2008年11月28日金曜日

今週の倫理 (588号)より 夫婦・家族を愛し心の安定をはかる

景気の動きに敏感な職業は、タクシー運転手やスーパーの従業員だと言われます。先日乗ったタクシー運転手との雑談で、米国発の金融危機の影響が、私たちの身近にも確実に迫っていることを、痛感させられました。
街角景気の悪化は、そのまま各企業の経営危機を表わしてもいます。民間信用調査会社の帝国データバンクは、10月の倒産件数(負債総額1000万円以上)が前年同月比13・7%増の1231件となったと発表しました。これらを原因別に分けると、販売および輸出不振などによる、「不況型倒産」が全体の8割を超えたというのです。

 こうした景気の現状を、内閣府は「厳しい」から「急速に厳しさを増している」と、基調判断を下方修正しました。今年も年末を迎え、各企業にとっては資金需要期に入ります。経営体力の弱い中小企業にとっては、不安が増すばかりでしょう。そのため、つい弱気な発言や行動も多くなってくるものです。

 ある中小企業の経営者は、松下幸之助の話を引き合いに、経営者のとるべき態度を語りました。
何か非常な困難に直面したという場合、経営者が『この困難を乗り越えてやろう、乗り越えられる』と思い込むことがまず大切で、それらなしにその困難を克服することは、きわめてむずかしいと思います。具体的にいいますと、たとえば不況で仕事がない場合でも、経営者は社内を沈滞させないようにしなければならないということです。経営者には、社員みんなの注目が集まっています。そのことを、経営者は一刻も忘れず、どんな場合にも旺盛な経営意欲を失ってはいけない。
この松下の言葉を受け、「この経営意欲を失わないためには、経営者の夫婦・家族関係が、非常に大切だ」と強調したのです。

 景気の動向によって、倒産件数には差があるものの、好不況にかかわらず、倒産は常に存在するものです。その倒産原因の8割以上が、「夫婦不仲・家庭不和」であるとの調査結果もあります。中小企業の経営者に対する「最も頼れる存在は誰か」との質問には、「妻」との答えが最も多かったそうです。

 経営者は、いかなる場合においても、常に孤独な決断を求められます。それだけに、「心」を支えてくれる存在が必要で、それが「妻」であり「家族」ということなのです。経営危機に直面した時に、妻や家族の一言に勇気づけられて克服できた経営者は、少なくありません。ところが逆に、夫婦・家族の不仲が火種となり、冷静な経営判断ができず、倒産を迎えてしまった経営者も多いという事実が先述のようにあります。
 現在の経営環境は、どこから危機が襲いかかってくるか、なかなか予想できにくいところがあります。

それだけに、経営者の「心の安定」こそが、最も大切なベースとなります。そのためには、何はさておき、常に「夫婦・家族」の愛和を心がけることが、危機克服の勇気と知恵を得る常道と知りましょう。

2008年11月25日火曜日

11月25日 モーニングセミナー 「倫理経営とは何か?商売繁盛の秘訣」

今日のMSは大橋俊作参事の講話です。

大橋氏はかつて猛烈営業部長だった頃、「商人は倫理なんて勉強しなくて良い」とうそぶいていました。
ところが、営業部長から総務部長にかわり、とある方から「総務部長になったなら、人の気持ちや心の持ち方の勉強をしなくちゃいけませんよ。それには私たちの勉強している純粋倫理を学んでは如何ですか?」といわれました。

純粋倫理とは、、、

法律のように人が作り上げたものとは違います。日常生活の具体的な現象の中に発見された大自然の法則を自ら実験、実証してその法則を把握する点にあります。倫理は実践を通してこそ、その審議を体得できるのですが、その為に特別な鍛錬や修養をするとか宗教的な難行苦行を伴うものではありません。あくまで毎日の生活の中で易々と、楽々と行えるものです。又どんなに実践してもやり過ぎることはありません。高慢な理想に走ったり超越的な絶対者を仰いだりするものではなく目前の倫理(すじみち)をコツコツと実践していく時、宗教者をも驚かすような奇跡的現象が生じてきます。

これが純粋倫理、これを守って経営することが倫理経営だと大橋氏はいいます。


この純粋倫理を学び、倫理経営を実践をしていく上で大切なのは第一感、(直感や気づき)です。
この第一感を狂わす心配性には以下のものがあります。

1 過去を心配する癖
2 先々のことを心配する癖
3 己の思うようにならなくて心配する癖
4 己をたてようとして心配する癖
5 任せられなくて心配する癖
6 病気になって心配する癖
7 天候気候を心配する癖

