2008年8月29日金曜日

今週の倫理 (575号)より 組織として個人として輝く年度を迎えよう

倫理法人会は九月一日より新年度(二十一年度)が始まります。役員をはじめ会員の皆様もまた新たな気持ちでスタートを切られることでしょう。

新年度を迎えるにあたり大切なことは、この一年を意義あるものとし成果をあげるために、組織としても個人としても明確な目標を掲げることです。しかし目標をクリアすることは、決して平坦な道程ではありません。予測せぬ出来事が起こってきて挫折することも考えられます。

そこで目標の達成に向けて心得ておかねばならないことは、常にプラスの心を持ち続けることです。いくつか例を挙げてみましょう。

・どんどん良くなる
・今が最高です
・力は無限です
・難しいことはひとつもない
・皆様のおかげです
・ありがとうございます
・やるぞ やるぞ 徹底的にやるぞ
・元気です
・燃えてきた
・やる気満々です

 こうした言葉を心の中で唱えてみましょう。また、声に出してみましょう。不思議なもので、体の奥底から力が湧いてきます。仮に困難に出遭っても、「負けるものか」とファイトが漲ってきます。

 そしてさらに大事なことは、目標を達成した時の情景を具体的にイメージしてみることです。より一層達成への喜びが満ち溢れてくるでしょう。

 山形市で食品の卸売業を営む(株)マルナカ中村商店(大正二年創業・中村恒一社長)では、「ビジョンをイメージし具現化しよう」との方針で『目指すマルナカの情景54』を掲げています。全社を挙げて取り組み、その実現度は約80%といいますから驚きです。その一部を紹介しましょう。

 ・会社に来るのが楽しい
・仕事ははつらつ生き生きと
 ・セールスマンはいつもニコニコ
 ・愚痴をこぼす人は一人もいない
 ・お客様にはさっと立ってご挨拶
 ・事務所はすっきり爽やか
 ・履物が揃っている
・トイレは清潔、いつもピカピカ
・床は舐めるように輝いている
・車は外も中もいつも綺麗
・買ったものは即金払い
・仕入代金は契約前日現金払い
・手形の発行は原則なし
・お客様の声は難題でも一度は受け止める 

プラスの心を発信源とし、常に達成や実現の姿を強くイメージする。決してあきらめることなく実践を積み重ねていけば、必ずや喜びの時は訪れます。組織としても個人としても、この平成二十一年度が輝かしい一年となりますよう、心より念じています。          

2008年8月26日火曜日

8月26日 モーニングセミナー 「筆相(筆跡)を変えれば自分も会社も変わる ~輝いて生きるには~」

8月26日第303回モーニングセミナー
『筆相(筆跡)を変えれば自分も会社も変わる ~輝いて生きるには~』

全日本書文化振興連盟  全国理事
渋谷区中央準倫理法人会  副会長
志村公敏様

「書は人なり、書は心なり」と言われるように、字を見て人柄(品格・性格)が分かる。
“字”には“心”が反映されている。よって、“字”を書いているのでなく“心”を書いているとも言える。
筆跡は人間の「書く」と言う行動の結果残された痕跡です。人間の行動は常に個体ごとの個有の行動傾向を伴っている(それを性格とか人間性という)ので、書く行動においても、書く人ごとに個有の特徴がある。
筆跡に現れる特徴は、一字一字の中に出てくる特徴と、ハガキの宛名のようなまとまった文字の集合体としての筆跡特徴があり合計68種類ある。
フランスでは筆跡診断士資格は国家資格として位置付けられている。

当日は、出席者各自が事前に自分の名前を書いて講師にお渡ししておいた実物書体を元に個々個人ごとにコメントを付して返していただきました。
また、有名人の筆跡実例や白板を使って、特徴が表れ易い文字「田」や「様」のいろいろな書体からの性格診断をコメントいただきました。併せて、ハガキでの宛名書きの実例の数々からの性格コメントとバランスの良い書き方をご指導いただきました。

