2008年5月30日金曜日

今週の倫理 (561号)より 心に正直に生きる時思わぬ力を得る

 経営コンサルタントの中村氏が駆け出しの頃、出会った人物の一人にО氏がいました。初対面の時から、このО氏には中村氏は驚かされ続けでした。

 О氏と中村氏が出会った時、まずは氏の挨拶に違和感を覚えました。お辞儀はお辞儀でも、頭を下げないお辞儀だったからです。膝だけを曲げて「コンニチハ」です。

見ていると、誰に対しても頭を下げず、膝だけを曲げる挨拶をしています。見るに見かねた中村氏が「Оさん、挨拶というものは相手に敬意を払うものだ。頭をわずかでも下げるものだよ」と言ったところ、О氏は
「自分は六十年以上このスタイルを通してきたので、誰が何と言おうと今さら変える気はありません」と言い返しました。

 その後、会うたびにО氏には驚かされっぱなしです。ある時、地元の警察署長を呼んで講演会を開催することとなり、О氏は進行役として大いに張り切っていました。講演が始まると、どこからか一匹のハエが紛れ込んで、署長の周りを飛び回り始めたのです。原稿の上に止まったり頭に止まったりで、署長も手でさりげなく追い払うのですが、ハエはなかなか壇上から離れようとしません。

すると、進行役のО氏が突然ノートを丸めて壇に上がり、演台の角に止まったハエを叩いたのです。中村氏は、今まで色々な所で講演をしてきましたが、後にも先にも、進行役がハエを叩きに壇上に出てきたのはО氏だけです。

 署長もハエ叩きに驚いたのか、その後はヤル気が萎えたようで、予定より早めに壇上を降りてしまいました。中村氏は署長と聴衆の皆さんに申し訳なく、О氏を厳しく叱りましたが、О氏はいっこうに堪えた様子も見られません。

 ある早朝のこと、鍵当番のО氏が遅刻して来たときのことです。遅れてきたО氏は明るい声で「待ったー?」と言った後、「待つのも勉強」と言ってのけたのです。さすがの中村氏も、もう叱る気も起きませんでした。

 とにかく会うたびに驚かされるО氏の言動でしたが、不思議とО氏を取り巻く人々がО氏の批判めいた言葉を口にすることはありません。それどころか、時には「Оさんは立派だ」と褒め称える人までいたのです。というのも、もともとО氏は大変な資産の家に生まれ、本来であればその資産を受け継ぐことができましたが、「坐って半畳、寝て一畳あればいい」と、その資産をすべて町のために寄付したのです。そのお金で、多くの貧しかった子供たちが勉強の場を与えられたといいます。

 中村氏は、О氏のマナーの悪さと資産すべてを投げ出した両面のギャップに戸惑いましたが、彼の持つ奔放さと明るさは、金も常識も、そして恥さえも捨て切ったところから来ているのだと理解しました。

「人は褒められて一物も得ず、腐されて一物も失わず」という言葉があります。人間は自分の心に正直に生きる時、思いもしない力が湧き起こるといいます。大らかな心で、今という一瞬を精一杯生きましょう。

2008年5月23日金曜日

今週の倫理 (560号)より 知ってることはやらなきゃ意味ない

四月に入社した新入社員も、一カ月を経過して、少しずつ職場の雰囲気にも慣れてきたころではないでしょうか。
音楽情報サービスのオリコンがインターネットを利用して、二〇代、三〇代、四〇代の男女各一五〇人、合計九〇〇人を対象に「新入社員に対して求めたい力」というアンケート調査を行なったところ、第一位には「挨拶力」がランクしました。

技術的な能力よりも、人としての基本的な能力といえるものが一位となったところに、深く注目すべきでしょう。続く第二位は「行動力」、三位は「人間力」となっており、《どれだけ仕事ができるか》よりも、《人として当たり前のことができるか》が必要であるという結果です。

しかし、これは見方次第では「社会人となる年齢になっても当たり前のことが出来ていない」からこそ「求めたい力」となっているともいえるでしょう。

さらにもう一歩突っ込んだ見方をすれば、「当たり前のことが出来ない新社会人」を生み育てたのは、他でもない「求めたい力」として回答した、いや、もっと上の世代をも含む「人生の先輩たち」であるという事実が浮かび上がります。