なかでも心配性の三タイプとして、、

1 うるさ型    すべてが気になって仕方がない
2 ヒステリック型  腹が立ちやすくなる
3 ノイローゼ型  何もかもが信じられなくなる

こうした意味のない心配性から脱却する最短コースの実践とは

1 目が覚めたらすぐに起きる
2 気がついたらすぐする
3 後始末はさっと早くする

これが重要であると教わりました。


今朝は、これまで中央で一緒に勉強してきた佐藤克男氏が北海道森町の町長に当選、みなさんへご挨拶に訪れました。今後のご活躍をご祈念申し上げます。

2008年11月21日金曜日

今週の倫理 (587号)より 誠心誠意の対応で会社の信用を得る

岐阜県倫理法人会の副会長で、中津川市倫理法人会会長の加藤景司氏(四六歳)は、平成二十年三月のある日、白濁水の入ったペットボトルを片手に、モーニングセミナー会場に入ってきました。

初めて外注に出した業社が、ワックスを剥ぐための剥離剤の残り水を側溝に流してしまい、それらが近くの池に流れ込んで白く濁り、近所の住民から苦情が出たのです。その水をセミナー終了後、朝一番に保健所で調べてもらうために持参してきたのです。

氏は金属製品製造業を営む(株)加藤製作所の代表取締役社長。同社は、鍛冶屋の「かじ幸」として明治二十一年に創業して以来、一二〇年の歴史を誇る老舗企業でもあります。四代目として父親から事業を引き継ぎ、現在はプレス板金部品の総合加工メーカーとして、あらゆる材質の加工に幅広く対応しています。

例年、研修の一環として、自社の食堂フロアーのワックスがけは社員と一緒に行なうのですが、この時に限って外注に依頼したのです。その外注業社は、まだ独立したばかりでしたが、同じ勉強会の仲間ということで仕事を依頼したのです。通常、都市部では汚水を側溝に流しても浄化槽まで流れていくので問題はないはずでしたが、当地では一部が河川まで流れていく仕組みになっており、一~二キロメートル先の池が真っ白になって苦情が出てしまったのです。

このブラウザではこの画像を表示できない可能性があります。クレームが来た当初、「総務部長にでも任せておけばいいか」と一瞬考えましたが、最終責任は自分にあると自覚し、加藤氏が自ら対応しました。すると苦情を言ってきたのは地元の顔見知りの住人で、以前からこまめに地元の集まりで顔を繋いでいた人でした。思いもよらず、その人が汚水の流れるルートまで案内をしてくれ、お詫びに回る加藤氏を誘導するかのように、すべて付いて来てくれたのです。

加藤氏はその際、3つの気づきを得ます。

①住民との日頃のつながりは大切。

②トップは何があっても逃げられない。

③信用を築くには長い年月がかかるが、崩れるのは早い。

お詫びに回る中で、ある住民が教えてくれました。三十数年前に、同じように油の混ざった汚水が流れ、池の鯉が全滅してしまったことがあったというのです。今回は同じようなミスがあったにしても、深く反省して迅速な対応をしたことと、日ごろの人間関係を大切にしていたお陰で、被害も苦情も少なくて済んだということを実感した加藤氏です。

困難な状況からは、つい逃げ出したくなります。しかし起こってしまったものは仕方がありません。真正面からキッチリと受け止め、かつ誠心誠意対処することが、さらなる会社の信用と継続につながります。クレームが来た時こそ、企業の真価が問われるのです。逃げず、人に任せず、責任者たる人間がしっかりと対応しましょう。

2008年11月20日木曜日

11月20日 神奈川県倫理法人会広報委員会開催

神奈川県倫理法人会を構成する各単会から広報委員が集まり、第一回目の広報委員会が開催されました。

神奈川県倫理法人会のHPには、委員会報告やモーニングセミナー報告のBLOGが用意されていて、各単会ごとに知恵を絞って書き込みを行っています。

この報告BLOGを活性化させるにはどうすればよいか?という意見交換など、活発な意見が交わされました。

なかでも一定の成果が得られたのは、神奈川県倫理法人会に所属する各会員でHPを持っている人なら誰でも、神奈川県倫理法人会のホームページで紹介して行こうというものです。