特に心理学の分野では「過去と他人は変えられない。しかし、未来と自分は変えることができる」と教えられます。
どうせなら、普段、無意識に書いている自分の字の特徴を把握して「なりたい自分(社風)になれる」ように改善に努めましょう。
                                 文責)田村忠雄

2008年8月22日金曜日

今週の倫理 (574号)より 経営者の牽引力が目標達成への鍵

企業は、個々の社員が役割を分担し、掲げた目標に全力で向かい、利益を生み出していく集団です。それには、会社の目的(企業精神・理念)を全員で共有し、互いが持つ能力を目標達成に向けて燃焼できる集団とならなければなりません。

当然、リーダーには、新しい仕事や困難な課題に真っ先に取り組んで、部下や後輩に模範を見せる行動が求められてきます。 北京オリンピックに出場を果たしたバレーボール全日本チームの取り組みから、リーダーのあり方を学んでみましょう。

バレーボール全日本監督・植田辰哉氏は、二〇〇四年の就任時より「監督以上に五輪に行きたいと思っている人間が欲しい。チームを立て直すには強烈なリーダーが必要だ」と明言し、主将に当時三五歳の荻野正二選手を指名しました。「全日本のメンバーに選んだぞ。主将はおまえしかいない。オレと心中してくれ」と伝えています。

 植田監督は決して荻野選手を「置物」のようには扱いませんでした。あくまでも数多くいる全日本の一選手。日々の練習でも手加減はしていません。一対一でボールを拾わせるワンマンレシーブでは直々に相手をし、サーブレシーブの練習でもイージーなボールは決して打たず、坂道ダッシュも若手と同じ量を求めました。

「最終予選前の合宿で、バレーをやっていて初めて吐いた。あまりにきつくてトイレに駆け込んだ」と荻野選手は語っています。そんな姿を見せられては、若手はついていかざるをえません。どんな言葉より、同選手の姿は周囲に大きな影響を与えたのです。

〈強くなりたい。オリンピックに出たい〉というモチベーションを誰より保ち続けている荻野選手を、植田監督がリーダー(主将)として指名したのは、「彼なら必ずやってくれる」と心から信じていたからです。そしてその信を受けた荻野選手は、日々のハードな練習でも明快な目標をしっかり持ち、率先垂範の取り組みで、周囲の期待に見事に応えたのです。

企業経営も、決して一人で前進することはできません。多くの力を必要とします。その中で、周囲の人々と夢や目標を共有し、心を一つにして推進していくには、情熱に燃えるリーダー(経営者)が必要なのです。
物や金を失っても取り戻すことはできますが、企業が社員、協力関係者などに見放されたなら、これは取り返しがつきません。企業経営は結局、人が中心です。人的資源を最大限に活かしていくには、自身の燃える姿を常に見せていなければなりません。

リーダーに必要な条件を挙げておきます。

①願望(夢・志)を持ち続けている。
目指す目標を決めたら、たとえ小さな一歩でもそれに近づく努力をしていく。困難に出くわしてもニッコリ受けて、「何が何でもやりぬくぞ」と、願望を達成させる気概がある。明確なビジョンは前進のための糧となります。

②率先垂範
経営者・幹部が行動を通して手本を見せる。社員に望むことを自らが実際に示してこそ、社員は奮い立つものです。
集団は、リーダーたる者の勢いの有る無しが、ダイレクトに反映されます。パワー満載の「人間機関車」として、会社をグイグイと引っ張っていきましょう。

2008年8月15日金曜日

今週の倫理 (573号)より 物の本質を知り愛し抜く生活を

原油高にはじまる原材料の高騰が、様々な製品の値上がりを招いています。
原料が上がれば、その分を商品価格に転嫁できればいいようなものですが、景気低迷する中ではそうもいかない企業が少なくないようです。価格を維持し続ければ利益率は明らかに下がりますし、逆に価格を上げれば顧客離れは否めません。そして、その結果として倒産する企業が、ここ数年加速度的に増加していると言われます。

