2008年9月30日火曜日

9月30日 モーニングセミナー 「横浜から生み出ずるもの」

平成20年9月30日(火)モーニングセミナーの講師は横浜市議会議員萩原隆宏氏のテーマ
「横浜から生み出ずるもの」という題名で講演をいただきました。

36歳議員一回生として萩原氏は、まず自分の経歴をお話しいただきました。

お父上の仕事のためにアルジェリアに行っていたときのエピソードで、国の貧困について、夏は40度を超える暑さ、冬は雪が降る寒さ、アフリカ北西部にある国とは思えないアルジェリア2855万人の人口では風呂やシャワーの断水・停電は常のこと、山には松茸が生えていて、それを電卓やジーパンと交換できること、布をぐるぐる巻きにしたボールを素足でサッカーをする子供たちがいるかと思えば、こちら側には普通のサッカーボールを蹴って遊ぶ裕福な子供たちもいる。

ある時そのサッカーボールが素足で遊ぶ子供たちのところへ転がっていってしまった。
するとおさない女の子がそのボールを持ってきてくれたそうです。

誰が見ても本物のボールがほしい子供はそのボールを持って逃げると思っていました。ですが、それを迷うことなく持ってきてくれたおさない女の子にすごく感動したと萩原氏は語りました。

帰国後もこのことが頭から離れず、こうした貧しい国に対して日本人としてどういった行動を起こせるだろうか?と考えた萩原氏は、まず政治から。と考えて萩原氏は一市会議員として立候補を決めたと言います。

閑話休題

一回生議員として地方は国を語れ、国は世界を語れ、地域は国全体の将来を思いながら主体的に自らの未来を決定し、国は地域の個性を尊重し国全体の利益創出を図ること。

その為には地域に埋没することなく国は地域とその為に地域の自主独立を活かすこと。

そうすることで全土均一的な国家から脱却したよう多彩に可能性を秘めた国家戦略が描ける。そして横浜は何をすべきか横浜市は民意をより十分に反映できる議会能力を高めながら厳しい視点で適正な政策を行っていかなければならない、と萩原氏は言います。

議会のあり方も政策も理想を高く掲げてこそ、その突破口が見え、より理想的な現実を作り上げることができると私は信じます。と締めくくった萩原氏の講演は、昔の政治家のように、大きな声で話すことも、大げさな身振り手振りを加えるでもない、淡々とした語り口に話すさまに私は聞き入ってしまい、講演のタイムキーパーとしての役目も忘れ、合図を出すのを遅れてしまったほどです。

萩原隆宏氏の人柄とさわやかさに魅せられてしまったモーニングセミナーでした。

横浜市中央倫理法人会 専任幹事 鵜飼 稔

2008年9月26日金曜日

今週の倫理 (579号)より 「誓い」の継続で一日の流れをつくる

スポーツの秋たけなわ。各種スポーツをテレビで見ていると、よく「流れ」という言葉を耳にします。「試合の流れが変わった」「まだどちらに流れが傾くかわかりません」などです。この「流れ」は、チーム状態の変化について使われると共に、個人においても存在します。

 例えば、プロの世界においても、一流の選手ほど自分でよき「流れ」を作ることができ、二流で終わる選手はよい資質を持っていても、「流れ」を作る術を身に付けられません。したがって、年間を通して好成績を残せず、わずか数年でプロの世界から去らなければならないといいます。

 よき「流れ」を作るために一流選手が心がけることとして、毎日の準備を万全に行なうということが挙げられます。心を惑わせないように、いつも通りに同じ時刻に球場に入り、同じ準備体操をし、同じ練習をきっちりとこなしていきます。

 行なうことの一つひとつは、誰もが出来る当たり前のことですが、この当たり前のことを毎日毎日淡々と、そして心を込めて繰り返すことができる選手であってこそ、自分で今日一日のよい「流れ」を作ることが可能になります。一方で、二流で終わる選手は、この当たり前のことに毎日心を込めることができないのです。