予算編成や誰がどの程度の作業をこなすのか?など現時点で未定なことがたくさんありますが、異口同音に会員のためになることをしよう。との思いは共有できた点でとても価値ある会合だったと思います。

せっかくですから、今回参加されたみなさんへのリンクを貼っておきます。


横浜市鶴見区倫理法人会の相村さん

平塚市倫理法人会の中丸さん

大和市倫理法人会の三村さん

横浜みなとみらい準倫理法人会の上野さん

相模原市橋本倫理法人会の佐々木さん

川崎区準倫理法人会の伊藤さん

横浜市倫理法人会の服部さん

横須賀市倫理法人会の小田さん

横浜市青葉区倫理法人会の宮崎さん

茅ヶ崎市倫理法人会の入村さん

横浜市中央倫理法人会の後藤

および県の事務局東郷さんで12名の参加でした。

注:リンク先が見つからなかった方は名称だけのご紹介になっています。
リンク先があるようでしたら中央の事務局宛にお知らせ下さい。

2008年11月18日火曜日

11月18日 モーニングセミナー 会員スピーチ

本日のモーニングセミナーは会員スピーチです。

田尻 豊一郎会員

 田尻さんのお話は、とても面白く笑いに包まれていました。今回はご自身のお母様のお話が中心でした。田尻さんは、現在は再婚されて九州からこの横浜に出てこられて生活をしています。再婚された今でも、前の奥様やお子さん達とは会われているそうです。それも、田尻さんのお母様のお人柄だということが分かりました。(多分、この講話を聞いていた男性の方々は羨ましく思われたのではないでしょうか)そのお母様が病気になられて、多くの方がお見舞いこられたそうです。お母様の髪の毛が薬の影響でダンダンと抜けてきた時には、カツラのお見舞いがなんと、30個もあったそうです。そのカツラをお母様が田尻さんに、「あんたの方が使うといい!」と渡され、そのカツラをかぶって見せた田尻さんの姿を想像するだけで、会場は大笑いになりました(田尻さんがどの様な頭(髪の毛)をしているかは内緒です)

子供の頃には「“協調性”が足りません」と、“あゆみ”に書かれていたそうですが、田尻さんは、ず〜っと最近迄、“強調性”と信じて、行動をしていたそうです。倫理に入られてからは、“協調”になったのでしょうか?

守田 明会員

 守田さんは、お父様のお話が中心でした。亡くなられてから20年位たっているそうです。建築関係の1流会社に勤めていた頃は、会社の部下の方々が遊びに来られて、とても賑やかな裕福な暮らしをしていましたが、その後お父様が転職をされ、小さな職場に移ってからは、生活がガラッと変り苦しくなったとのことでした。転職をされたお父様を、少し恨んでいたということでしたが、もしかしたら“協調性”(田尻さんの“協調性”にひっかけて)のないお父様に今の自分は似ているのかな〜と思う様になったとのことでした。

とても几帳面なお父様で、日記をつけておられました。その日記を大切にしていらっしゃる守田さんからは、昔の恨みはなく、尊敬の念が見えました。お父様の歩んできた軌跡(海軍学校)等の本を読み、お父様の事を思い出している守田さんを見られて、現在も元気に過ごしていらっしゃるお母様は嬉しく思っているのではないでしょうか。

文章:高橋徳美

2008年11月14日金曜日

今週の倫理 (586号)より 自己の使命を自覚し命を活かす生き方を

自身の人生の中で絶望の淵に追い込まれるような出来事に見舞われながらも、その後自暴自棄になることなく、いよいよ自分の人生に対して、真正面から真摯に向かう人が時としています。一九九九年四月、山口県光市で起こった凄惨な母子殺害事件で、大切な家族を喪った本村洋さんも、そうした中の一人ではないでしょうか。

事件後、公判が進む折々でのご本人の会見や、事件に関するマスコミ報道等でご存知の方も多いでしょうが、『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』(新潮社 門田隆将著)には、氏の事件直後からの心の葛藤や、また氏を支え続けた周囲のたくさんの方々との交流が綴られています。

当時18歳の少年が逮捕され、「少年法」の壁で、家庭裁判所の判断によっては、事件の詳細を遺族さえ知ることなく、闇から闇に葬り去られる可能性もありました。同様の事件は一九九七年に神戸で起こり、その猟奇的な犯行は世間を騒がせました。担当の刑事の配慮により、本村さんはその被害者(当時11歳の少年)の父親との交流を持つことができ、同じ境遇を体験した同士ということで、大変勇気づけられたそうです。担当刑事は、本村さんが最愛の家族を守ることが出来なかった自分を責めて、自殺を図ることを危惧していたのです。実際、本村さんは一審判決の直前、両親と義母に対し「遺書」を書いていました。