 そこで各企業では、様々な価格戦略を立て、この難局打開のための取り組みを進めているのが実情です。ある企業では、これまでの生産工程における人・物・時間などの無駄を徹底的に省いて、商品価格への転嫁を極力避けるよう努めています。また商品価格の値上がりを容認してもらうべく、顧客の声を集める仕組みを作って評価を高めることに、全社員で取り組んでいる企業もあります。ともあれ、それぞれの取り組みが、確実な成果を得られるように願うばかりです。

 ただし、ここで忘れてならないのは、原材料や機械そして商品といった「物に対する心の有りよう」の問題です。経営的には、利益を中心において、物をどのように扱っていくかということになりますが、実際に仕事に携わる段階では、「物の本質」を明らかにした働きでなければなりません。

「物の本質」とは何か。それは「生きている」ということです。原材料といい、それを加工する設備や機械といい、一切の物が人と同じように生きているのです。だから、それらの物に携わる人の心の有りようが、生産工程をはじめ、商品の販売に至るまで、大きな関わりを持っているわけです。

 よく「生産性は態度なり」と言われますが、生産性の高い企業では、人のみならず物に対する心の有りようが非常に高いことを容易に想像できます。実際に、こうした企業を訪問して感じることは、働く人と機械とがあたかも一体となって、製品を生みだしているかのように見受けられることです。さらによく観察すると、設備や機械の操作は丁寧で、原材料や製品を実に大事に扱っているのです。工場内は、清掃は行き届いて清潔感に溢れ、設備や機械は磨き上げられ、小物類の整理整頓もキチッとしているのには驚かされます。このような企業では、原材料を無駄にすることもなく、不良品もほとんど出ないということです。

「事実、どんな物質でも、いやしくも人と関係のある物は、人と同じように生きており、知恵もあり情けもあるもので、まるで人間と変わりのない、むしろそれ以上の賢さ精密さをもって生存している。それで、物を愛すれば愛するだけ、その人のために働き、いじめればいじめただけ、人にたてつき、くってかかる」(『人類の朝光』P185)

 改めて物との関わりを振り返ってみれば、いちいち納得のいく教えではありませんか。今あるすべての物は生きていると知り、前述のように実践していくことで、新たな経営環境を切り開いていきましょう。

今週の倫理 (572号)より 目は心の窓である

経営コンサルタントの田中氏が駆け出しの頃、建材屋のE社より社員教育を依頼され、同社を訪問した折のことです。

 事務所に足を踏み入れた田中氏は、大きな声で「東京のコンサルタント会社より参りました、田中です」と挨拶をしました。すると奥に座っていた専務とおぼしき人物が、「いらっしゃい」でも「お待ちしていました」でもなく、田中氏の顔をじっと見つめ、「わしはあなたを好きになれそうにないな」と言ってのけたのです。

 田中氏は売り言葉に買い言葉のごとく、即座にこの言葉に反応し、「私も専務さんを好きになれそうにないので、月一回おじゃまする日が決まりましたら、その日は席をはずしていてください」と言ったのです。

 一瞬、気まずい空気が流れましたが、その後、専務の姿をじっと観察していると、専務は自分と共通の性格の持ち主だと気づかされたのでした。専務は時々、社員に向かってダジャレを発します。すると社員の間に笑いが起きるのですが、ダジャレを発した専務は声を出して笑っても、目は笑わないのです。
田中氏も当時、親しい人から「田中君、きみはおもしろいことを言うが、目は笑わないね」と指摘されていました。それというのも、氏は自分の言葉に人がどのように反応するかを常に推し量っていたからです。