戦後復興の中、わが国は物の豊かさを追い求め、心の部分をどこかに置いてきてしまいました。人としての基本的な能力よりも、試験をパスするための学問(技術)を詰め込まれ、いわゆる良い学校、良い会社に入ることが、豊かな生活への入り口だと信じてきたのです。

確かに生活は豊かになり、多くの物やサービスを手にすることが出来るようになりました。ただ、その半面、失われたものの数は計り知れず、たとえば倫理や道徳などの範疇に含まれるものは、もともとが目に見えないものだけに、何を失い、何を取り戻さなければならないのかが実は分からないという、非常に厄介な状況に陥っています。その改善策として、冒頭で紹介した「求めたい力」の調査結果は非常に有効なものと考えられます。

どうやら「挨拶力」という基本的な部分が大切であるという点は、多くの人が分かっているようです。ただ、分かってはいながらも「行動力」が伴わず、挨拶を交わすことが少ないので、コミュニケーション能力である「人間力」も欠けてくる、という図式になるのです。

答えは簡単です。要は、正しいと思っていることを「行動」に移すだけです。机の上で分かっていることも、動いてみてこそ初めて意味を持つのです。

今や義務教育以上の就学率は、中等教育(高等学校)で限りなく一〇〇%に近くなり、中等教育卒業者のうち二人に一人は高等教育(大学・短大・大学院)へ進学する時代です。この数字と世相を見比べれば、必ずしも知識の高い人が世の中を良くするとは言えないようです。

世の中を良くしていくのは、最後は一人ひとりの「行動」です。「挨拶をする」「ゴミを拾う」「ポイ捨てをしない」など、日常の中にある当たり前のことを、当たり前にできる社会の一員として、世の中に貢献したいものです。

2008年5月20日火曜日

5月20日 モーニングセミナー 「徳の自覚」



昨晩の倫理経営講演会のあと、続いて那須先生にご講話いただきました。
本日は朝から嵐模様で参加するのも一苦労ですが会員のみなさんはものともせず参加しています。

先生は、倫理研究所でいう「徳」とは原因のことを指している。といいます。

原因と結果、因果で言うと因の部分の自覚が重要です。

人は現在を生きていて、これからどうするか。といった未来に対しては行動をおこすことが日常的に誰もが行っています。
一方で過去は変えられないから、過去のことは関係ないと考えがちです。

ところが、今の自分は過去(両親や祖先など)があるから今があるわけですから、原因となることをないがしろにしてはいけないのはもちろん、自らの親を通して祖先を自覚し、自分は多くの支えがあって今を生きていることを知りましょう。という講話でした。

2008年5月19日月曜日

平成20年度倫理経営講演会 日本創生の心 ~家族~



今日は、横浜市中央倫理法人会の年中行事、イブニングセミナーに、講師として倫理研究所研究員、那須隆さんをお呼びしてご講話いただきました。

鍼灸師でもある先生は、男性の肩こりは比較的簡単に直せると言います。

男性の場合、食べ過ぎ飲み過ぎ、仕事のしすぎ、この・・すぎを少し控えて、不足しているもの
(たとえば、睡眠や休暇など)を補ってあげれば男性の肩こり腰痛はたいていすぐに良くなってしまいます。
ところが女性の肩こりはそうはいきません。
これを直すのに一番いい薬は、ご主人の悪口を辞めることだそうです。

私のお話ししたとおり、料理を一品増やすとか、ちょっと優しい言葉をご主人に掛けるなど、ほんの少しでいいから家庭を顧みて、喜ばせてあげてみてください。。。。こういうとなかなか実践していただける方は少ないのですが、10人中1,2人は実践していただける方がいらっしゃいます。
この方たち、一週間位すると「先生の言うとおりやってみたら、本当に腰痛や肩こりが直りました。」という報告を数多くいただきます。

でもこれは私が直したわけではありません。私は倫理を学び、その人たちは自らの中にあったことを少しだけ改善することで、腰痛や肩こりが直ってしまったと信じています。
この方のやっていることを倫理実践というのです。

また、倫理研究所の教えている純粋倫理とは、端的に言って「捨てる」学びです。

私たちの生活のなかで、自分の捨てるべきモノは何か?
人間の共同生活を営む上であってはならない心持ちをもっていて、それが家庭を会社経営の歯車をおかしくしているといった原因は、じつはその方の心の持ち方にあるのです。

奥さんやご主人に対する、何かが気にくわない。とか、もう少しやってくれれば。。
といったよくない心持ちを捨てて、今に感謝しよう。という学びです。

ですから、何も覚えなくてもいい、何も足さなくていい、補わなくていいのです。
自分で捨てるべきモノは何か。。。恨み?つらみ?ねたみ?

