2007年11月28日水曜日

今週の倫理 (535号)より 事実を直視しつつ真実を見定める

 企業コンサルタントの松浦氏は、人と会うことが仕事の大半を占めます。今でこそ人並のコンサルタントになったものの、かつては若気の至りで数知れぬ失敗を重ね、その都度多くの方々に導かれ、育てていただいたのです。そんな松浦氏にとり、忘れたくとも忘れられない人物にK氏がいます。

 K氏は北陸の小さな町で、生鮮食品を中心とした店を経営していました。見るからに人の良さそうな好人物で、周囲の人間が無理難題を持ちかけても、一切それに逆らわず、いつもニコニコしているのです。

 松浦氏も時々、担当地域の会員増強が思うように進まないと、厳しい声で「Kさん、申し訳ないが、一人で百名程度増強してください」と声を掛けます、するとK氏は、間髪入れずに「ハイ」と返事をするのです。 普通であれば、「自分だって仕事をしている身です。そんな時間も金もありません」と反論してもおかしくないのですが、ものの見事な受けっぷりなのです。

 ただしK氏の最大の欠点は、受けても実行に移したためしがないことでした。周囲は、そんな氏の性格を知っていたため、どこか見下すような思いで接していたようです。若い松浦氏も、K氏は返事ばかりで頼りにならない人物であると思うようになっていきました。

 ある雪の舞う冬のこと。松浦氏は仕事を終え、宿への戻り道で、小さな川に架かる橋を渡っていました。なにげなく川面に目を向けた時に、飛び込んできたものがあります。雪の舞う川の中に膝まで浸かり、一所懸命に洗い物をしている人がいます。こんな凍えるような中で、いったい何をしているのだろうと目を凝らすと、なんとそれはK氏その人だったのです。思わず松浦氏は、大きな声で「Kさん!」と呼びかけました。K氏は悪戯っ子が悪戯を見られたように、チョコンと頭を下げるだけでした。

 松浦氏はK氏のことが心にかかり、周囲に何気なく氏のことを尋ねてみました。K氏の母親は数年前に倒れ、全身マヒで寝たきりの生活。下のほうの世話を嫁であるK氏の妻がやろうとすると、「私は嫁の世話にはならん」と拒むため、長男であるK氏がその世話をしている。洗い物がたまると、シーツやオシメの下洗いのために、川の中で洗濯をしているとのことでした。

 松浦氏は一瞬、頭を殴られたような感覚にとらわれました。〈自分はどれだけK氏のことが分かっていただろう。表面だけを見て、あの人物はこうだ、ああだと決めつけていた〉と、浅薄な自分を恥じたのです。
 世の中には「事実」と「真実」があります。事実は実際に起きた事柄で、あの時あなたはこう言った、ああ動いたなど、確かに間違いはないことです。しかし必ずしも事実が真実ではないことを、私たちは心せねばなりません。事実の奥に隠された部分に、本当のものが潜んでいることがあります。その真実を突きつめる作業が、経営者には不可欠なのです。

 人の痛みや悲しみを共有できる感覚を磨くためにも、相手の立場に立ってものを考え、行動することを銘肝したいものです。

2007年11月27日火曜日

11月27日 モーニングセミナー 「原 三渓のおもてなしの心」



今日のMSは原三渓のひ孫にあたる西郷槙子様の講話。

西郷さんは、現在も中区本牧の三溪園の隣、原三溪の住まいだった隣花苑を運営されています。
この隣花苑では原三溪が考案し、招待客に振る舞ったそば(三溪麺)を今も伝えています。

紅葉が見頃のこの時期、三溪園を散策し、隣花園でそばを食べて、かの時代のもてなす心を感じてみるのも良いかもしれません。

2007年11月24日土曜日

いざ、称名寺へ! レクレーション委員会


 温かい日差しの中、倫理法人会のメンバーとその関係者の方々と、金沢文庫散策に出かけました。

下は小学校2年生の男の子から上は酒井 麻雄先生までと、幅広い年齢層の参加で、とても賑やかで和気あいあいとした雰囲気で金沢文庫を満喫しました。

 まず最初に、“文庫”という名前の由来から知る事ができ、とても勉強になりました。
今から730年前に北条実時が中国や日本の書物と、仕事で使う種類や記録を納めていた文庫を建てたことからついたそうです。その後鎌倉幕府が滅び、金沢北条氏の菩提寺称名寺が文庫をひきついだそうです。(※称名寺マップ金沢文庫参照)