また氏は、初公判が迫り、心が落ち着かない時期、勤務先へ辞表を提出しています。これからのことを思うと、会社に迷惑がかかるという思いからでした。しかしこの時、辞表を受け取った上司は、「この職場で働くのが嫌なのであれば辞めてもいい。君は特別な経験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人たれ」と応え、また「亡くなった奥様もそれを望んでいるんじゃないか」と諭したそうです。

これを契機に、氏は人知れず裁判の終結を静観するのではなく、積極的に社会に対し被害者として発言し、事件が社会の目に晒されることで、司法制度や犯罪被害者の置かれる状況の問題点を見出だしてもらうことに全力を注ごうと決意しました。

この背景には、氏の幼少期からの闘病経験や、妻子の「命」、さらには犯人の「命」に必然的に向き合わなければならない状況で育まれた「死生観」というものの存在を感じずにはおられません。この世に生を享け、与えられた「命」を何に使うのか? という大命題は、常に私たちに突き付けられているものではありますが、なかなか意識することは難しいものです。

多くの人々に支えられ、そして最愛の天国の妻子に背中を押され、挫折感を何度も味わった九年間という長い闘いの末に、犯人に自らの罪と向き合わせた氏ですが、見舞われた悲劇は察して余りあります。「絶望」という状況の中でも、投げやりになることなく「使命感」をもって取り組む氏の姿勢は、個々の人生に向かう私たちに、大切なことを教えてくれています。

2008年11月13日木曜日

11月11日 イブニングセミナー@川崎区準倫理法人会


中央で参加者を募り、川崎区準倫理法人会のイブニングセミナーへ参加しました。

日本熊森協会会長の森山まり子様(地球倫理推進賞受賞)の講演、「クマともりとひと」です。

環境保護を考える上で、さまざまな問題がありどこから手をつけたらよいかわからないほどですが、世界中どの地域においても、そこにすむ大型動物の調査をして、良好であればそれ以下の小動物や植物などは比較的安泰であると判断できるのだそうです。

かつて私たちの祖先は標高800メートル以上は神と動物たちの領域、けして立ち入らない棲み分けラインがあったといいます。戦後の国土総合開発により国の林業は大きく様変わりし、杉やヒノキといった換金性の高い針葉樹ばかりを植樹、やがては標高800メートル以上の領域にも開発伐採を進め、動物の住む森へと侵食していきました。

一見きれいに見える植林された針葉樹の山々は中に入ると、一年中日光を通さない地面には、自然の下草や保水力の高い土などは消えうせ、動物のすめる森ではなくなってしまいました。

餌のなくなった森にいられないクマは、餌を求めて人里へ出てきます。
本来クマは、人を襲う習性など皆無で一部の食べられる虫などを除けば、99パーセントベジタリアンなのだそうです。

また、ある学者によると犬よりはるかに賢く、臆病でやさしい性格を持っているが一度人間に襲われたことを憶えてしまったクマだけが、人と遭遇してしまったときに、人を恐れるあまり自らの保身のために振り上げた前足が凶暴だというイメージがついてしまったといいます。

・・・

こうしたクマに関する調査や資料集め、保護運動にいそしむ森山先生も、特別な環境活動家だったわけではなく、ごく普通の公立中学校の理科教師をしていました。

兵庫県の中学で教鞭をとる森山先生は、ある日生徒の持ってきた作文と一枚の新聞記事を目にします。

ツキノワグマが絶滅の危機に瀕している。餌場を失い人里まで降りてくるクマを有害獣として射殺。この記事を見て何名かの中学生が立ち上がりました。

先生自身も、「人に頼らず自分で何でもやりなさい。」そう子供たちに指導していたので、中学生の行動力に驚きつつ、後戻りできなくなってしまいました。

自ら本を読み、調べて問題意識を持った中学生たちは、資料作りや署名運動に奔走します。

中学校の中に野生ツキノワグマを守る会が発足、最初はすぐに終息する子供の騒ぎ、こんな問題はきっと行政の誰かがやってくれているだろうとタカをくくっていた大人や先生たちも、すぐそこにある環境破壊の警鐘に耳を傾けない行政を知ります。環境省の出しているレッドデータブックに載っているにもかかわらず、行政には有害獣として駆除する部門しかありませんでした。

