取戦によって廃墟となった日本社会で、占領軍が与えたチョコレートにたかる少女の姿は、老人となった私達に、消し難い記憶となっている。だが、それがすぺてではない。
敗戦によって我々は、家屋も、職場も、そして食糧も失った。しかし、すべてを失った世の中となっても、「今に見ておれ」と云う戦勝国に対する「怨念」と共に、一億総懺悔の「反省」と言う、善悪合わせた「日本人の魂」だけは残された。
敗戦直後、八ワイ州知事が、廃墟の東京を訪れた。そして、駅前で小学生らしい子供が、靴磨きをしている。ススダラケの顔を厭わず、一生懸命に私の靴を磨いている。そして思わずパンにたっぷりジャムを塗り付けて、その子に食ぺなさいと与えた。その子は悦んで食べるかと見ていると、ポケットからハンカチを出して、パンを包んでしまいこんだ。
なぜ食べないのかと聞けぱ、家には三歳の妹が居る、「こんな美味しそうなパンを妹に食べさせてやりたい」と答えたのに私は感激した。これが本当の日本人だ。日本はきっと立ち直る、「やがてこの東京も、立派に世界の眼を引く都となると確信した」。当事者の言を新聞で読んだ。敗戦直後のことを思い出す。
国乱れて忠臣あらわる。日本の各部門の指導者は、勝者米国の長所を取り容れて、今日にみる日本を築き上げた。その後の繁栄は「国乱れて忠臣を」見事に演じて、世界の手本となっている日本と目負して良い。
一番の敵であった米国をも先輩として学び、理不尽に押し付けられた不公平な講和条約も、日米安全保障条約も、憲法も、平和の声として、おおらかに受け容れて今日に至った。
敵も氷遠の敵ではない。味方も永遠の味方ではない。諸行無常は世の習いと覚悟した。
稼ぐに追いつく貧乏なしは、戦中、戦後に育った長屋暮らしの一般家庭の、子供達への合言葉であった。
やる気になれぱ、どんな仕事でも在る。好き、嫌いを選ばなけれぱ、焼け跡の廃屋の片付けから、僅かな空地に種を蒔いての食糧の生産まで。田舎の農夫は、都会の便所の汚物を求めて肥料とした。それが普通人の日常であった。その魂が今日の日本を造り上げた。
●鷹が豚鳥となった
インド洋に、モーリシャスという島が在る。その島には人間は住んでいないが、豊かな緑の島には、鳥にとって大事な餌が充分に生息している,難破し漂流して、この島に辿り着いた或る船員の物語りを思い出す。
難破した近くに小さな島を見つけ、ようやく泳ぎ着いた。もちろん船の中にすべてを残したが、小刀をはじめ、僅かの小道具を待ち出すのみ。
島に人は居ない。空腹となっても、それらしき食べ物がない。耳をすませぱ鴇の鳴き声がする、海辺に丸々と太った鳥が群生している。これは良い餌だと狙って、そっと近づくが、鳥は逃げない。鳥に近づき両手で捕らえても逃げようとしない。鳥は人間の恐ろしさを知らない。鳥を料理して食べたらおいしい。
その男は、その鳥を常食として生き永らえた。そして、料理した肉を干して貯えもした。
やがて、島の近くを通りかかった舟に助けられて、故郷に戻った。その男は鳥の干物を土産に、舟の人達に贈った。この難破船の話な有名である。
鳥は本来、高くから下を眺めて、餌の在りそうな処を探し求めて飛び回る。
鳥は餌を求め苦労して、羽を拡げて遠くへ飛ぶから雄々しく美しく育った。
飛ぶ必要がなくなれぱ、鳥の羽は次第に退化してゆく。同時に体は肥大化していった。
モーリシャスの鳥は美しく豊富な餌があるから、高く飛ばなくても、地上を歩くだけで充分である。
この島を発見したヨーロッパの人々は、飛べない鳥を見て、「豚鳥」と呼ぴ、それを捕まえて、焼いて食ぺるとたいへん美味しかった。その結果、豚鳥は捕獲され、どんどん減少して、遂に十七世紀末には絶滅してしまったと伝えられている。
●変り果てた日本人
戦後、ハワイ州知事の抱いた日本人の印象を、多くの外国の人達が共有した。
六十年後再び年老いて訪れた外国人の眼には、同じ日本人の姿と行動が、モーリシャスの豚島の如き印象に変り、これが以前と同じ日本人なのかと、驚きの眼で見られている。
現に台湾から、韓国から、中国から、多くの人達が祖国の権力者に敵視され、祖国を追われた。幸いにも日本を自由の地とあこがれ、数十年程前に日本人に帰化した。
この人達は、現在の日本を憂いの眼で私どもに忠告している。「日本は余りにも急速に退化している」と。彼等は言う、日本人は豊かさの深淵にどっぶりと浸かって、幸福の中で、なお不幸をかこっている。理想の地と求めた日本が、我々のかっての祖国の状況よりも衰えてゆくのではないかと心配する。
中国の若者も、韓国の若者も、大学を卒業しても職を求めるのに必死である。日本人は、眼の前に仕事が沢山あるにもかかわらず、やれ二ートだ、フリーターだと、自己満足だけではなく、自分の性に合った職がないと、贅沢に不足を述べている、と。
心ある日本人も嘆いている。
女の髪が金色に染められているのは、美しさを求めるとしても、男の子までが髪を染めているのは、日本人と生まれたことを不幸と感じているのか、と問うてみたくなる。