 企業経営も毎日が真剣勝負の連続です。しかも、今の日本を取り巻く経済の「流れ」は、逆流の「流れ」となっており、何もせず手を拱いていると負の方向に流される、そんな激流の中で舵取りをしているのが、現在の経営者と言えるでしょう。

 経営者のA氏は、これまで調子の良い時は飛ぶ鳥を落とす程の力強さを発揮しますが、一度落ち込むと時には数日にわたり調子が良くなく、併せて体調を崩すという波の大きなタイプでした。

 ある日、A氏の信頼する先輩経営者から、波を失くすため、朝起きて一番に、今日一日の自分の心を決める「誓い」を立てることを教わりました。
「多くの皆様のお陰で今日も仕事ができますことを感謝致します。今日一日、どうかお客様に役立つ私でありますように…」と、A氏は教えられるままに、自身で感謝と決意の含まれた「誓い」の文章を作成。毎朝一番に声に出して「誓い」を読むセレモニーを始めました。

 しばらく経った頃、A氏は「誓い」を述べた後に心が落ち着いて来ること、やる気が高まってくることを感じるようになりました。そして、これまでのような大きな波は影を潜め、比較的よい「流れ」が毎日出来つつあるのも感じられるようになってきました。

「流れ」という存在は、他の何者でもなく自分の心が作るものです。悪く考えれば悪い結果となり、積極的な良いイメージが描ければ、よい結果が訪れます。

 プロ選手が毎日同じトレーニングを淡々とかつ元気に行なうのも、朝一番に「誓い」を述べるのも、コントロールすることが難しい心を、活気ある行動と前向きな言葉によって積極モードに切り替える意図があるのです。

よい「流れ」を作るためにも、人の役に立つ決意と感謝の思いを日々声に出すセレモニーをしてみてはいかがでしょう。

2008年9月19日金曜日

今週の倫理 (578号)より 災いを踏み台に 人生再びの跳躍を

倫理法人会の行動哲学の一つに、「運命は自らまねき、境遇は自ら造る」という項目があります。強運も弱運もすべて自分自身が招いて造っていくものであるという考え方です。この行動哲学を実践究明した人物は世界中に数多く存在しますが、江戸時代中期に活躍した観相家で有名な水野南北もその中の一人です。

水野南北は一七六〇年に大阪の地に誕生しましたが、幼少の頃に父母と死別し、両親の愛を知らずに親族に育てられるという不幸な人生を味わいました。父母の死別という悲しみから徐々に私生活が乱れていき、10歳の頃より酒を覚えました。博打と喧嘩に明け暮れている最中、18歳にして悪事をはたらき投獄されましたが、牢内で人生を変える大きな気づきを与えられたのです。入牢してくる罪人と娑婆で働いている人の相貌に、著しい違いがあることを発見。しだいに南北は観相学に興味を持ち始めていきます。

 出牢後、大阪で名高い観相家を訪ねて自分の人相を見てもらったところ、「剣難の相であと一年の寿命」であることを宣告されてしまいます。愕然とした南北は助かる方法を問うたところ、出家が唯一の方法であると言われました。その後、禅寺を訪れ入門を請い、「一年間、麦と大豆だけの食生活を続けることができれば入門を許そう」と住職から課題を与えられました。

 南北は助かりたい一心で好きな酒も断ち、約束どおり忠実に実践を一年間続けたのです。そして再度、観相家を訪ねたところ、「剣難の相が消えているが、何か大きな功徳を積んだであろう」と言われ、食生活を変えたことを話しました。そして「節食したことが天地への陰徳積みになったのであろう」と言われたことがきっかけで、観相家の道を志すことになりました。

 その後、髪床屋、風呂屋、火葬場と働きながら、人相や全身の相と人の運命との関連について研究を重ねました。そしてついには「だまって座ればピタリと当たる」と評判になり、多くの門弟を抱える大観相家の地位を獲得しました。南北は強運の人生を歩む秘訣は食の節制にあるとし、その要点を次のように語っています。

