2008年1月29日火曜日

1月29日 モーニングセミナー 「感謝と喜び」


本日のMSは川崎区準倫理法人会会長、頼経健治様の講話です。

にこやかな笑顔が印象的な頼経氏の、その笑顔の裏には様々なご苦労がありました。

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企業の立て直す時期では、他を顧みることも出来ず、ただひたすらに「働け!働け!」と社員に言っていました。
私のことを慕ってくれ、毎晩遅くまで仕事をしていた社員に、私は一言のねぎらいの言葉も言う事が出来ず、悲しい思いをさせたことがありました。

そんな時、ある人に「あなたの出来ない仕事を、従業員や協力会社の方々が変わりにしてくれているのですよ」という言葉に、はたと気づき、それからは周りへ感謝の気持ちを持つようになりました。

「人間は一生のうち、逢うべき人には必ず逢える。
    しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に――。」

森信三氏との出会いで、これからは利益から心の時代なんだと感じました。
それが、私の倫理との出会いでした。 

そして、1994年2月の鍵山秀三郎氏との出会いが、さらにその後の活動への大きな変化となり、鍵山さんのおっしゃる“会社のトイレを、社長が掃除する“を自ら実践するようになりました。
まず、便器に手を突っ込んで、便所を掃除するぞ!という決意で行います。
始めの頃は、わざと社員に見えるように掃除しましたが、そのうちに人が見ているかどうかは関係なくなってきました。

人間は感動すると、体が動きます。トイレ掃除から始まった活動が、そのうち道路を掃除するようになり、範囲はどんどんと広がっていきました。
広がった清掃範囲を見渡したとき、きがついたら自分の会社が施工した建物もドンドン建っていました。そのとき、「あ、こういう出会いだったんだな。」と感謝と喜びを感じたわけです。

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7年前に大病を患った頼経さんですが、体調管理を万全にし、今も元気に倫理活動にいそしんでいらっしゃるそうです。

2008年1月28日月曜日

今週の倫理 (544号)より 義務と責任を意識し、日本創生に取り組もう

正月恒例の「箱根駅伝」が、今年もファンを沿道に、そしてテレビの前にクギづけにしました。これを見ないと正月が来ない、という人もいます。箱根駅伝に対するこれほどまでの人気は、一体どこにその秘密があるのでしょう。

 もっとも大きな要因は、学生たちが母校の名誉を担い、少しでも速く、少しでも前へという意識を持ち、そして受け継いだ襷(タスキ)はどんなことがあっても、次のランナーに手渡さなければならないという強い責任感を感じながら必死に走る姿に、大きな感動を覚えるからでしょう。

 駅伝ランナーたちのひたむきな姿は、今の日本人が失っている大切な心を思い出させてくれます。その心とは、ズバリ「責任感」です。すなわち、「自分は国の歴史と会社の永続、そして家の流れの中で、先人・先輩・親祖先が遺してくれたものを、より良い状態にして、子や孫にしっかり受け継いでいく重要な役目を担っている『命のリレーランナー』なのだ」という責任です。

日本人が、この「責任感」を喪失してしまった要因にはいろいろ考えられますが、何よりも大きな要因は、自分が因って立つところをまったく意識しなくなったことでしょう。自分が現在、どういう組織の中で生きているのか。その組織は、どのような歴史を持ち、その中で私たちはどのような恩恵を享受してきたのか、また現在受けているのかという自覚です。

 私たちは、地球という大自然の中で、太陽の熱と光、水や空気のおかげで生かされています。日本という組織の中で生活をさせてもらっています。さらに日本は世界の一員であり、世界という組織にも所属していることになります。最も身近な組織では、会社・家族という集団に属します。これらの組織は多くの歴史という時間を刻み、これからもその歩みを続けていくでしょう。その中で私たちは、あの駅伝ランナーたちが強く意識していたような「使命と役割」「義務と責任」を負っているのです。
ところが今日、多くの人は、それを放棄してしまっているように見受けられます。その結果、日本は今のような危機的状況になっていると言っても過言ではありません。

 それでは、日本の危機を克服し、日本を創生するために、私たちは何を為すべきでしょうか。箱根駅伝に出場した選手たちが異口同音に語るのは、「自分たちがこうして走ることができたのは、両親や合宿所のオバサンのお蔭です。そして監督の指導と控え選手たちの熱い思いがあったからです」という感謝の言葉です。

