家族の絆であると思ってきました。ところがここ数年、愛情豊かなはずの親に育てられた子どもたちが起こす問題は、この常識に警鐘を鳴らしています。これまで「子どものため」「欲しがる物を与える」などの行為を愛情だと思ってきたものが、はたして正しかったのか、錯覚ではなかったのか。私たちは強い反省をするべきではないでしょうか。

 T社長は、一人息子のS夫に、愛情をいっぱい注いできたつもりでした。暇をみては遊んでやり、欲しがるものは何でも買い与えました。これに答える形で、S夫は明るく伸び伸びと成長し、成績はいつも上位でした。ところが高校二年生になって間もなく、学校からの帰りが遅くなりはじめ、ついで遅刻や欠席が目立つようになりました。当然のごとく成績は落ち、学校から呼び出しを受けるようになったのです。

 そこでT社長はS夫と話し合いましたが、結局「バイクを買ってくれたら早く帰る」との約束で終わりました。しかしS夫の生活が改まったのは、せいぜい半月ぐらいでした。元の木阿弥どころか、バイクを通してさらに悪化していったのです。T社長は、今度こそは体罰も辞さずの心境で、帰りを待ちました。ところがS夫の顔を見ると、〈家出されたら〉という不安が先にたち、厳しい言葉など何も出てきません。

 倫理法人会のセミナーに参加した折り、講師に自分の不甲斐なさを相談しました。講師は「息子への愛情の錯覚は、自らの父親への不満の裏返しです。貴方は十五、六歳頃に、お父さんを激しく恨んだことがあるはずです。そのために、その年頃になった息子に、父親としての自分を示せないのです」と指摘されました。

 確かにT社長は、高校卒業後の進路について父と激しく衝突し、父の「今日限りで勘当だ」との声を背に、家出同然に上京しました。苦学を重ねて大学を卒業し、日夜働いてお金を貯め、現在の会社を設立したのです。やがて経営も順調となり、父親より十数年ぶりに勘当が解かれ再会できたものの、胸の奥のしこりは残ったままでした。

 T社長は帰郷し、年老いた父の前に座り、恨んでいたことを詫びました。父親は「勘当せずには、上京を受け入れられなかったし、また背水の陣で頑張ってほしいという願いもあった」と話してくれたのです。母親からも、「父さんは毎日仏壇の前で、あんたの無事を祈っていた」と聞き、やっと親の愛を自覚することができたのです。

 早速T社長は、S夫に親としての毅然とした態度を示しました。以来S夫中心だった家庭が、夫婦中心へと変わったのでした。それからのS夫は、生活姿勢もすっかり改まり、無事に高校・大学を経て、父親の会社で元気に働くようになったのでした。

 私たちはともすれば、自らが親に求めて得られなかったことを、自分の子どもに施すことが愛情であると錯覚しがちではないでしょうか。親への感謝なくして、「優しさは甘やかし」となり、「厳しさは押しつけ」にさえ子どもには映ることでしょう。子どもに対する愛情は、自らの親への恩意識をもってはじめて伝わるものなのです。

2008年3月14日金曜日

今週の倫理 (550号)より 目や耳を磨かなければチャンスは逃げていく

 経営コンサルタントの中村氏が駆け出しの頃、関西のとある料亭に頼まれて社員研修に出向いた時のことです。
 料亭の社長をはじめ二十数名の社員を前に、中村氏は「人はどう生きねばならないか」について、声を大にして話を進めていました。話の半ばあたりで、黒衣を身にまとった小柄な老僧が静かに部屋に入ってきて、末席に座りました。一瞬、中村氏は老僧に目を奪われたものの、前にも倍して声を張り上げて話を続けました。

 話が終わった後、後方にいた老僧が「そこの若い人、ちょっと…」と言って、手招きをします。中村氏が「何かご用ですか」と問うと、「若いの、元気があっていい。気に入った」と言葉をかけ、「何か一筆書いてやろう」と言うのです。氏は、どこの誰だかも分からない老僧の書など欲しくもないので、「お気持ちだけで結構です」と断わったところ、料亭の女将が「先生、書いていただきなさい。老師はめったに自分からお書きにならないのですから」と言います。結局、墨と筆が用意され、三枚の条幅を書いてもらいました。

 中村氏はその後、中国地方から九州にかけて一週間ほどの旅が続いたため、三枚の条幅が邪魔で邪魔でたまりません。そのため書画・骨董の好きな知り合いの社長をつかまえて、この三枚の書を押しつけるようにして渡しました。以後、この老僧のことも書のことも、すっかり忘れていたのです。