①少食の者は、不吉な人相であっても運勢は吉であり早死にしない

②常に大食暴食の者は、吉相であっても運勢は一定しない

③常に身の程以上の美食をしている者は、人相が吉でも運勢は凶

④貧乏人で美食する者は、働いても働いても楽にならず、一生苦労する

⑤常に自分の生活水準より低い粗食をしている者は、貧相であってもいずれは財を成し、長寿を得て晩年は楽になる

⑥食事時間が不規則な者は、吉相でも凶

⑦少食の者には、死病の苦しみや長患いがない

⑧怠け者でずるく酒肉を楽しんで精進しない者には、成功はない

⑨人格は飲食の慎みによって決まる。

 食の節制以外にも強運の秘訣として

①毎朝昇る太陽を拝む

②早寝早起き

③衣服や住まいも贅沢すぎるものは大凶

④倹約は吉であるがケチは凶、

などといったことも挙げています。

 運命も境遇も自身の努力精進しだいで変わっていくことを自覚し、強運の人生を歩んでいくコツを常日頃から実践していきたいものです。

2008年9月16日火曜日

9月16日 モーニングセミナー 「病気は生活の赤信号」

横浜市中央倫理法人会
9月16日モーニングセミナー    
                        (株)クリエート・エフ代表取締役
                          横浜戸塚泉栄準倫理法人会会長
                                   近藤 清様

テーマ『病気は生活の赤信号』

講話者の近藤清様は今年春先に、大病を克服され現在元気に社会復帰されご活躍中です。
病名はジストと言う10万人に一人の胃の病気で国立癌センターにて胃の摘出手術をされ、手術翌日から病院内を歩くリハビリを開始され短期間で入院生活から開放されました。
今回はご自分の体験談を7月8日(前編)に続きお話しいただきました。

○ 大学運動部で学んだ事
山の遭難には大きく分けて「滑落」「雪崩」「疲労」の三つある。入山したら、基本的に誰も助けてくれないので自己責任・自己管理となる。
3000M級の山は樹木がないので100M滑落したら命を落とす程の大怪我となる。雪崩に遭遇しないためには午前9時前に歩くこと。凍傷になると、体が熱くなる感覚で衣類を脱ぐ行動に出る。磁石が効かない地域がある。例えば、別所温泉、能の病気が治ると言われている鹿湯温泉。                              
○入社した大手ガス会社にて営業を覚える
「盲目へびに脅えず」の実例 → 入社間もなくの会社訪問でソニーの井深社長(当時)が面談してくれた。後で大物社長と分かり自分もビックリ、上司もビックリ。でも、商談成立で社長表彰受賞に結ぶ。
火葬場見学の思い出話もご披露。(詳細略)

○会社整理について・銀行との付き合い方
競売と担保評価額の査定、銀行との折衝ポイントについてご紹介。(詳細略)

○倫理との出逢い
倫理法人会との出逢いからは1年になるが、以前から、自分の行動の基本軸として、<ちょっとした気遣い>に心掛けてきた。そのことで<信頼>が生まれ仕事にも役立った数々の事例をご紹介いただきました。(例、置屋に中華まんを届ける)
今、倫理と出逢い、それらの成功体験が実証できている。

○病気は生活の赤信号
トップが健康でないと、会社もガタガタ、家族、友人との関係もガタガタになる。
今回の自分の病気と自社がたどった教訓をお話しいただきました。

近藤会長の実体験に伴う瀬戸際での対処法に出席者全員興味津々の眼差しで聴かせていただきました。

文責)副会長 田村忠雄

2008年9月12日金曜日

今週の倫理 (577号)より 人生山あり谷あり プラス発想で成功を

「人間万事塞翁が馬」。これは中国の『淮南子(えなんじ)』に書かれている故事で、「人間」は「ジンカン=世間」と解釈される説と「ニンゲン=個人」と解釈される説がありますが、主に次のような内容です。

中国の北方の国に老人が住んでいました。ある日、この老人が飼っていた馬が逃げ出してしまいました。当時の馬は交通の手段でもあり、人々の生活にとって重要な位置にあったのです。

周囲は「かわいそうに」と気の毒がりましたが、老人は「馬が逃げたことが幸福につながるかもしれない」と
言います。そしてその言葉通り、逃げた馬が隣の国から立派な馬を伴って帰ってきたのです。周囲の人々は喜んでお祝いまでしました。