 今回私たちにガイドをしてくださった酒井 宣子さん(横浜商工会議所金沢支部「エリア21街づくり委員会」)は、歴史に大変造詣が深く、いろいろな事を丁寧に、分かりやすく教えて下さいました。

そんな宣子さんの、称名寺を大切に思い、金沢文庫の歴史を語り継いでいる姿に感動しました。そして、今回のこの会を企画しました会員の加山 誠さんに感謝!感謝!です。

 私は現在でも多くの人に愛され続けている称名寺、北条実時の残した書物を大切に保管して現代に残してくださった多くの先輩方へ尊敬の念でいっぱいです。そして、自分の住んでいる地域をよく分かっていない自分が恥ずかしくなりました。もっともっと勉強しなくては・・・という思いが込み上げています。

これからも横浜市倫理法人会で、多くの事を学んでいきたいと思いますし、このような生の歴史体験も楽しみたいと感じましたので、レクレーション委員会では楽しい企画を実践していきたいと思います。(wriiten by Norimi Takahashi)

2007年11月21日水曜日

今週の倫理 (534号)より 絶対信頼こそが良き後継者を生む

経営者の最大の課題は、企業の存続と発展にあります。
企業は公器であり、創業者といえども自分の思いのままに会社を左右することなど出来ません。したがって、経営者にとって後継者の育成は大きな任務の一つとなります。

 東京市長として関東大震災後の復興に取り組んだ後藤新平は、「事業家は、金を残して死ぬのは下だ。仕事を残して死ぬのは中だ。人を残して死ぬのは上だ」という言葉を残しました。「人を残すこと」つまり、すぐれた後継者を育て上げることは、企業を永続的繁栄に導く最大の要件となります。

 金沢市でテイクアウト専門の寿司店「芝寿し」を経営する二代目社長・梶谷晋弘氏(法人スーパーバイザー)は、四十歳で社長に就任しました。しかし「社長継承記念と創業三十年」を期に、商品増産をはかるため新工場を建設したにもかかわらず、逆に減産の方向に進んでしまいました。

その原因は、新しい機械に慣れていなかったことにあり、そのうち慣れるだろうと高をくくっていましたが二、三週間経過しても生産量が予定通り上がらず、お客様からのクレームの電話が直接社長のところにかかってくる始末です。

 当時、年商二十億円の半分を掛けた投資でもあり、「何としてもこの窮地から脱出しなければ」と決意を新たにし、新工場の会議室にベッドを持ち込み、なぜ生産が計画通り進まないのかを自分で確かめたのです。    

 新工場が稼動し始めて四カ月目のある夜、いつものように生産ラインを見回っていたとき、腰が折れ曲がり足取りもおぼつかない年輩の女性の後姿が目に入りました。「人手が欲しいのは分かるが、腰の悪いお年寄りを働かせて、もしケガでもされたらどうする」と工場長に言うと、思いがけない言葉が返ってきました。

「あの方は社長のお母さんですよ。一カ月も前から深夜に出勤され、お手伝いをしてらっしゃるのです。息子である社長には言わないで欲しいと、口止めされています」

 百名近い女性が同じ白衣を着て働いているため、まったく気がつかなかったのです。来る日も来る日も家に帰れない息子を、黙ってみていられない母の思いが、パートさんと一緒に働かせたのです。社長はその時、母の小さな背中に手を合わせて、「一日も早く工場を稼動させます」と誓ったのです。

その後、従業員一丸となって取り組んだ結果、順調に稼動し始めました。一方、相談役の父親は「息子が直面している試練は、必ず本人が克服しそこから何か大きなものを学び取っていくに違いない」と、子に対する絶対信頼の心を持ち続けたといいます。母と父による「動」と「静」のサポートが、息子をさらに成長させたのです。

 人の育成に最も大切なものは「信」です。後継者に対して信の愛情を以て接するとき、道は拓かれます。「信は動いて愛となる。そして、すべてをうるおし、すべてを充たす。信には欠けるところがない。信は成し、信はみたす」(『万人幸福の栞』)のです。 

2007年11月20日火曜日

11月20日 モーニングセミナー 「平安時代 中期」



本日は酒井相談役の歴史シリーズです。

平安時代中期は政治的に非常に安定していた。
この頃が日本でもっとも女性が活躍していた時代である。

近代日本では、昨今女性が台頭してきたと思われがちだが、20世紀中は戦争が続き、いくさとなると男性社会になりがちなので、その頃の記憶から一見、男性が強かったと思いこんでいるふしがある。
日本の歴史の中では女性が中心にいて家業を取り仕切ることも多かったのだと相談役は言う。