 まさに人間の気力、体力、とくに最後まで諦めない力の源泉は、自分の足元を忘れない「感恩・感謝・報恩」の心なのです。

 倫理運動の創始者は、「恩の自覚は、愛国心の根元であり、愛国心こそ、産業・交通・教育・政治、また道義の推進力でもある」と述べています。今こそ私たちは、「自分が現在生きていられるのは、いったい誰のお蔭なのか」ということを明確に自覚し、「駅伝選手の心」を持って、日本創生に取り組んでいこうではありませんか。

2008年1月24日木曜日

平成20年新年会


1月23日、ブリーズベイホテルにて和やかに新年会を行いました。(参加者21名)
今年も皆様にとって良い一年になりますように。

2008年1月23日水曜日

今週の倫理 (543号)より 確固たる倫理観が企業盛衰の鍵をにぎる

昨年は経営を取り巻く環境で、驚愕するような不正・偽装事件が頻発したことは、今も記憶に残っていることでしょう。
多くの旅行客が買い求める、銘菓や名産品を販売する企業による諸問題。賞味期限や商品の中身を偽って販売するということ等は、本来は逆に経営者が充分に意識し、注意しなければならない事柄でした。
人の生活と密接する食。その安全性は、本来企業が徹底して管理しなければならない問題であるにもかかわらず、その扱いがあまりにも杜撰で、経営者の人格が問われる出来事であっただけに言葉を失います。商品を製造販売した経営者は、何も知らずに食している顧客のことを、果たしてどう考えていたのでしょうか。自社の商品を一度でも食したことがあったのでしょうか。
 法を無視すれば責任が問われるのは当然ですが、十年前に倫理性が問われた事件や不祥事が頻発した際、岡山大学法学部の神山敏雄教授が「夕刊フジ」に次のような記事を寄せました。
 企業倫理は、企業として踏み行なうべき道ということになるが、(中略)しかし、現在では企業倫理のほとんどは法律によって規範化されていないものである。たとえ法律違反でなくても、企業倫理に違反する行為があれば、それは法以前の企業倫理の観点から社会的批判を浴び、新たな立法によって禁止される場合がある。
その後の世の動きを見ると、神山教授が指摘した通り、倫理にもとる企業は法的に罰せられています。倫理という、人の道を甘く見て、そして踏み誤った企業は、やがて世の中から淘汰されています。
この世は、きめごとによって成り立っている世界です。企業が発展繁栄の道を歩むためには、「倫理」を甘く見てはなりません。今こそ経営者は気を引き締め、社が一丸となって倫理経営の推進をはからねばなりません。
では、企業盛衰の鍵をにぎる「倫理」の実践には、いかなるものが挙げられるでしょうか。その鍵は、多くの経営者が過去に歩んできた道の中にあります。
第一は、「きめごとを守る経営者であること」です。経営手腕に長けていることが企業繁栄の道を歩むことにつながりますが、それだけではありません。その根本に、人間性の確立があって初めて、社会全般からの信頼が得られるのです。「徳は基なり、財は末なり」と言われます。徳を磨かなければ、企業の繁栄は為し得ません。
第二に、「創業者・先代・親につながること」です。今、自分がここにこうして存在できるのは、親祖先から命を分け与えていただいたからであり、経営者としての立場が全うできるのは、創業者・先代のお蔭であるという根源的な恩に目覚めることが、非常に重要な意味を持ちます。
第三に、「夫婦愛和の生活を目指すこと」です。なぜならば、生成発展の基がそこにあるからです。「商売は、夫婦の和合がその根本である」との所以が、そこにあります。
私たちは、多くの人やたくさんの物や、移り変わる自然の恵みを、その身いっぱいに受けて商売が成り立っていることを決して忘れてはなりません。「恩の自覚」こそが、人間の程度を推し量る物差しであるといわれます。多くの恵みに感謝しつつ事業に徹し、大きな仕事を成し遂げていきたいものです。

2008年1月22日火曜日

1月22日 モーニングセミナー 「磨こう実践!輝かせよう自分を!」


本日のMSは社団法人倫理研究所法人局 小川太郎首都圏副方面長の講話です。

永続的に企業が繁栄する要素として、3つあげられます。

1 利潤性
2 社会性
3 人間性

1の利潤性については、企業が利益を生むものであることは言うまでもありません。
2の社会性については、社会に必要とされることと言う意味です。提供するモノやサービスが社会のニーズにあっていなければ、受け入れられないのも当然です。

では、3の人間性とは何か?