純粋倫理の学びで、人間はそのままで完全である。そのままがすばらしい。ありのままが尊いのだ。とあり、もう少しこうなってくれたら、満足するとかではなくてそのままを受け入れましょう。とする考えがあります。

家族の中でもこうした心の持ち方で暮らせば、よりよい家庭を築けるとお話しいただきました。

2008年5月16日金曜日

今週の倫理 (559号)より 気は行動を変え行動は人生を変える

 暖気―寒気、景気―不景気、元気―病気、本気―浮気、売る気―買う気…など、私たちの周囲には「気」の付く言葉がたくさんあります。

「気」とは、私たちの心中から外部に向かって働きかける触手のようなもので、言葉や表情、態度や雰囲気にすぐさま表われ、相手に伝わっていきます。

一日の仕事を始めるに際しては、まず冷水で洗面するかのごとくピシッ!と「気」を整え、さらには、奮い立たせていくことが大切です。

行政改革の神様と謳われた土光敏夫氏は、かつて東芝の社長に就任した時、「ヤル気のない社員はやめてくれ!」と言いきって社員の意識を啓蒙し、ついには東芝を超一流企業に育て上げました。
また、明光商会名誉会長の高木禮二氏は、新しく入社してきた社員に向けて次のような言葉を贈っています。
人間は、考え方の動物ですから、考え方が変われば、行動が変わり、行動が変われば、習慣が変わる。
人間、習慣が変われば、それに対応して、人格が変わる。
人格を昇華させられれば、結果が変わり、人生が変わる。
行動する際には、その決意(自覚)の大きさ、意志(心構え)の強さが、行動力の強さにつながり、成果の大きさにもつながっていきます。

さらに「時の刻みは命の刻み」と言われるように、どのような決意・意志をもって日々の生活を積み上げていくかが、充実した人生を送る上で重要になってくるのです。

 時として、誰しも心の中にフッと油断や気の緩みが生じます。そうした状態を早期に食い止めるためにも、自分自身の姿を振り返る指針が必要でしょう。
そこで、自己チェックのために、さらには「気」を高めるためにも、次の「プロ十訓」を活用してはいかがでしょうか。

① プロとは仕事に命を賭ける人である。
② プロとは自分の仕事に誇りを持つ人である。
③ プロとは先を読んで仕事をする人である。
④ プロとは仕事にムラのない人である。
⑤ プロとは時間より目標を中心に仕事をする人である。
⑥ プロとは高い目標に向かって邁進する人である。
⑦ プロとは成果に責任を持つ人である。
⑧ プロとは報酬が成果によって決まる人である。
⑨ プロとは甘えのない人である。
⑩ プロとは能力向上のために常に努力する人である。

仕事に限らず、何らかの理由でへこたれそうになった時に、挫けそうになった時に、自分を奮い立たせる言葉を持っている人は実に強いものです。

「プロ十訓」の一字一句を噛み締め、そしてどのように実行に移すかを真剣に考えて、職場生活や自身の人生に積極的に活かしていきましょう。

2008年5月13日火曜日

5月13日 モーニングセミナー 「ガン体験中」



今日のMSは、堂脇志農夫さんの講話です。

堂脇さんは昭和62年に倫理法人会に入会しました。
堂脇さんは横浜市中区長者町で理髪店を経営されています。

理髪店業界も冬の時代で、最盛期には県下の理髪店組合員は4300店もあったところ、今では3500店にまで淘汰されてきているといいます。

堂脇さんは倫理法人会に入会されてから、倫理法人会の教えで「夫婦仲良く」「活力朝礼」「掃除」を実践して行こうと決め、お店で活力朝礼と掃除を徹底させて、この難しい時期にも業績を伸ばしてきました。

先日、ガンと告知された時はショックで仕事をする気もなくなってしまったそうですが、多くの倫友に励まされ、今では倫理法人会の生みの親である、滝口長太郎さんの「打つ手は無限」を言葉を思い出し、ガンになったからといって何も打つ手がない訳じゃない。と、西洋医学と漢方など様々な手で「打つ手手は無限」を実践していて、実際にガン細胞が減ってきているとのことでした。