 文豪・吉川英治は、「人生は目と目の対決である」という名言を残しました。また、諺や譬えの中では、目に関するものが一番多いと言われます。一種の驚きを表現する言葉で「目を丸くする」といいます。予想もしていなかった出来事や話を耳にして驚いたさまです。「目を吊り上げる」という言葉もあります。心の中に怒りが込み上げてきた状況です。「目尻を下げる」とは、手放しで嬉しくてたまらないときなどを表現します。時々、田中氏と付き合いのある経営者から、突然、携帯電話を突きつけられ、「先生、これ内孫です。かわいいでしょう」などと言われると、これが普段、社員よりワンマンと煙たがられている人物かと驚くこともあります。

「わしの目の黒いうちは…」と相手に圧力をかけるときがあります。まだまだ他の者に思い通りにさせぬということです。これら以外にも「目を皿にする」「目の中に入れても痛くない」「目は口ほどに物を言う」「目にかどがある」など、数限りなくあります。

 その時々の心の動きが、手に取るように目に表われるのが人間だといわれます。心に不安や心配があるとき、怒りがあるとき、相手に対して敵意を抱いているとき、嫉妬に捉われているとき、感謝と歓び一杯に充実しているとき等、その折々の心の動きがストレートに表われるものです。総じていえば、「目は心の窓」という言葉に集約されるでしょう。

 心が強い人間は目に力があります。目に力のある人間は活力に溢れています。充実した気力・体力は目に出ます。常に目の輝きを保つことができなければ、経営者としての厳しい責務を乗り切っていくことはできないことを心すべきでしょう。

さて、かつてはいつの時も目が笑っていなかった田中氏。しかし最近では、「その時その場を思いきり楽しめば、目はおのずと笑う」ということを実感しているようです。

2008年8月8日金曜日

今週の倫理 (571号)より 我が社の使命はいったい何なのか

経営者像やリーダーシップが論じられるとき、たびたび「使命感」が取り上げられます。よく話題に上るのは、その事柄がこのうえもなく大切だからです。

今号では、大事業家として日本経済をリードした松下幸之助氏にスポットを当て、「トップが使命感を持つ」ことの大切さについて改めて確認しましょう。

松下氏が事業を始めた頃、氏は経営について大いに悩んだといいます。いったいどう進めていけばよいか、見当もつかない。商売で金儲けをすることに、後ろめたさも感じる。自分が儲かることで、潰れてしまう者も出る。悩める日々の連続でした。

そんなとき、知人がある宗教の信者になることを勧めてくれました。とにかく熱心なため、松下氏はその宗教の本部だけでも訪ねてみることにしたのです。
実際に行ってみると、巨大な本殿があり、そこにはイキイキと無償で働いている信者の姿がありました。松下氏は驚き、そのエネルギーに圧倒されました。

「どうして宗教はかくも力強く、盛大なのか。心の教えが大切なのはわかるが、人間の幸せには物も必要だろう。にもかかわらず、こちらは倒産を心配したり、金儲けに駆けずり回っていると軽蔑されて、クヨクヨするばかりだ。なぜなのか…」

帰りの電車でいろいろ考えた末、松下氏はハッとあることに気づきます。以下はPHP研究所の江口克彦氏が、松下氏から直接聴いたという言葉です。

それは商売に使命感がないからや。宗教には人間を救うという大きな使命感がある。それや、それなんやと思った。いまのままではいくら熱心に経営を行っていても、力強い活動は行われない。
それでは、商売をするものの使命はなにか。貧をなくすこと、貧をなくすことがわしらの使命なんや。そこで悟ったんやな、わしなりに。そしてこれがわしの経営を進める基本の考え方になった。そういうことがあって、わしは自分の仕事を一段と力強く進めることができるようになったんや。(『人徳経営のすすめ』PHP研究所刊)

 経営者に使命感が必要なのは、それがなければ自分を支えられないからです。どこに向かい、何を目指し進めばよいかが不明であれば、自分自身が不安であり、そして、そんな上司には部下も安心してついていくことはできません。

進むべき方向を自覚し、部下にしっかりと指し示すことで、部下は共に歩み、今よりももっと熱心についてくるようになります。使命感を持つに至るプロセスは、人さまざまであり、また一度持てば、それで済むというものでもありません。江口氏は、使命感に到達するポイントは、松下幸之助氏のように悩み抜き、考え抜くことだと言っています。