これは経営者の人間性が重要であるということです。

昨年のキーワード「偽」などに代表されるように、企業理念や方針、方向性が間違っていないか?といった問題は、いずれも経営者の人間性の問題にかかっています。

この人間性を磨く勉強をするのが、倫理法人会なのです。

数学では1足す1は2ですが、人間の世界ではそうとばかりではありません。
1足す1は3にも10にもすることができます。しかしながら、お互いの足を引っ張り合うなどすれば、0.5などに減ってしまうこともありますから、まずは自分自身を正しく「1」にすることが必要になってきます。

これも経営者の人間性です。

倫理法人会で純粋倫理を学ぶ多くの仲間と出会い、明るく仲良く喜んで実践していくと、この足し算がプラスにすることができるようになるのです。

2008年1月16日水曜日

今週の倫理 (542号)より 実行は己を変え、継続は力となる

「知りて行なわざれば、知らざるに等し」
 ゴルフを理論的にいくら勉強しても遠くへ真っ直ぐに飛ばすことができないように、学びは実行されなければ、何の意味もなさないことを表わした格言の一つです。
 インターネットなどの情報ツールの発達により、簡単に必要な知識を得られる現代ですが、実行が伴っておらず、〈豊かに生きる〉ための学びから大きく逸脱している状況が多く見られます。
 よいと思ったら実行に移し、繰り返し行ないましょう。習慣化することが人生を豊かにし、会社を発展させることにも繋がっていくのです。

東京都M市に工務店を構えるA氏は、低迷傾向にある建築業界にありながら、創業から現在に至るまでの三十六年間、赤字決済はなし。環境性に優れ、経済性、耐久性にも考慮した住宅を取引業者と連携して開発し、東京都街づくりプロジェクトに参画する四社中のひとつに選ばれ、昨年はグッドデザイン賞、エコビルド賞などを受賞しました。モデルハウスには現在も同業者・行政・国内外建築家が訪れます。
A氏は「決めたことは必ずやる」「継続は力なり」を三十年来のモットーにし、独立するときに決めた「職人や下請け業者をいじめない」「お客様の一生一度の住宅づくりである」などの理念を一貫して実施していくと共に、倫理を学び始めてからは、早朝の道路清掃、社内トイレや床の清掃を毎日行なっています。
あきらめず、妥協せず、言動で示し続けた氏の姿勢が、人や環境を大きく変えていきました。数十年間、人材育成に費用と時間を掛けてきた氏にとって、社員が率先して清掃するなど、積極的な言動に変わり社風が刷新しつつあることを、心から喜んでいます。
良いと思ったら、とことん行なう氏の姿勢は、私生活でも健在です。経営者セミナーに参加し、妻への感謝を実感。その日に帰宅後、即実行に移し、詫びと感謝を一週間行なって以来、妻への朝の挨拶を毎日続けています。
「三年後には後継者に代表を譲ります」と社内外に伝える氏の言葉には、自信と確信に満ち溢れています。
       ▽
生きていく中で、人は反射神経と同じように独自の習慣や習性を身につけるといわれています。自他共に喜ばれ、前向きな習慣を身につけているか、あるいはそうでないかでは、豊かな人生を創造する上で大きく違ってきます。
悪癖から脱却し、成功のレールに乗るためにも、「知っているだけでは何も変わらない」ことを心に留めましょう。良いと思ったら志を立て、率先して実行し、「雨垂れ石を穿つ」「盥(たらい)の水を箸で回す」などの言葉にあるように繰り返して行ない、さらには人に影響を及ぼしていくところまでとことん取り組み、成功の栄冠を自らの手で掴んでいきたいものです。
継続は力なり。「反復」は間違いをなくしていくばかりではく、生活に節を入れ、引き締め、活を入れ、動かぬ信念を育むのです。志は実行によっていよいよ高まり、継続によって確立していくのです。

2008年1月15日火曜日

1月15日 モーニングセミナー 「チャンスの神様をつかまえよう 一期一会」



今日のMSは下平久美子さんの講話です。

下平さんは元日本航空国際線スチュワーデス、現在は株式会社リファイン代表取締役・日本交流分析協会の理事をされています。

最近では心理学を通じてのカウンセリングでを行っているが、その際気づくことは、傷はだれでも受けるものなのに、その傷から立ち直るのが遅い人が増えてきている。といいます。

自己肯定ができない人が増えていて、すぐに「私にはできない。無理。」という。

それは誰が言ったのか?誰が決めたのか? と尋ねると、そのほとんどが「えーっと、誰かに言われたかな?」と首をかしげる。

自分で決めているだけの人がほとんど。

「やってみなくちゃわからない。」「きっとできる。」との自己肯定的な思考を行うことで、他者否定にならないようになっていってほしい。とお話しいただきました。

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スチュワーデス時代の失敗談も大変おもしろかったので、ご紹介します。