※打つ手は無限 滝口長太郎 作

すばらしい名画よりも、とてもすてきな宝石よりも、
もっともっと大切なものを私は持っている。

どんな時でも、どんな苦しい場合でも、愚痴を言わない。
参ったと泣き言を言わない。

何か方法はないだろうか、何か方法はあるはずだ、周囲を見回してみよう。

いろんな角度から眺めてみよう。人の知恵も借りてみよう。
必ず何とかなるものである。何故なら打つ手は常に無限であるからだ。

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本日入会された岩下接骨院、岩下恵子さんのご挨拶をいただきました。

2008年5月9日金曜日

今週の倫理 (558号)より プロフェッショナルは笑顔を作り上げる

 経営コンサルタントの中村氏が駆け出しの頃、当時、売れっ子コンサルタントとして数多くの自己啓発・セールス本を著していたN氏と共に、印刷業会の例会で講演を行なったときのことです。

 中村氏とN氏は初対面だったため、控え室では主催者を間にはさみ、とりとめのない会話をしていました。主催者が席をはずし二人だけになると、それまでのぎこちなさに加えて何も語るものがなくなり、互いに向き合って目の先のお茶を飲むだけでした。二人とも鞄から講演の資料を取り出し、最終チェックに没頭するしかありません。

そうするうちに、突然N氏が自分の顔を叩いたり揉んだりし始めたのです。中村氏は〈いったい何が始まったのか〉とN氏の顔を凝視していると、さらに両手の人差し指を口の中に入れて「ウンウン」と言いながら引っ張ったり、中村氏に向かってニィーとしてみたり、低い声で笑ったりと、奇妙な行動はエスカレートするばかり。中村氏は正直、その意味するところがまったく理解できず、〈この人は頭がおかしいのでは…〉と思ったほどです。

 講演が始まり、まずN氏が一時間にわたって話をしました。滑らかな口調で、誰もが知っている話題から切り出した氏は、グイグイと聴衆を引きつけていきます。横で聴いていた中村氏も、その語り口の柔らかさと表情の豊かさに、思わず引き込まれてしまいました。徐々に難しいテーマに移っているにもかかわらず、N氏は終始さわやかな笑顔だったからです。

 続いて中村氏の講演も無事終了。にぎやかなパーティー会場に移り、再度、中村氏とN氏は同席することとなりました。先ほどから心の中に引っかかっていた控え室でのN氏の不思議な行為に関して、中村氏は率直に尋ねてみました。
 するとN氏は満面の笑顔で、「先ほどは大変失礼しました」と言いつつ、その行為について次のように解説を始めました。

「じつは私は以前から人前に立つと、どうしても顔がこわばってしまうため、少しでも柔らかくしようという思いで、先ほどのようなことを始めたのです。ふだんは人目につかないところでやってはいるのですが、今日は時間もなかったためとはいえ、失礼を省みずに申し訳ありませんでした」

 この言葉を聞いた瞬間、中村氏は「プロの厳しさ」を垣間見た気がしました。
 ひとくちに笑顔といっても、たゆまぬ努力を重ねて作り上げられるものなのです。そこには、少しでも相手の心が和むようにという、思いやりの心が存在します。

私たちは一人で生きているのではありません。多くの人々に支えられて「生かされている」のです。人によって生かされているのであれば、もっともっと心のこもった言葉や表情で人に接するべきでしょう。
ひとつの世界でプロフェッショナルとして生きていくことは、容易ではありません。実務に精魂を傾けるのは当然ですが、言葉や挨拶、そして表情などのさりげない部分が付加価値を生みます。ゆめゆめ怠りなく、私たちも力を入れていきたいものです。

2008年5月6日火曜日

丸山敏雄先生墓参「倫理の源流を求めて」

今日はMS終了後、ただちにバスに乗り込んで丸山敏雄先生のお墓参りに行き、会員全員が先生のお墓に手を合わせてきました。

私たちがお墓に到着したときに、松本市倫理法人会の専任幹事さんも先生のお墓参りにお越しでした。
こうした縁というのも、丸山先生のお導きかもしれません。





お墓参りのあと、神代植物公園で散策。天気にも恵まれて、気持ちの良い植物園見学になりました。




今日は、倫理資料館は休館日だったのですが、横浜市中央倫理法人会のためにわざわざ開けていただき、さらに貴重な「万人幸福の栞」の原稿や書物、丸山先生の書かれた掛け軸、晩年にお使いになった桶、など貴重な品々を惜しげもなく見せていただきました。