(昔は良かった。ではなくて、昔から頭が上がらないのが男性軍なのでしょうな。(苦笑)

さらに、この頃の日本は階級制もあったが、女性が養子となりステップアップを繰り返した結果、海女が天皇家に入ることもできた。それは良い意味での抜け道であり、それ自体は良かったのかもしれない。
今の日本のようにキャリア・ノンキャリアなどで一線を画し、一切の抜け道も許さないような状況は、昔と比べて悪くなっている。と締めくくった。

歴史の話も今の状況に照らして聞くと楽しく聞けるものです。

2007年11月14日水曜日

今週の倫理 (533号)より まってました5万社、次の舞台は10万社

十一月九日~十日、東京のグランドプリンスホテル新高輪に於いて、「倫理法人会五万社達成記念大会」が開催されます。

 昭和五十五年十月、千葉県に倫理法人会第一号が誕生し、その記念式典の席上、滝口長太郎会長が「全国で一〇〇社の会員を単位とする倫理法人会を百ヶ所つくろう」と呼びかけてから、二十七年の歳月が経ちました。
 その間、平成二年に一万社を達成、十一年に二万社、十六年には四万社を達成しました。平成十九年度での五万社達成は、二万社達成記念大会に於いて誓われたのです。

 これまで倫理運動を支え、倫理法人会活動を推進してきた多くの先達や、献身的な普及活動を展開してきた倫友の方々の感慨・感動は、筆舌に尽くせないものがあるでしょう。

 今大会のキャッチフレーズは、「まってました5万社 次の舞台は10万社」です。これには倫理法人会が歩んできた歴史に対する万感の思いが込められています。また同時に、戦後六十二年を経て、完膚なきまでに骨抜きにされてしまったわが国の根幹を、倫理経営を推進する会員の輪を広げることにより、創造的に再生していくという強い決意を宣言したものに他なりません。

では、「次の舞台」の幕を開けるに向けて、私たちは何をなすべきでしょうか。 改めて言うまでもないことですが、それは「日本創生」を実現するためにこれまで保ち続けてきた緊張の手を、いささかも緩めることなく、さらにさらに倫理法人会の仲間づくりに驀進することです。

 なぜなら、日本を創造的に生まれ変わらせ、これからの国の根幹を支える人財を育てていくことが出来るのは「倫理経営を社是とする企業」しかないからです。

いまやわが国は、家族の絆が断たれ、人間教育の基盤とも言うべき家庭が崩壊の危機に瀕しています。ゆえに、企業こそがその最後の砦といっても過言ではない状況に陥ってしまっているのです。

 倫理法人会の「活動指針」に、次のような文言が謳われています。
 一、倫理の学習と実践の場を提供し、よりよい生活習慣とゆたかな人間性をそなえたリーダーを養成する。
 二、深く家族を愛し、篤く祖先を敬い、なごやかでゆるぎない家庭を築く人を育てる。
 まさに倫友企業こそが、真の人間教育を担い得る、そして「日本創生」を果たし得る、旗手であると言えるでしょう。

「仲間づくり」は、言葉でいうほど簡単ではないことは周知のとおりです。しかし、苦境にあえぐ経営者を一人でも多く救い、少しでも住みよい国柄を後世に残すことこそ、今を生きる私たち一人ひとりの重要な責務です。
 倫理法人会の皆様、こぞって「次の舞台」の幕を開けようではありませんか。

2007年11月13日火曜日

11月13日 モーニングセミナー 「深願」


本日のMSは法人スーパーバイザーの大熊富夫氏による講話です。

大熊氏の父は氏を中学までしか行かせてくれませんでした。
商売人に学歴は要らない。すぐにでも商売を覚えるべきだと、父は子を中学を出たとたん、日本橋近くの御茶屋さんに丁稚奉公に出します。

そこで氏は大人の世界で商売の基本を習いました。

また父からは「これからは土地が儲かる。100万円の土地を100回買ってでも一億円の土地を手に入れろ。」
と当時にしては壮大な夢物語を父から聞かされ続けました。

父は他の兄弟たちのように高校への進学は許してくれませんでしたが、氏の商才に気がついていたのでしょう。
自らの体が弱いこともあって早いうちから氏を鍛えるため働かせたのです。