ある日のフライト。国際線機内で突然の大きな揺れ。
普段は冷静な言葉遣いを心がけているのだが、瞬間的に「おっとやべえ。」と漏らしてしまう。

それを聞き逃さなかった乗客が、「上席を呼べ!」とのクレーム。
「何というしつけの悪いスチュワーデスを使っているのか!」など一時間以上も上司と一緒にお詫びをする羽目になった。

一緒に謝ってくれた上司はこれまでたくさんのことを教えてもらった大の恩人。この上司に多大な迷惑をかけたのだから、この人から「おまえはもう辞めろ。」といわれたら素直に辞めようと思い、上司に謝罪しにいった。

ところが上司の反応は違った。
「部下のために頭を下げるのがオレの仕事。これからも、いくらでも頭ぐらい下げてやる。」

「これまで指導したスチュワーデスもオレに頭を下げさせたヤツほど、でっかくなっている。お前もきっといいスチュワーデスになれるから、頑張れ。でっかくなれよ。」と励まされた。

また、下平さんがJALの試験に受かり、初フライトを迎えた日のこと。
完全に舞い上がってしまい、何をして良いかわからなくなって、先輩スチュワーデスの間をちょろちょろと邪魔ばかりしているところを一番上のスチュワーデスが見るに見かねて「新人は何もできなくて良いから、笑顔と挨拶だけしていなさい。」と叱られる。

へこんだ気分でいた時に、白髪のアメリカ人の乗客から声をかけられました。
彼は「コーヒーを一杯いただきたい。」と言います。

やっと廻ってきた自分のできる仕事だ!と意気込んで、おいしいコーヒーをたっぷりと注いで持っていった。
サービスのつもりでめいっぱい注いだコーヒー。それがいけなかった。

飛行機の揺れで、注文してくれたお客様のベージュのズボンにコーヒーをこぼしてしまった。

それからの後始末は、頭が真っ白になって、どうしたのか今でも覚えていない。

着陸がすんで、乗客をお送りする時、コーヒーをこぼしてしまった相手にまた会ってしまった。
その場から逃げ出そうとしたが、やさしく呼び止められた。

「小さな、かわいいスチュワーデスさん。失敗はしたけれどあなたが一生懸命やっていたのはみんなが見ていたよ。きっとよいスチュワーデスになるから、頑張りなさい。」と、やさしく私にもわかるゆっくりとした英語で話しかけられた。

人はコーヒーをこぼされても、相手に思いやったり優しい言葉をかけることができるのだということを教わった。

貴重な体験を、楽しくお話しいただいたMSでした。

2008年1月9日水曜日

今週の倫理 (541号)より 視点はグローバルに 実践は足元から

不思議な号外新聞をご紹介致します。『豪快な号外 笑い楽しみながら30秒で世界を変えちゃう新聞』という名称で、チーム・ゴーゴーという団体の発行です。
倫理研究所が推進する「地球倫理」の理念と共通するところがあり、地道な実践ぶりがうかがえます。
「自然と共に生きているネイティブアメリカンは『何かを決めるとき、七代先の事を考えて決める』といいます。自分たちが生きる今だけでなく、ずっと先の未来の子供たちのことを考えて行動するのです。私たちが未来の子供たちの事を考え、今、地球温暖化を止めるためにできる事はたくさんあります。それも、ガマン、忍耐は必要なし! 楽しみながら今すぐにできる三〇の方法を紹介します」
たとえば次のような方法です。
□買い物の時は「このままでいいです」とレジ袋を断わり、風のように立ち去ろう。
□お尻を拭く時、トイレットペーパーはちょっぴり短く使おう。
□買い物をする時、奥にある賞味期限の新しいのを買わず、手前から買おう。
□お風呂は愛する人と電気を消して、ろうそくの灯りで一緒に入ろう。
□冬は厚着をして暖房の温度を下げ、夏は部屋を「ここはサウナだ」と言い聞かせよう。
思わず笑ってしまうものもありますが、誰しもが身近に楽しく取り組めることを第一に提唱しているのです。