こうした矛盾に対し中学生たちは果敢に取り組み、果ては知事を動かし、各種の植樹祭では針葉樹の植林から広葉樹の植林へ変更してもらうことができました。

自然の森を復元するのは並大抵のことではありません。
でも、中学生に突き動かされ、行政に掛け合ってみて、日本には保護活動をやる人がいない。窓口もない。そのことに気がついてしまった先生はやらない訳にはいかなくなってしまったといいます。

最後にマザーテレサの、「愛は、言葉ではなく行動である」という言葉で締めくくりました。

もっと詳しくお知りになりたい方はこちらでご覧ください。

この講演を聞いてからというもの、秋で紅葉した山々をみるたび、そこだけ青々とした杉や檜の人工林が広範囲で存在することにとても違和感を覚えます。


2008年11月11日火曜日

11月10日 イブニングセミナー 日本人よ!自分の国に誇りを持ちなさい!



年に数回のイベント、イブニングセミナーの講師は黄文雄先生です。

黄先生をご紹介いただいたのは、当倫理法人会の相談役であり、神奈川県日華親善協会の会長を16年も務められました酒井麻雄様です。

話は台湾で大ヒットした映画、「海角七号」のことから始まります。

「海角七号」は終戦頃のこと、日本人の先生と台湾人の教え子の手紙のやりとりをつづった愛の物語。

数十年も前の話なのに、なぜ今頃になって爆発的な人気を博したのか?
まさに、親日的な人が多くいることの証明であると先生はいいます。

ところが、日本国内を見るとどうでしょう?

敗戦後の教育のせいか、間違った認識が増えているようです。

黄先生がとある日本の老人と話したとき、「最近はあまり長生きしたくないものだな。」と言ったそうです。
先生が理由を問うと、「国民の祭日があるたびに私は日の丸を玄関に掲げてきた。これを私は日本人として当然のこととしてやってきた。ところが最近では孫から『おじいさん、日の丸を掲げるなんてとんでもない。日の丸は侵略のシンボルで中心の赤は血の色だよ。』といって掲げさせてくれない。」と嘆いたそうです。

黄先生はもうここまで自国に対する価値観がずれてしまっている。と感じたそうです。

各自の歴史観の差はあっていい。ただ、国家としての歴史観は正しく継承していかなければならない。
ゆがめられた歴史認識に立脚した教育は、間違ったものであることを日本人として認識し修正していかなければならない。

日本の行ったアジアの植民地解放やアジアに近代化をもたらした功績は、敗戦と共に消された。
未だに靖国問題のような内政問題にまで外交問題にされてしまうほどの精神的な敗北を引きずるのはそろそろやめにしてはどうか?

外国から見た日本という点にも注目したい。

毎年のように国連が行っている統計の結果によると、日本は常に住みたい国の上位にいる。

反日国家はいろいろと言うかもしれないが、これが世界的な常識である。


また近年、台湾において若者の間で日本ブームが起きていて、昨年の統計だと若者が行きたい国はアメリカを抜いて日本が一番になったという。

これだけ海外から好かれている自分たちの国に誇りを持ちなさい!

。。黄先生に背中を押されたような講話でした。

2008年11月7日金曜日

今週の倫理 (585号)より 形や型を整えて場の雰囲気を作る

M氏がある研修に講師として招かれ、訪れたホテルでのこと。その地域では比較的格式のあるホテルで、「こんなホテルで研修なんてすごいな」と感心しながら、研修開始までロビーで待機していました。

程なくして研修の主催者がロビーに姿を見せ、「こちらです」と案内をしてくれます。導かれるまま主催者について行くと、ロビーの脇にある喫茶店に入っていきます。「まさか」とは思いましたが、次の瞬間「こちらでお願いします」と隅のほうにあるテーブルが研修会場であることを告げられました。

物事には「ふさわしい雰囲気」というものがあります。例えば、喜びの笑顔と激励の言葉が飛び交う結婚式と、悲しみとお悔やみの言葉が交わされる葬儀の場とでは、明らかに雰囲気が違います。

他の客の話し声が漏れ聞こえ、板書用のホワイトボードもなく、参加者が筆記するための机もない。これでは、どんなに講師の話が良くても、また参加者にやる気があっても、良い研修が出来るはずがありません。研修には研修に相応しい会場があり、その雰囲気によって研修がより良いものになるのです。