そして、グルメブームの日本は正常な姿だろうか。テレピは一日中、どこのチャンネルでも、おいしいの声の連続である。豊穣の海に浸った日本人の前途に、憂いは深い。
●努力目標を捨てたら亡びる
日本人は未だ白人は優秀だと信じているのか。特に米国の影響なのか、日本では、「末は博士か大臣か」が、世に云う努力目標であった。それが六十年の間に、社会から見事に消されてしまった。適者生存は、生きるものの宿命である。それなのに、立身出世の考えは古い。努力して、他に先んずるよりも、平等こそ平和の根本だと勝手に考えている。
金文学氏は次のように書いている。
十六年前、初来日した頃の日本の光景、特に電車のなかの日本人たちの表情は、中国では見られないものでした。和気あいあい、穏やか、優しさ、幽静、端正など和の心が表に出ていました。しかし、現在は著しく変ってしまいました。
日本青少年研究所の調べでは、「将来偉くなりたい」と答えた日本の高校生は8%、中国は34%、米国は22%,韓国は18%だったと伝えている。偉くなることが人生のすぺてではないにしても、人生の目標、上昇志向が低下した日本の若者は、死んだマグロの目をしている。目標を失っに若者の心が顔に表れている。
世界を見渡してみても、日本ほど政治を政治家ではなく、一部の政治プロに任せる国民は存在しない。政治家のリーダーへの関心は、テレピのインタピューに表れているように、政治的才能、器量ではなく、「人気」です。政治への関心ではなく、タレントの人気投票と変りません。
〔金文学著『目本国民に告ぐ』祥伝社)
●仏教は説く
昭和十九年の秋、日本は敗色濃厚となり、本土が爆撃の下にされつつあった。その時、友人の誘いによって、私は仏教を聞く機会を得た。
正しい者が不幸になるはずはない。それなのになぜ日本は危ないのか、と問えば此の世の中は善因善果、悪因悪果です。「正しい者が不幸になることは決してない」と、経文に説かれているから読んでみなさいと云われた。
爾来敗戟とその後の六十年間、一日も欠かさず経典の一部を仏前で読経することを日課の一つとして今日に至っている。
金殿玉楼の内に育った釈迦は、人間の生、老、病、死の四大苦の真実を求めて、王宮では実惰がわからないからと隣国へ逃れ、乞食として流浪の生活を続けた。
食に飢えた時、たまたま頂いた一杯の羊の乳が、余りにも美味しかった。美味しい食ぺ物は王宮の生活と比べて、まず空腹こそキメテである、と悟った。
因果応報は、天の摂理と釈迦は「法華経方便品」で説く。王宮を逃れ、八十歳に至るまで、一介の乞食として流浪の生活体験から、修行者として、「天のさだめと、人生の生き方」を悟り、その数々を弟子達へ七千余巻の経巻にまとめ説かれている。
この世は蒔いたもの以外は生えない。恵みも、罪も、他人の仕業ではない。自分の縁、即ち、心掛けと行動がすべて、例外なく芽生える。国家と雖も例外ではないと説く。
日本の歴史及ぴ現実は、余りにも、仏説の「いきうつし」ではないか。
敗戦の悲劇は、やがて敵であるアメリカをも味方とし、同盟国として繁栄の年月を経た。
そして「支那人」と見下し続けた隣の中国が、今日では、日本にとって最大の脅威となりつつある。中国はなぜ日本に対する脅威の隣人となりつつあるのか?
貧しかったことも、豊かになったことも、そして豚鳥に例えられる今日の日本も、すべて、因果の歯車の、狂いなき「天の道」ではないか。釈迦はそれを仏法と説き、キリストは神と崇めたのではないか。神も仏も人間を不公平には扱わない。
中国とインドには、十億を超える人間という宝がある。アラブ諸国には石抽が在る、ロシアには天然ガスがある。米国とプラジルには無限の生きた大地が在る。
日本には、石油も、天然ガスも、「地下資源」は殆どない。しかし、「天上の資源」は豊かである。春、夏、秋、冬の季節は、人間生活に四季折々の変化が、衣、食、住の見事な文化を造らせた。この天からの贈り物は、光と風を送り続けている。
二十一世紀は環境の時代となった。それは水の時代である。アラブ諸国では、「油よりも真水」の値段が高い処もある。海水を真水に変える技術も世界羨望の的となっている。
地下資源は使えば無くなる。天の恵みも、技術も、大切に使えぱ永遠の宝である。
世界一、水の恵の国が日本である。悪しく受ければ、氾濫と洪水と津波に変わる。
それを悟れと説く仏教の鋭さを、日本国の政治に採り入れ、五九三年、聖徳太子は国政に参画し,六〇四年、十七ヶ条の憲法を制定した。太子の魂は、以来一千四百余年間、日本人の魂とし、伝統として皇室の尊厳を保ち、国体となっている。
新しい年こそ、豚鳥ではなく再び鷹として生き返ろう。
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※平成十九年十二月下旬に執筆者から酒井相談役に寄せられたものを年頭に掲載しました。
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