倫理研究所二代目理事長の故丸山竹秋会長が提唱した「地球倫理」には、次のような具体的な実践項目が示されています。
地球倫理の推進
□緑をふやそう
 ①木を植える ②緑を大切にする
□ゴミを減らそう
 ③清掃を徹底する ④ゴミを持ち帰る
□紙を節約しよう
 ⑤紙を大切に使う
□エネルギーを大切にしよう
 ⑥電気を節約する ⑦ガソリンを節約する
□水を大切にしよう
 ⑧水を無駄にしない⑨水を汚さない
□リサイクルをはかろう
 ⑩回収し、再生する
(『世紀の歩調』より)
地球環境の保全は、現代社会においては最も重要な課題です。「号外新聞」と同様、足元から取り組む実践の大切さを教えています。
私たちは、つい今自分たちが満足できればそれでよいかのような錯覚を起こしがちですし、また大きなことに取り組まないと環境保全にはつながらないと考えがちです。
先に引用したネイティブアメリカンの精神のように、『何かを決めるとき、七代先の事を考えて決める』という考え方は、地球倫理の推進と同じように、自分という枠を超えて、グローバルな視点から地球環境を見つめ直す必要性を示唆しています。
一人ひとりが少し意識と行動を変えるだけで地球に優しくなれることを自覚し、今年もますます実践を継続したいものです。

2008年1月8日火曜日

1月8日 モーニングセミナー 「新年式」



今年の横浜市中央倫理法人会モーニングセミナーが始まりました。

今日は、社団法人倫理研究所 丸山敏秋理事長の年頭の挨拶を酒井相談役が朗読していただきました。

抜粋:

昨年度の倫理法人会は法人会員組織として5万社を達成して、意味深い年でありました。
11月には5万社の達成記念大会も盛大に開かれ、「日本創生」を掲げる倫理法人会の認知度が大きく上がったと思います。
また、新しい切り口の「家庭倫理セミナー」の実践や、各種出版物も多く発行させていただき、純粋倫理を広めるのに大きく役立ちました。
数々の事業がいずれもうまくいったのも、ひとえに会員の協力によるものです。
今年も「教育の再生」や「家族の絆」、「自然とのつながり」など純粋倫理を実践すべきことがたくさんあります。
今年もみなさまと一緒に純粋倫理を広めていきましょう。

(本当はとても長いのですが、私のヒアリングによるものなので、短く端折っていることをお許しください。)

次に、上村会長の挨拶。

「昨年から引き受けた会長職ですが、各委員会の委員長が活発に活動をしてくれているおかげで、横浜市中央倫理法人会が順調に運営できていることに、大変感謝しています。倫理を学ぶなかで、『万人幸福の栞』を読み、実践をすればモーニングセミナーに参加しなくても良いという人もいますが、私は会友と会い、一緒に純粋倫理を学ぶことに意義を感じており、今年は栞の勉強会も開く予定でいます。横浜市中央倫理法人会はガチガチで堅すぎると言われることも多いのですが、純粋倫理を学ぶために参加し、その中から楽しさを見いだせる会にしていきたいと思っています。」

(こちらも私のヒアリングによるものなので、短かかったり、ニュアンスが違うなどあるかもしれません。(汗)

会長挨拶のあと、今年の抱負を各自が述べました。

萩野さん:
整理整頓、両親との生活を大事にする、健康管理(ラジオ体操と1日2万歩)