このように、その場所の形を整えて雰囲気を作り出すことを「場の空気を作る」と言い、私たちの先人は日本民族の文化として尊んできました。上手く物事を進めるためには、まず、それに相応しい場作りが重要と捉えました。

ところが現代では、「相応しい雰囲気」は成功者のみが作り出すものと捉えられ、「物事がうまくいかないから、場の空気が悪い」と、本末転倒の不足不満を並べます。生活スタイルが変わってしまった現代では、「場の空気を作る」ことは成功への秘訣とは言えなくなってしまったのでしょうか。

『夢をかなえる「そうじ力」』(総合法令出版)の著者で、そうじ力研究会の代表を務める舛田光洋氏は、「きれいな部屋には〈いい気〉がやどる」として、〝著書や講演の中で、場を整えることの重要性を述べています。氏によると「汚い場所にはマイナスの磁場ができ、更にマイナスエネルギーを引き寄せてしまう。それが全ての不調の原因」というのです。

倫理研究所の創設者丸山敏雄も「場」の重要性を次のように説いています。

その「物」を「物」としてあらしめるもの(場)を「境」と呼び、その「物」と「境」は必須不可欠の関係であって、存在大調和の相である。世の如何なる動きも、人類ことごとくの働きもこの大調和を求めて進んでいる。

『純粋倫理原論』(抜粋・要約)

 この法則から鑑みれば、「物」と「場」の必須不可欠の状態を知り、その状態を間違わないようにすれば、物事はすべて大調和(成功)の方向へ向かうということが分かります。「場の空気を作る」ことが成功の法則であることは、大自然の法則に深く根ざした、現代にも通じる法則なのです。

 まずは、会社が会社らしい「場」であるか、家庭が家庭らしい「場」であるかという、身近な所をしっかり確認して、万事好転の境遇をつかみましょう。

2008年11月5日水曜日

11月4日 モーニングセミナー 家庭の平和 パパの手料理



ジャパンダッチオーブン・ソサエティ事務局長 古和田信基様の講話です。

料理なんて興味もなかった古和田氏が友人の薦めで、ダッチオーブンの料理にはまっていくのですが、ダッチオーブンとはカウボーイが使っていたという鉄鍋のことで、そのたくましい風貌が男心をくすぐるアイテムです。

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私はこの鍋の定番料理、チキンの丸焼きから始めたところ、とても旨くできてしまい、土日のたびにこのオーブンを使って料理を始めてしまいました。

私が厨房に立つと、おもしろがって子供たちも一緒に料理を手伝います。まるでサッカーを一緒にやるように。
その様子が家内からみても嬉しいらしく、家族全員で一緒に料理を作る楽しみが増えました。

私の幼少期、家庭での食事の思い出といえば、母の手料理のおいしさとは裏腹に、食卓での会話などの記憶が希薄で、なぜかつまらなかったという印象だったように思います。

これをもう少し思い出してみると、いつも両親を前に食事をするとき、話す話題といえば今日の出来事の報告や父親の説教といったことばかりでしたから、これで楽しい訳がない。

こうして考えてみると楽しくない食卓にはどんなにおいしい料理をもってきても、子供たちが戻ってこないのかもしれません。

サントリーの調査によると、家庭で家族がそろって食べる食事が週に1回もしくは2回と答えた家庭が、朝食の場合で65%、夕食の場合で57%という結果が出ています。

こうした少しの機会であるから食事の際気をつけることは、しつけよりも楽しさ優先と考える家庭が97%という数字も出ています。

イギリスでは子供の非行問題が他のEU諸国に比べ大きくクローズアップされているのですが、これにはイギリス家庭で家族の食事や団らんがないことが大きな問題ではないか?と言われています。

そう考えてくると家庭の食卓とは、味や料理の腕前、材料の良し悪しよりも家族のコミュニケーションの場ではないか?そんな気がしてきました。

単なる父親の道楽から始めたのですが、この料理を作るといった趣味は子供たちも妻も喜んで参加してくれ、楽しさが伝播するクリエイティブなことなんじゃないか?と。

そういってもなかなかお父さんが料理を始めるなんて難しいことかもしれません。

そこでダッチオーブンのような趣味性の高いものから入っていき、自慢できるようなもの、楽しめるものからはじめてみては?

。。。というお話でした。

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古和田様のダッチオーブンのお料理本が出版されました。当サイトのリンクからたどってみて下さい。