父の亡き後、陰ながらずっと進学させてやらなかったことや氏の体を心配して眠れなかったという父のことを聞きました。

そしてそのとき大熊氏は千尋の谷へと突き落としてくれた父の深い愛情を知ったと言います。

今でも氏は商売で困ったことがあったときはお墓参りに行き、詳細に報告をしています。

そして、いまでは亡き父の願いの通り、数億の土地を手に入れ、さらに事業の拡大を続けているそうです。

2007年11月11日日曜日

11月9日 5万社達成記念



11月9日、10日の2日間かけて東京で開催された“倫理法人会5 万社達成記念大会”に参加してきました。
日本全国北海道から沖縄、私の故郷の鹿児島まで約2000人の方が参加しており、熱気とパワーのある大会でした。特に、体験者発表には“感動”いたしました。先輩方のいろいろな体験に涙したり、大声を上げて笑ったりと、参加して良かったという思いが込み上げてきました。私は、その中である会社を経営されている方の体験から「感動の花一輪」という言葉が心に残りました。この言葉には、その方のいろいろな深い意味が込められていますが、私は私なりに解釈をして、「これからの人生の中で実践していこう(出会う人達へ“花一輪”の優しさや思いやりを持って接する)」という気持ちになりました。

懇親会では懐かしい先輩方と会う事が出来ました。1年ぶりにお会いする先輩方にとても懐かしく、お元気でがんばっているお姿にこちらが新たなる“勇気”と“元気”を貰いました。仲間っていうものは、お互いの距離ではなく、同じ“志”なのだと再確認いたしました。またの再会を約束しましたので、今度お会いするまでに自分自身も成長していたい
と思っています。

 私は、この二日間を通して倫理の素晴らしさは“実践”なのだと改めて感じました。この多くの先輩方の話を聞いて感動するだけでは、何にもならない。自分が実践してこその“倫理”なのだと。そこで、早速自宅に帰ってから、“花一輪”の願いを込めてある人へ電話をしました。
私の妹は現在鹿児島に住んでいます。この11月1日にご主人が会社を辞め、独立をしました。
私にとっては、とても可愛い妹です。その妹夫婦が大変な時に、遠く離れた横浜からでは、何の応援もする事ができな
いと諦めていました。
が、その妹のご主人へ電話で“倫理”を紹介することができました。「これから会社を大きくしていくことも大切だが、
経営者として“倫理”を学んでいって貰いたいとう思いと、素晴らしい“仲間(友情)”を多く作って貰いたい」という話をしました。この実践こそが、この大会へ参加した私の一番の正直な気持ち(行動)だと思います。
これからも“花一輪”の思いを、素敵な仲間と共に“実践”しながら、がんばっていきます!それは自分の為、家族の為・・・ そして、“日本”の為だと信じて・・・。

(by 高橋幹事)

2007年11月8日木曜日

11月7日 定例役員会

7日の役員会では、レクレーション委員会から、忘年会の人数確認(最大20名)と、オークションを開催が決定しました。
また、金沢文庫町歩きは、加山氏にある程度スケジュールの企画をお願いすることになりました。

また、新年会は1月23日(水)の役員会の後になったとのことです。

レクレーション委員長、お疲れ様でした。(^_^)

定例役員会の際、配布される法人局局長 中西氏の書いたファイルを高橋幹事よりいただきましたので、こちらも併せて引用アップしておきます。

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「推進力は自らの実践力」   中西浩

経営とは、真面目だから、努力したからといって報われるものではない、といわれる。たしかに真面目も努力も成功するための必要条件ではあるが、十分条件とはいえない。

志(目的)と方向(手段)が時代の変化を見据え、正確に捉えているか。
多くの成功する経営者は、具体的な目標やビジョンを明確にもっているものだ。

そして、当たり前のことを、当たり前にアッサリやってのけている。また、失敗を重ねる経営者は「やってはならないことをやり、やらねばならないことをやらなかった」人である。
私たちにとって大事なことは、「そのことは知っている」というレベルでとどまるのではなく、それをいかに実行し、それなりの成果をあげることだ。

幹部役員の皆様は、それぞれの立場で精一杯努力なされておられますが、必要条件の段階でとどまっている幹部が、少なからずいます。どうせやるのであれば、もう一歩力強く踏み込み、倫理法人会憲章を徹底的に身読し、自らのものとして実践力を引き上げてほしいものです。