佐藤(日)さん:
強い行動力をもとう。

小倉事務長:
中央の事務長として、財政改革。個人的には人見知りをせずにもっと気軽に声をかけられるようにしたい。同じ時間に寝起きをするなど生活のリズムを作りたい。

加山さん:
挨拶、返事、後始末。なかでも後始末を今年は徹底して行いたい。

後藤:
先手を打っていきたい。早すぎても遅すぎてもだめ。ジャストより少しだけ早く。

佐藤(克)さん:
MSへの出席率50%をキープしたい。音楽活動にも傾注したい。

高橋さん:
今年は1文字、「志」。

酒井相談役:
日本人に生まれて良かったと思う国づくり、そのために「日本創生」への最大限の努力。

三橋さん:
普段から怒りっぽいので、できるだけ怒らないことが目標。
そして、お酒とも少し距離を置きたい。(苦笑

前嶋さん:
今年は「動く」。仕事面でも積極的に営業活動などを行っていきたい。
新規事業も探っていこうと思っている。

守田さん:
仕事とNPOを高い次元で両立させたい。

井上みなとみらい準倫理法人会会長:
倫理を基本から勉強しようと思う。

浜田さん:
ていねいに、きれいな仕事、明るく素直にすごす一年にしたい。マメに体も動かしていく。

鵜飼専任幹事:
初心に返り、一生学ぶことを再認識する。

上村会長:
親孝行と家族との時間を増やしたい。
仕事面では、自らすすんでやっていきたい。
倫理では、もっと仲間意識を高めていきたい。

。。。みなさんの抱負、間違っていたらご指摘ください。m(__)m

では、今年も一年よろしくお願い申し上げます。

2008年1月2日水曜日

今週の倫理 (540号)より 耳を、目を、傾けて夫婦の語らいを楽しもう

新年あけましておめでとうございます。


「男は一歩外に出れば七人の敵がいる」と言いますが、「家に帰れば八人目の、そして最も手強い敵がいる」という経営者も少なくないようです。家庭という心身のエネルギー補給基地が充分に機能していなければ、働きは不完全燃焼にならざるを得ません。
倫理法人会においては、自己の向上をはかるとともに愛和の家庭づくりを目標にしています。その実践の一つに挙げられるのが「妻の話をよく聞くこと」です。
       *
ある経営者夫人の会合で「夫に改めて欲しいことを一つだけ挙げるとしたら」という質問が投げかけられたところ、最も多く寄せられた回答が「話を聞いてくれないこと」でした。「人の話を聞く」という行為は、簡単なようでいて、なかなか難しいものです。とりわけて家庭生活の場では、夫はよく聞いているつもりでも、妻に言わせれば「全然聞いてくれない」という不満の種となり、それが重なることから次第に夫婦の心が離れていくケースが多いのです。
 A氏は「話は耳だけで聞くのではない」と教えられて以来、次の実践に取り組んでいます。新聞を開いている時やテレビのニュースを聞いている時に話しかけられると、新聞を閉じ、テレビを消し、妻に顔を向けて話を聞くようにしました。すると、それまで愚痴めいた言葉の多かった妻が、近頃では機嫌がよくなってきたといいます。
〈しっかりと目を見て、真剣に聴いてくれている〉という姿勢が、妻の心を変えたのでしょう。
日常交わされる「おはようございます」「おやすみなさい」「いただきます」「ごちそう様でした」「行って来ます」「ただいま」という挨拶や感謝の言葉も、相手を見て言うことです。「夫婦は空気のような存在」と言われます。身近な存在だけに、ややもすると対応がなおざりになってしまうのです。
会話を通して連帯感を高めるポイントに、「目を見る」「うなずく」が挙げられますが、「合わせる」ことも肝要です。数学の世界では「1+1=2」ですが、人間同士ではそうなるとは限りません。声をかけ合い、心を一つにすることにより、二人分の力が、連帯感の高まりによってそれ以上の力として発揮されるのです。
歌人の俵万智さんの作品に「『寒いね』と話しかければ『寒いね』と答える人のいるあたたかさ」があります。
寒い日、「寒いね」という配偶者の言葉をそのまま受けて、「寒いね」と合わせる。そのことによって、二人の間にあたたかい何かが生まれてくる。〈受容されている〉という妻の安心感によって、夫の働きはより充実したものとなります。
「すべてが、夫婦の心が一致しているかいないか、にかかっている」(『万人幸福の栞』第五条)のです。
       *
日頃は何かと忙しく、すれ違いの多い夫婦でも、年末年始は一緒に過ごす時間が多くなるものです。この無二の好機に、夫婦の語らいを楽しみ、一年の労をねぎらいながら感謝して、新たな一歩を踏み出す英気を養っていきたいものです。
(短歌出典『サラダ記念日』・河出書房新社刊)

2008年1月1日火曜日

鷹が豚鳥と呼ぱれて        塚本三郎

取戦によって廃墟となった日本社会で、占領軍が与えたチョコレートにたかる少女の姿は、老人となった私達に、消し難い記憶となっている。だが、それがすぺてではない。

敗戦によって我々は、家屋も、職場も、そして食糧も失った。しかし、すべてを失った世の中となっても、「今に見ておれ」と云う戦勝国に対する「怨念」と共に、一億総懺悔の「反省」と言う、善悪合わせた「日本人の魂」だけは残された。

敗戦直後、八ワイ州知事が、廃墟の東京を訪れた。そして、駅前で小学生らしい子供が、靴磨きをしている。ススダラケの顔を厭わず、一生懸命に私の靴を磨いている。そして思わずパンにたっぷりジャムを塗り付けて、その子に食ぺなさいと与えた。その子は悦んで食べるかと見ていると、ポケットからハンカチを出して、パンを包んでしまいこんだ。
なぜ食べないのかと聞けぱ、家には三歳の妹が居る、「こんな美味しそうなパンを妹に食べさせてやりたい」と答えたのに私は感激した。これが本当の日本人だ。日本はきっと立ち直る、「やがてこの東京も、立派に世界の眼を引く都となると確信した」。当事者の言を新聞で読んだ。敗戦直後のことを思い出す。