しかし、老人は「これが禍につながるかもしれない」と言います。しばらくして老人の息子がその馬から落ちて足を骨折してしまいました。周囲の人々は「あの馬さえいなければ、こんな不幸には見舞われなかったのに」と嘆きましたが、老人は「これが幸せにつながるかもしれない」と平然として言ったのです。

 その後、隣の国と戦争になりました。老人の住む国の健康な若者の多くは戦いに駆り出され、戦死しました。しかし、老人の息子は足が悪かったため戦いに行かずに生き残ったのです。
人生は長い目で見ないと幸・不幸、成功・失敗は分かりません。「禍福は糾える縄の如し」の教えの如く、悪いことがあっても希望を失わず、良いことがあっても有頂天にならずに気を引き締める必要があります。
石材店を営むI氏は、二十年ほど前に友人の三千万円の保証で債務を引き受け、公務員としてどん底の生活を強いられるようになりました。給与も抑えられ、生活費は五万円足らず。家を売り払い、家族もバラバラになってしまったのです。

路頭に迷ったI氏は倫理指導を受けました。すると「お墓参りに行きなさい」と言われたのです。借金と墓参は理屈として結びつかなかった氏でしたが、藁にもすがる思いでお墓参りを続けました。何日か経った時、亡き父のことが思い出され、父に対する思いが募り、涙が出て仕方ありませんでした。

そんなある日、墓地で「墓石クリーニング」をしている人から「おたくも墓石クリーニングをしませんか」と勧められたのです。しかし、その費用がありません。〈そうだ、自分で掃除をしよう〉と思い立ち、お墓の掃除をはじめました。それが思いのほか面白く、「よし、この仕事を独立させよう」と決心したのです。その後、事業は順調に発展し、今では石材店として工場まで持つようになりました。

「どん底の生活」が「墓参」の実践に結びつき、その墓参により「自分が変わり」、「よい出会い」があり、石材店を営む「縁」を結んでくれたのです。結局、振り返って見れば「どん底の生活」が事業独立のきっかけとなったのです。

長い人生、道のりは山あり谷ありです。苦しくてもプラス発想で前向きに、良いことがあっても喜びすぎず、さらに気を引き締めて日々の実践を疎かにせず、最後には成功を手にしたいものです。

2008年9月5日金曜日

今週の倫理 (576号)より 自分が決めた通りに自分が生きていく

都道府県倫理法人会では、それぞれ会報を発行し、県内の活動ぶりや元気な企業を紹介しています。今回は千葉県の会報から抜粋したものを紹介しましょう。

その企業は二〇〇七年に「ベストバンカー賞」に輝いた千葉銀行です。同銀の竹山正氏は、平成十六年六月に頭取に就任。当時は不良債権の処理で金融関係各社が縮こまっている中、氏は逆に積極的な手を打ちました。まず支店を十月に二つ増やしたのです。また、他行は俗にいう「貸しはがし」の方向でしたが、氏は「目の前にチャンスがあるにもかかわらず、自己資本比率のためにやらないのは、将来のためにマイナスである」と、翌年十二月に五千万株の増資をしたのです。結果、自己資本比率を保ちながら、貸出を増やすことができました。

氏の経営手腕やステップアップ仕事術、風通しのよい職場づくり等は、氏の信条や生き方に一貫しているものがあります。「経営も人生も、ブレずに自分で決めた通りに生きていく」がそれです。氏は千葉県館山市の米屋の八男として生まれ、身近に千葉銀行の支店があり、毎日集金にくる行員の姿にあこがれ、大学卒後に憧れの同行に入ったのです。

氏は入行時に、皆の前で「愚痴を言わない、言い訳をしない、人の悪口を言わない。それらは絶対にしない」と宣言しました。

「この三つを口にする人には、〈常に自分は正しいのだ〉という心があります。〈景気が悪い、部下が悪いから成績が伸びない、上司が悪いから自分がダメになる〉などと言っていると、自分の成績が止まります。問題が起きた時に、〈自分に何が欠けていて、こういう結果になったのか〉を考えてこそ、ステップアップできるわけです。ところが、この三つを口にすれば、自分は正しいから努力する必要がないことになってしまう。だから、この三つは絶対にしないと決めたのです」