結果のでない実践など、服の上から腫れ物を撫で回しているようなものです。

我々が学んでいるこの「純粋倫理」は、やっただけ必ず結果が出るという、誤魔化しのきかぬ凄まじきものです。

気をゆるめず、現状に安住せず、前進しましょう。そして、自らの実践で自らの環境を突き動かしていきましょう。

今月は、皆様のおかげで、「5万社達成記念大会」が東京の地で開催されます。

心から厚くお礼を申し上げるとともに、今後とも「目本創生」に向けて、力強い働きをお願いし、共に歩んでまいりましょう。

2007年11月7日水曜日

今週の倫理 (532号)より 文化の本質を理解し日々の生活に活かす

十一月三日は文化の日です。

倫理研究所の定款に、「倫理研究所は、倫理の研究ならびに実践普及により、生活の改善、道義の昂揚、文化の発展をはかり、もって民族の繁栄と、人類の平和に資するを目的とする」とあり、信条(会員として日々心掛ける目標)の第四に「我等は、日本文化の本質を明らかにし、世界の文化を摂取して、生活の向上に努めます」と記されています。

では、日本文化の本質とは何を指すのでしょう。純粋倫理の創始者・丸山敏雄は次のように述べています。
日本神話は、世界各民族の中でも卓然とした特異性をもつ。その二つの焦点は、「太陽崇拝」と「生成の思想」(国産神話)である。これが倫理の世界に直ちに投射し、前者は親子・主従・上下を貫く「敬信の倫理」となって日本倫理の縦軸(宙)を打ちたて、後者は男女夫婦、性の絶対倫理を拡充して横にあまねく展開し、「場(宇)の哲理」を得て、「合一の倫理」を出現した。

太陽崇拝や性崇拝は、世界の古代民族すべてに共通する思想ですが、原始の姿のまま純粋に伝統され、しかも民族生活の中に溶け込んでいるのはわが国の他にないと断言しています。
先人が残したわが国固有の文化は、のちに移入された仏教文化、儒教文化やキリスト教文化を取り入れ同化し、新たな文化をつくりあげました。そしてさらに、西洋科学技術文明をも取り入れて、世界屈指の文明国家・日本を築いてきたことは周知の通りです。 

さらに「世界の国々には、まだまだ日本の文化に勝るとも劣らない優れたものがある。これらを取り入れて、なお生活の向上を図り、世界に貢献していこう」と、戦後間もない時期に丸山は提言したのです。
日本文化の本質について、とくに学ぶ機会のなかった私たちは、その心を日常生活の場に活かすことができませんでした。純粋倫理を知り、親に対するあり方や夫婦愛和の生活の大切さを学ぶようになって初めて、日本文化の本質を理解できるようになったと言えましょう。

太陽崇拝や生成の思想が、「敬信の倫理」や「合一の倫理」の根本にあるということを、あらためて私たちは見直さねばなりません。現在、私たちが個々の人生を歩めるのも、命の源である親祖先につながり、多くの人、物、自然の恵みを受けているからだという感謝の心を培うことが肝要です。

社会生活の基地である家庭において、親子・夫婦が心を一つにできなくては、もろもろの幸福は生み出されません。世の仕組みに則った生活を深めていかなければ、幸福への道を歩むことはできません。
「道は近くにあるのに、遠くに求めてしまうのが人間である」と、孟子は戒めています。遠い祖先によって育まれてきた日本文化の本質を徹底理解し、そして今度は自分たちが後世に伝えていけるよう、心して生きていきたいものです。

2007年11月6日火曜日

11月6日 モーニングセミナー 「倫理の上にも3年」




本日のMS講師は、横浜市磯子区倫理法人会・大上副会長でした。
ご自身が約4年前に入会され、300回以上のMSに参加された中から
心に残るMSや倫友との出会いのお話をしていただきました。

冒頭の自己紹介では、1943年生まれで『ALWAYS三丁目の夕日』に
出てくるような街並みでの少年時代について、可愛らしい同級生の
女の子(もしかしたら初恋の人?)と遊んだことなどをとても嬉しそうに
懐かしそうに語っていらっしゃる姿がとても印象に残りました。

そして、倫理法人会との出会いの中から「歴史を学び自分自身の中に
何らかの形で活かしていこうという気持ち」「人としてどうあるべきか」など
数多くのことを学ばせてもらったというお話を具体的な事例を交えて
お話いただきました。

それにしても300回のMSの講話を振り返ることができるだけキチンと
記録を残されている大上さんには脱帽いたしました!

いつも力むことなく自然体で「良いものは淡々と実践していく」大上さんの
実直なお人柄がひしひしと伝わってくるとても良いMSでした。



講話終了後には、入会式が行われ、加山さんご紹介の瀬在さん
の入会式が行われました。