国乱れて忠臣あらわる。日本の各部門の指導者は、勝者米国の長所を取り容れて、今日にみる日本を築き上げた。その後の繁栄は「国乱れて忠臣を」見事に演じて、世界の手本となっている日本と目負して良い。
一番の敵であった米国をも先輩として学び、理不尽に押し付けられた不公平な講和条約も、日米安全保障条約も、憲法も、平和の声として、おおらかに受け容れて今日に至った。

敵も氷遠の敵ではない。味方も永遠の味方ではない。諸行無常は世の習いと覚悟した。
稼ぐに追いつく貧乏なしは、戦中、戦後に育った長屋暮らしの一般家庭の、子供達への合言葉であった。

やる気になれぱ、どんな仕事でも在る。好き、嫌いを選ばなけれぱ、焼け跡の廃屋の片付けから、僅かな空地に種を蒔いての食糧の生産まで。田舎の農夫は、都会の便所の汚物を求めて肥料とした。それが普通人の日常であった。その魂が今日の日本を造り上げた。

●鷹が豚鳥となった

インド洋に、モーリシャスという島が在る。その島には人間は住んでいないが、豊かな緑の島には、鳥にとって大事な餌が充分に生息している,難破し漂流して、この島に辿り着いた或る船員の物語りを思い出す。
難破した近くに小さな島を見つけ、ようやく泳ぎ着いた。もちろん船の中にすべてを残したが、小刀をはじめ、僅かの小道具を待ち出すのみ。

島に人は居ない。空腹となっても、それらしき食べ物がない。耳をすませぱ鴇の鳴き声がする、海辺に丸々と太った鳥が群生している。これは良い餌だと狙って、そっと近づくが、鳥は逃げない。鳥に近づき両手で捕らえても逃げようとしない。鳥は人間の恐ろしさを知らない。鳥を料理して食べたらおいしい。

その男は、その鳥を常食として生き永らえた。そして、料理した肉を干して貯えもした。
やがて、島の近くを通りかかった舟に助けられて、故郷に戻った。その男は鳥の干物を土産に、舟の人達に贈った。この難破船の話な有名である。

鳥は本来、高くから下を眺めて、餌の在りそうな処を探し求めて飛び回る。
鳥は餌を求め苦労して、羽を拡げて遠くへ飛ぶから雄々しく美しく育った。

飛ぶ必要がなくなれぱ、鳥の羽は次第に退化してゆく。同時に体は肥大化していった。
モーリシャスの鳥は美しく豊富な餌があるから、高く飛ばなくても、地上を歩くだけで充分である。
この島を発見したヨーロッパの人々は、飛べない鳥を見て、「豚鳥」と呼ぴ、それを捕まえて、焼いて食ぺるとたいへん美味しかった。その結果、豚鳥は捕獲され、どんどん減少して、遂に十七世紀末には絶滅してしまったと伝えられている。

●変り果てた日本人

戦後、ハワイ州知事の抱いた日本人の印象を、多くの外国の人達が共有した。
六十年後再び年老いて訪れた外国人の眼には、同じ日本人の姿と行動が、モーリシャスの豚島の如き印象に変り、これが以前と同じ日本人なのかと、驚きの眼で見られている。

現に台湾から、韓国から、中国から、多くの人達が祖国の権力者に敵視され、祖国を追われた。幸いにも日本を自由の地とあこがれ、数十年程前に日本人に帰化した。
この人達は、現在の日本を憂いの眼で私どもに忠告している。「日本は余りにも急速に退化している」と。彼等は言う、日本人は豊かさの深淵にどっぶりと浸かって、幸福の中で、なお不幸をかこっている。理想の地と求めた日本が、我々のかっての祖国の状況よりも衰えてゆくのではないかと心配する。

中国の若者も、韓国の若者も、大学を卒業しても職を求めるのに必死である。日本人は、眼の前に仕事が沢山あるにもかかわらず、やれ二ートだ、フリーターだと、自己満足だけではなく、自分の性に合った職がないと、贅沢に不足を述べている、と。

心ある日本人も嘆いている。
女の髪が金色に染められているのは、美しさを求めるとしても、男の子までが髪を染めているのは、日本人と生まれたことを不幸と感じているのか、と問うてみたくなる。
そして、グルメブームの日本は正常な姿だろうか。テレピは一日中、どこのチャンネルでも、おいしいの声の連続である。豊穣の海に浸った日本人の前途に、憂いは深い。

●努力目標を捨てたら亡びる

日本人は未だ白人は優秀だと信じているのか。特に米国の影響なのか、日本では、「末は博士か大臣か」が、世に云う努力目標であった。それが六十年の間に、社会から見事に消されてしまった。適者生存は、生きるものの宿命である。それなのに、立身出世の考えは古い。努力して、他に先んずるよりも、平等こそ平和の根本だと勝手に考えている。

