2011年7月26日火曜日

7月26日MS『気配り、心配りについて』@横浜市中央


本日の講師は神奈川県倫理法人会 事務局の東郷芳保(とうごう よしやす)氏、昭和18年1月31日、横浜市生まれの68歳。兄弟は姉・兄・姉の末っ子で晩産だった。明治の人は長男を大事にしたと言われるが、我が家もその通りで、小さいときは食事の内容でも兄と差をつけられてくやしい思いをした。が今になって考えると、長男は他と違う役目を与えられており、病気の父親に代わり働いて生計をたて、私の結婚のときには親代わりになってくれた。

 高校卒業後、日本石油に入社、地元の横浜製油所に配属されたが、3年後に札幌支店に異動、その後大阪の本・支店に勤務して、横浜支店に管理職で戻ったが、2年で千葉支店へ転勤した。10数年後特約店と日石の合弁会社設立の提案が認められ、その販売会社の専務となった。
 傘下に20数箇所のガソリンスタンドがあったが、その一つで『職場の教養』を置いてあったのに気づいたのが倫理と出会うきっかけとなった。所長自らトイレ掃除をして室内も非常にきれいで、業績も上がっていた。

 63歳で定年退職、誘いを受けてある会社に総務部長で再就職。社長から社員教育を依頼されたことから『気配り、心配り』を作成し、各事業所を行脚してその内容を話した。
 お客様とのコミュニケーションでこんな事例がある。大事なお得意先の会社の社長がお亡くなりになり、今日お通夜という当日の朝、本社に現地から連絡があった。連絡を受けた本社では大慌てで各種予定を変更し、通夜・葬儀に対応した。現地の営業はお得意先と日頃からもっと頻繁にお付き合いを深めるとともに、本社にも報告・連絡を的確にしていなければならなかった。要するに企業人として気配り・心配りが大きく欠けていたということである。
 16ページの冊子には上記コミュニケーションを含め、6項目について、事例付きで分かりやすく、気配り・心配りが必要なことが説明されている。

 最後に講師が座右の銘としているサミエル・ウルマンの『青春』の詩を朗読されました。いつまでも心だけは若く保ちたいと同感しました。


 広報委員長 萩野宏樹

2011年7月19日火曜日

7月19日MS『出会いの素晴らしさ』@横浜市中央


 本日の講師は発足時からの当会会員で、(株)市川総業 代表取締役の市川智志氏。横浜市磯子区在住、44歳。9年ほど前、当会立ち上げ時に横浜市北倫理法人会からの異動メンバーとして、設立活動に奔走した。そのなかで一番若かったこともあって、仲間から叱られながら使われたが、今では良い経験をしたと思う。
 かつては熱心に参加していたが、病気になったこともあり、モーニングセミナーの会場が桜木町に移ってからは初めてとのこと。
 平成2年に起業、一度も就職したことがないので、生意気なところがあるかもしれないという。

 中学3年まで野球をして横浜高校に進学したが、在学中は一度も甲子園に出場できず応援の機会がなかった。
 東京農大を目指していたが、失敗して土に関係のある?浅野工業専門学校土木科(4年制)に入学した。在学中、掃除の仕事をバイトで始め、面白く楽しいと感じた。丁度バブルに差し掛かったときで、人手不足で自分がバイトをしている会社に同級生などを紹介していたが、卒業して2ケ月後には友人を集めて自分で会社を起こした。オファーは沢山きていたが、清掃をやろうとする会社が少なかったので波に乗れた。
 (株)市川総業は現在、ビルの清掃・設備・警備など建物の総合管理業を主体にしている。

 仕事以外にも何か社会奉仕・社会貢献をしたいと考え、政治や行政の勉強もした。平成20年にはメキシコの孤児院への支援活動を通じて、米国・カルバーシティーの名誉市民として表彰された。
 4年前からエフエム熱海湯河原のパーソナリティをしている。毎週土曜日ゲストを呼んでトークしているので、ここでも色んな人との出会いがある。
 地元の森東小学校PTA会長などもしている。子供たちがのびのび遊べる場所を造っていきたい。
 一つ一つが色んな出会いから生まれた。人生はすべて出会いだと感じている。 

 8年前、身体を壊して昏睡状態に陥り、その年に3回入退院を繰り返した。拒食症になり1年間で体重が40㎏減った。姿を見られるのがイヤで誰にも会いたくない気持ちになったが、色んな人と出会い、表へ出ようと思い返した。
 政治家を志望して亀井静香氏に出会い、前回衆院選に出馬し落選はしたが、良い経験と力をいただいた。

 児童問題評論家、魅力アップ講座講師としても活動をしているそうで、積極的に色んな人と出会い、世の中のお役に立ちたいとの講師の今後のご活躍に強く期待します。

 広報委員長 萩野宏樹