この倫理資料館は武蔵境駅から徒歩15分に位置し、富士山の倫理研究所までは行けない人でも、ここなら行きやすいのではないでしょうか?ここには倫理の原点を見ることができる貴重な資料がたくさんありますので、ご興味のある方は是非一度行かれると良いでしょう。(^^)

5月6日 モーニングセミナー 会員スピーチ「父母を語る」

本日は振替休日ですが、MSは通常通り開催されました。

今日の講話者は田村忠雄さん(NPO法人生涯学習塾神奈川 代表)と高橋徳美さん(高橋徳美事務所 代表)の「父母を語る」です。

高橋さんは小さかった頃、母親からたくさんの手伝いをさせられて、とても厳しく育てられましたが、自分の子供たちのみならず、近所の子供の学費まで工面した高橋さんのお母さんのことを、今になって振り返り「私の母は徳之島で一番の働き者」であるとお話しされました。

田村さんは、親の教えを「帯と大根」と称し、絵にして表現されました。

生家が農家だった田村さんは、物心ついた頃から子供をおぶる帯に子供をおぶらず、畑でとれた大根を背負い、近所に分け与えるために届けるのが日課だったといいます。

田村さんは「今、その人のために何ができるか。」これが一番の親の教えであり、これは倫理の教えである「自他一如」に通じるのだとお話しされました。

そして、今も親の教えを守り「今、その人のために何ができるか。」をNPO法人を通じて実践されています。

2008年5月2日金曜日

今週の倫理 (557号)より 伝説の武勇伝が社の伝統を醸成する

『会社の品格』の著者で、モチベーションにフォーカスした企業変革コンサルティング会社を経営する小笹芳央氏は、著書の中で、「そもそも会社とは、人々の欲望を実現するための装置として人間が発明したシステムであり、何よりもまず利益追求が優先され、経済合理軸一辺倒で動く性質をもつもの。よって、もともと会社は不祥事を起こしやすい宿命を生来負っている」と指摘しています。

企業の不祥事が多数報道される昨今。個々の事例を見てみると、「会社」が持つこの性質が野放しにされ、さらには本来この性質を御する立場にある経営者が、目先の利益を獲得せんがために逆に先導してしまったり、見て見ぬふりをした結果であることも多いようです。

しかし、同じ企業内部に身を置く社員一人ひとりは、決して経済合理軸だけで動いているわけではありません。勤労の目的は金銭のみではなく、「誰かの役に立ちたい」「誇りある仕事がしたい」「仕事を通じて自己を成長させたい」など、各人のモチベーションを持っているものです。ここに、会社と社員との意識にズレが生じることとなります。事実、これまで起こった企業の不祥事は、内部の人間による通報という形で露呈したものが少なくありません。

こうした現状を踏まえると、企業の不祥事をトップが未然に防ぐことは当然ですが、適正な利益を目指しつつ、社員の使命感、貢献感、自己成長感などを満足させることが、永続的な繁栄を目指す企業にとって重要なポイントと言えます。

その一つの方途として小笹氏は、「品格ある企業社には決まって、その会社で働く人々を束ねる旗印の役割を果たし、組織内部で語り継がれる伝説や武勇伝のようなものがある」と指摘しています。
これらの伝説や武勇伝は、その企業が窮地に陥った際、当時の社員たちが果敢に取り組んだ末に、社会から賞賛を受けた行動であることが多いようです。

新潟県を本拠地として全国へ冷暖房器具の製造販売を行うC社。昭和三十六年・三十八年の記録的な豪雪により、輸送路が寸断された際、全国から届く石油ストーブの注文に何とか応えようと、猛吹雪の中、社員全員がストーブを一台ずつ担いで歩いたという「武勇伝」が残っています。2キロの道のりを最寄りの駅まで運び、鉄道がストップすると、4キロ先の信濃川にある船着場まで同様にストーブを運び、船で出荷して注文に間に合わせたのです。この逸話は、お客様を第一に思う伝統として、現在の社員にも誇りとして脈々と流れています。

経営学の巨人といわれるドラッカーも、「たとえ天使が社長になっても、利益には関心を持たざるをえない」と言っています。企業にとって利益は不可欠です。ただ、その作り出し方は多様なのです。

「企業は人なり」のたとえ通り、トップから新入社員に至るまで、全員の事業に対する姿勢が社風を作り出し、事業の様々な場面で発揮され、利益にもつながっていくものと心しましょう。