さらに氏は「逆に言えば、サラリーマンが口にしたがるのが、この三つなのです。私の場合は、高らかに皆の前で宣言することで、口に出せない状況をつくりました。それが自分のやりたいことを実現する秘訣です」と強調しています。

現在は、経営に大切な要素を三つ掲げて実践中とのこと。一つは「潮目、流れを見て人より早く対応し、早く決断し、人より先に行なう。そのためには自分の思うようにすぐにパッと動ける組織をつくる」です。普段は役員たちと同じ部屋で、すぐに結論を出せ、すぐ行動できるということです。

二つは「気力・体力・人間力そして、知力の充実」です。前三つはその人固有の問題ですが、知力はトップに魅力があれば借りられます。氏は朝から決裁がいっぱいあり、常に気力・体力が充実した状態で判を押すことが求められます。そのためにも生活を改め、人間力を磨くことを怠りません。

三つは「風通しをよくする」です。社員に明確なビジョンを示すためには、トップがより現場に近いところにいる必要があるとし、悪い情報も聞こえるところにいるのが自分流と語る氏です。

2008年9月2日火曜日

9月2日 モーニングセミナー 「事業経営は家庭から」

「長月」第一週の横浜市中央倫理法人会講師は、倫理研究所より大村秀明法人スーパーバイザーのご出席をいただきました。

遠い北海道よりお越しいただき、倫理研修とモーニングセミナーと二日間にわたって講話を聞かせていただきました。

講話の中では、栞の中の夫婦は一対の反射鏡(夫婦対鏡)のくだりを引用して、一番身近な人に認めていただき、家族のことに苦労をしてきた奥様を大切にしていくことの大切さを、上手にすらすらとお話ししてくださるのではなくゆったりと時には笑みを浮かべて穏やかにお話ししてくださいただきました。

お仕事は土木施工業者のためか、がっちりした体格なのですが、風貌に似合わないソフトな話し方は参加者を魅了しました。

また、大村先生は食事の問いにはお酒は全然飲めないとのこと。倫理の懇親会席上でもウーロン茶だそうです。

理由をおたずねすると漁師だった父上が大変な酒乱で見ていてつらかったとお話しされ、とてもつらかったといい、納得したとともに、なんだか自分も反省させられる気がして一杯控えめにいたしました。(苦笑

自己紹介の中で、こんな話もありました。
「北海道倫理法人会の役員会はどこが一番便利だと思われますか? 」
実は東京の羽田空港近辺のホテルと伺い、驚きました。

北海道は東北の6県を含んだ広さであり、道内の単会役員会に参加しようと思えば、
4時間から8時間、場合によっては途中で一泊しなければならないといいます。

このため、各地にある空港を利用して東京に集合するなら1時間30分程度で集まることのできる羽田空港周辺が一番便利だという話を伺った時には思わず失笑してしまいました。


最後に、次の文章を参加者に渡されました。

「夫の誓い」

1 妻あっての我が命 妻あっての我が転職であることをかみしめ ひとすじに妻を愛して人生の喜びを分かち合います。

1 気づいたことをさわやかに 的確に処置して心を曇らせず妻との時間を慈しみます。

1 天を敬い人々を愛し、妻と共に生きていて本当に良かったと言える今日一日が過ごせますように。

「妻の誓い」

1 あなたの心をふんわりと優しく包み込み聞き上手な妻として、今日一日が過ごせますように

1 人の喜びを我が喜びとし 人の悲しみを我が悲しみとしていつまでもあなたと共に人生への奉仕の道を歩み続ける美しい妻になれますように

1 今日も子供たちにあなたの輝きを語り、讃えることのできる妻でありますように

大村秀明法人スーパーバイザーご夫妻のモットーをきかせていただきましたが、我が家でも努力しなくちゃ。と考えてしまいました。(苦笑

文:横浜市中央倫理法人会 専任幹事 鵜飼稔