事業経営には、苦しく悩ましいことも表出してきます。その中で試行錯誤を繰り返し、「使命感」をさらに磨き高め、自身も会社も成長させていこうではありませんか。

2008年8月5日火曜日

8月5日 モーニングセミナー 「サラリーマンOBの利尻島こんぶ乾し体験記」

2006年1月に会社を退職、今だからできる何かをやろうと、利尻島のこんぶ干しに参加してみました。 意気込みだけで65歳の私が体力的にきついと聞いていたこんぶ干しですが、島の人たちの優しさや自然に触れられて楽しみながら途中で投げ出すことなくやり遂げることができました。 利尻島でも吹いていたハモニカはモーツァルトの曲。



退職した今を充実した日々で過ごしている角田さんでした。今日のMSは南区吉野町で欧風料理店「みーしゃ」をご夫婦で経営されている加藤正代さんが入会されました。

2008年8月1日金曜日

今週の倫理 (570号)より 法律至上主義の隠れた落とし穴

Mさんの職場は、東京都内の大きな道路に面したビルの四階にあります。
ある日、休憩のためベランダに出てみると、眼下を横切る道路の脇にトラックが一台停まっています。よく見るとエンジンをかけたまま、運転手は昼寝をしています。暑い最中のことですから、間違いなく冷房もかけたままだったでしょう。

現在、関東地区の八都県市(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、横浜市、川崎市、千葉市、さいたま市)では、平成十五年十月より、定められた粒子状物質の排出量基準を満たさないディーゼル車は通行ができないことになっています。

この地域に車を乗り入れるためには、新型のものに買い換えるか、低減装置を取り付けなければなりません。
しかし、基準を満たしていればよいわけで、環境に対して悪影響のあるものが全く排出されないわけではありません。冒頭に紹介した事例の場合も、エンジンをかけたままということは、その間も排ガスは出続けているのです。法律の整備はできても、その法律は万能の代物ではないことが伺える事例といえます。

本来、商取引とは法律によって規制されるものではありません。その業界における公正な倫理観によって行なわれるべきであり、倫理観を逸脱した商行為を行なう者は、業界から締め出されていくことが望ましい形です。

ところが最近では、倫理観ではなく法律のほうが重視されていて、法律以外は信じないという風潮さえあります。こうなってくると、「法律さえ守れば何をやってもいい」「ギリギリのところで稼いでやろう」と考え、法律の抜け穴を探し出します。それを抑えるべく、新たな法律を作れば、またその抜け穴を探し出す。この「いたちごっこ」は、際限なく続くだけでなく、法律が厳罰化され、犯罪を巧妙化させていくことにもつながります。これは、商取引に限らず、様々な分野において同様のことが言えるでしょう。

古代中国、前漢の初代皇帝・劉邦(紀元前二五六年または紀元前二四七年~紀元前一九五年)は、その覇権争いの途上で、自身の領地に「法三章」を宣言したと伝えられています。

それ以前は、万般に及ぶ細かな法律が庶民を苦しめ、官僚の不正が横行していたのに対し、劉邦の示した「法三章」は「人を殺せば死刑」「人を傷つけた者は処刑」「人の物を盗んだ者は処刑」という誰にでも分かる簡単なものでした。この宣言の後、庶民にとって住みやすい世の中になったことは言うまでもありません。

わずか三ヵ条のみであったにもかかわらず、住みやすい世の中になったのです。現代社会にも通用する故事として、学ぶべき点があるのではないでしょうか。

行き過ぎた「法律至上主義」は、思わぬ方向へ行ってしまう傾向があります。法律を良くも悪くもするのは、そのベースにある「倫理観」です。

経営者として正しい「倫理観」を持ち、会社で、地域で、そして家庭で、多くの人の手本となるよう心がけましょう。