金文学氏は次のように書いている。
十六年前、初来日した頃の日本の光景、特に電車のなかの日本人たちの表情は、中国では見られないものでした。和気あいあい、穏やか、優しさ、幽静、端正など和の心が表に出ていました。しかし、現在は著しく変ってしまいました。
日本青少年研究所の調べでは、「将来偉くなりたい」と答えた日本の高校生は8%、中国は34%、米国は22%,韓国は18%だったと伝えている。偉くなることが人生のすぺてではないにしても、人生の目標、上昇志向が低下した日本の若者は、死んだマグロの目をしている。目標を失っに若者の心が顔に表れている。

世界を見渡してみても、日本ほど政治を政治家ではなく、一部の政治プロに任せる国民は存在しない。政治家のリーダーへの関心は、テレピのインタピューに表れているように、政治的才能、器量ではなく、「人気」です。政治への関心ではなく、タレントの人気投票と変りません。
〔金文学著『目本国民に告ぐ』祥伝社)

●仏教は説く

昭和十九年の秋、日本は敗色濃厚となり、本土が爆撃の下にされつつあった。その時、友人の誘いによって、私は仏教を聞く機会を得た。
正しい者が不幸になるはずはない。それなのになぜ日本は危ないのか、と問えば此の世の中は善因善果、悪因悪果です。「正しい者が不幸になることは決してない」と、経文に説かれているから読んでみなさいと云われた。
爾来敗戟とその後の六十年間、一日も欠かさず経典の一部を仏前で読経することを日課の一つとして今日に至っている。

金殿玉楼の内に育った釈迦は、人間の生、老、病、死の四大苦の真実を求めて、王宮では実惰がわからないからと隣国へ逃れ、乞食として流浪の生活を続けた。
食に飢えた時、たまたま頂いた一杯の羊の乳が、余りにも美味しかった。美味しい食ぺ物は王宮の生活と比べて、まず空腹こそキメテである、と悟った。
因果応報は、天の摂理と釈迦は「法華経方便品」で説く。王宮を逃れ、八十歳に至るまで、一介の乞食として流浪の生活体験から、修行者として、「天のさだめと、人生の生き方」を悟り、その数々を弟子達へ七千余巻の経巻にまとめ説かれている。

この世は蒔いたもの以外は生えない。恵みも、罪も、他人の仕業ではない。自分の縁、即ち、心掛けと行動がすべて、例外なく芽生える。国家と雖も例外ではないと説く。
日本の歴史及ぴ現実は、余りにも、仏説の「いきうつし」ではないか。

敗戦の悲劇は、やがて敵であるアメリカをも味方とし、同盟国として繁栄の年月を経た。
そして「支那人」と見下し続けた隣の中国が、今日では、日本にとって最大の脅威となりつつある。中国はなぜ日本に対する脅威の隣人となりつつあるのか?

貧しかったことも、豊かになったことも、そして豚鳥に例えられる今日の日本も、すべて、因果の歯車の、狂いなき「天の道」ではないか。釈迦はそれを仏法と説き、キリストは神と崇めたのではないか。神も仏も人間を不公平には扱わない。
中国とインドには、十億を超える人間という宝がある。アラブ諸国には石抽が在る、ロシアには天然ガスがある。米国とプラジルには無限の生きた大地が在る。
日本には、石油も、天然ガスも、「地下資源」は殆どない。しかし、「天上の資源」は豊かである。春、夏、秋、冬の季節は、人間生活に四季折々の変化が、衣、食、住の見事な文化を造らせた。この天からの贈り物は、光と風を送り続けている。

二十一世紀は環境の時代となった。それは水の時代である。アラブ諸国では、「油よりも真水」の値段が高い処もある。海水を真水に変える技術も世界羨望の的となっている。
地下資源は使えば無くなる。天の恵みも、技術も、大切に使えぱ永遠の宝である。
世界一、水の恵の国が日本である。悪しく受ければ、氾濫と洪水と津波に変わる。
それを悟れと説く仏教の鋭さを、日本国の政治に採り入れ、五九三年、聖徳太子は国政に参画し,六〇四年、十七ヶ条の憲法を制定した。太子の魂は、以来一千四百余年間、日本人の魂とし、伝統として皇室の尊厳を保ち、国体となっている。

新しい年こそ、豚鳥ではなく再び鷹として生き返ろう。

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※平成十九年十二月下旬に執筆者から酒井相談役に寄せられたものを年頭に掲載しました。