 ある日のこと、中村氏は『白隠禅師和讃』の一文を調べなければならぬ用が起き、神田古書街で三冊の本を求めました。その本に目を通していた時のことです。著者の顔写真の頁に、どこかで出会ったような人物が載っているのです。氏の記憶が徐々に甦ってきました。関西の料亭で出会った黒衣の老師です。初対面にもかかわらず声をかけ、三枚の書をくださった老師です。一気に本を読み、著者の経歴を確認すると、まさに唸るような高名な人物ではありませんか。

 手放した三枚の条幅が頭の中をグルグルとめぐり、中村氏はかの料亭の女将に電話を入れました。「老師が今度お越しになられた時、わがままを申し上げますが、一枚お書きいただけないかとお願いしてください」と。しかしその後、中村氏のもとに老師の書が届けられることはありませんでした。

 人は同じものを見ても、同じ話を聞いても、同じものに触れても、それを見た人、聞いた人、触れた人によって、大きな差が生じるものです。見たものの本質が見えない人、聞いてもその奥に潜むものが聞こえない人、触れても何も感ずることのできない人…。

「自分は生まれた星まわりが悪く、今までの人生を振り返っても良いことは一つもなかった」と嘆く人がいます。本当に運が悪かったのでしょうか。山ほどのチャンスがこれでもかこれでもかと押し寄せているにもかかわらず、チャンスをチャンスと見る目がないために、自分の手で伸びる芽を摘んでしまっていたのではないでしょうか。

 もっともっと目や耳を磨かねばなりません。そのためにも、ふんわりと柔らかで何のこだわりも不足もない澄み切った心を持ち、日々自分と正面から向き合い、人間力を高めていきましょう。そして身の回りにある多くのチャンスをものにしていこうではありませんか。

2008年3月7日金曜日

今週の倫理 (549号)より トップの二つの目

 景気が好転してきたとはいえ中小企業にとっては、厳しい状況が続いています。そのような中、ここ数年、企業の品格を問われる不祥事は枚挙に暇がありません。

企業は利益を上げなければ生き残ってはいけませんが、品格を失くした経営が、様々な弊害を及ぼし問題となっているのです。今企業は、利潤を追求すること、品格を高めていくことを併せ持ちながら、いかに永続的に繁栄していくかが問われています。

 では、企業が品格を劣化させてしまうのはどのようなときでしょうか。創業時は、しっかりとした経営理念があっても、事業が軌道に乗り、成功を重ねていくうちに傲慢な心が頭をもたげ、次第に志が失われていくケース。或いは、事業が窮地に追い込まれ、苦し紛れに道を外れていくケース。企業が目指すべき指針を見失い、利益を上げることのみが目的となってしまったり、間違いがあっても指摘できない「なれあい集団」に陥ってしまえば、品格はたちどころに地に落ち、その組織に明るい未来はなくなってしまうでしょう。

これらは、神ならぬ人間であれば陥りがちなことです。だからこそ経営者は、眼前のどのような状況にも「ぶれない心」を練り上げていくことが肝要なのです。それにはまず、経営者自身の志に裏打ちされた「我社が目指すものは何か=経営理念」を明確にすることが大切です。そして順境のときも逆境のときも、原点に帰るのを忘れずにいることでしょう。

大丸の創業者・下村彦右衛門は事業理念に、「先義而後利者栄」を掲げました。荀子の栄辱編の中にある「義を先にして利を後にする者は栄える」から引用したもので、「企業の利益は、まずお客様・社会への義を尊び、信頼を得て、はじめてもたらされる」という意味です。「世のため人のために」を企業の品格の根幹としているのです。それが組織の中に浸透していけば、その精神は社会にも社員の心にも響くでしょう。社会からの信頼は、働く人たちの働き甲斐や誇りを支えるのです。

 こうした企業としてのあるべき方向性を見つめる目をしっかりと持ち、経営者の「ぶれない心」をはぐくむには、もう一つの目が必要になります。それは自分を見つめる目、すなわち自己客観力を高めていくことです。創始者・丸山敏雄は、己を客観的に見る法を次のように説きました。

たとえ苦しみの原因はわからなくても、平気で楽しんで―といっても、なかなかむずかしい事が多いが―これを迎える心でいると、間もなく苦痛は消えてしまう、夕立の晴れるように。といっても苦痛は、なかなか喜べるものではない。それは、自分本位であり、己にとらわれているからである。苦痛のただ中にとざされた時は、その中からぬけ出して、外から自分の姿を心を、静かに眺めてみるがよい。
(『人類の朝光』六~七頁)
 
予断を許さない経済状況が続く中で、「企業が進むべき方向を見つめる目」、そして「自身を客観する目」、この二つの目に磨きをかけつつ、あらゆる物事を「これがよい」と受けきっていくとき、活路を拓く入り口に立つことが出来るのではないでしょうか。