2011/10/25

10月25日MS「13歳でベトナム難民として来日して」@横浜中央



本日の講師は日越ものづくり機構 副代表 宇円盤 幸 氏です。
子供時代、家は海の上でつくられていた。海では鰈や小さいマグロ、
エビが採れた。鮫はあまり居なかった。現在はレストラン、ホテル、
高層ビルが建てられている。正月はトランプで楽しんだ。小学校は1クラス45人、5クラスあった。アルファベットのWとZは使わない。最初の脱出は小学校3年8歳の時で50人から70人で脱出を図ったがばれてしまった。11回目の脱出は一部はばれてしまったが、縦2.5m、横4.5mの船に43人乗った。食料、水は4日分、1日1食節約した。5日目の未明、アメリカのタンカーに発見された。船のエンジンが故障したのでタンカーに乗せてもらうことができた。米国のタンカーは大阪行きだった。大阪ではバスが2台待機していた。くつも履かずスリッパだった。難民センターでは初めて日本食を食べた。23名は、アメリカ、フランス、オーストラリアを希望した。バスで品川の難民センターに移された。ここで欧米に行く23名と別れた。センターではひらがな、カタカナ、読み書きを覚えた。成田で久しぶりに母に会い、空港内のレストランで一緒に食事をとった。古い一軒家で家族で生活できた。
7年が経ち父はリストラに会い、定時制に通いながら働いた。学校は休んだことはない。神奈川大学に推薦編入した。7時半に家を出て、白楽に9時、バイトと学校で忙しかった。ベトナム語の講師として働いた。高校4年のとき日本に帰化した。300人程が日本に帰化できた。2005年板金屋さんで研磨のリーダーとなった。溶接では4つの資格を取った。その後退職を希望した。日本とベトナムの架け橋になることを希望した。昨年11月にスタートしたばかりですがよろしくお願いします。

本日は23社、23名、ゲスト様は北倫理法人会 園部幹事でした。

広報委員長 奥直博

2011/10/20

10月18日MS「経営者の目指すもの ~利他の精神の実践」@横浜中央



本日の講師は、 (株)オカニワマネジメントサービス代表取締役で倫理研究所法人局法人スーパーバイザー 岡庭武利氏、昭和14年埼玉生まれ。公認会計士、税理士、元NHK文化センター講師。


会社や社員、お客様を大切にされるスーパーバイザー岡庭氏の人柄が感じられる講義でした。内容は1.経営とは「環境適応業」である。2.経営とは、「経」のタテ軸と「営」のヨコ軸からなっている。3.生命の原点に回帰する。4.希望は、心の太陽である。5.利他の精神の実践。


本日の参加は23社、23名。ゲストは、神奈川県倫理法人会第一地区長 上野博之氏(アシストクルー株式会社)、横須賀市倫理法人会 会長 小田洋氏(株式会社エムアイシー)でした。
広報委員長 奥直博

2011/10/04

10月4日MS 会員スピーチ 

今朝のMSはプルデンシャル生命の若林弘章さんと、須藤事務所の須藤啓子さんによる会員スピーチ。


若林弘章さんの学生時代は野球に明け暮れ、野球による推薦入学も検討したほどの若林さんは在学中に宅地建物取引業資格を取得、大手不動産会社へ就職を果たして店長職もこなし、今は生命保険を通じて多くの経営者達に会えることで日々学びを得ているとお話されました。
倫理法人会ではお互いを尊敬しあう人たちからのよい影響を受けているとのこと。

須藤啓子さんは両親の温かい家庭から自由奔放、のびのびと育てもらったことに感謝し、とても素直な性格のまま野村證券へ入社。経理部から主計局、監査役室と大変な職責を担いながらも、職場に順応し早期退職時には100人規模の送別会を開いてもらったとのこと。
会社の行事で覚えたボーリングも持ち前の「やるからには中途半端にはやらない。」という信念から、かなりの腕前と伺いました。

倫理法人会に入られた仲間の話は普段聞けないお互いを知るとてもよい機会ですね。
 本日の参加者は23社23名でした。

横浜市北倫理法人会の右城副会長にもお越しいただきました。ありがとうございました。


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若林一声さんの行ってきた長年の笑いを通じた慰問などボランティア活動が認められて、東宮御所にて皇太子ご夫妻に謁見することと相成りました。
若林一声さんおめでとうございます!

2011/08/23

8月23日MS 「100組の新郎・新婦の笑顔」~笑顔は人生のパスポート~@横浜市中央


 本日の講師はスマイル&マナーコンサルタント、ヴィナカ 代表の高橋 美緒氏、生粋の横浜育ち。「アニヴェルセル表参道」というウェディングの館で5年間接客・接遇の専属講師を務めていたので、今日の話しのタイトルにこのような名前を付けたという。
 早速アイスブレイクとして、受講者が2人1組になってジャンケンをする。負けた方が相手の美点を一言ほめる、このジャンケンを繰り返すゲームだ。リズムカルに相手を即座にほめるのがよいそうだ。自然と互いに良い笑顔になっていく。

 小・中学校の頃はいつも下ばかり見ている、笑顔が全然できない目立たない子だったとのこと。電機会社に就職して、総務のOLに。挨拶と笑顔にだけは人一倍気を遣った。博覧会のコンパニオンに応募して経験後、イベント会社に移り制作・運営に携わった。
 「共育」を自分の仕事にしたいと考え、研修会社を経て上記のウェディング会社に入社したとのこと。昨年、笑顔を基軸とした研修・セミナー・講演などを行うコンサルタントとして、「ヴィナカ」を立ち上げた。

 「アニヴェルセル表参道」に勤めていたときのこと。ここには本格的なチャペルがあり、ウェディングでのページェント・スタイルが売りとなっていた。新郎・新婦が館の周りを歩く間、ゲスト・従業員のみならず街の人たちからも祝福されるのだ。笑顔が輝いている組はまことに素晴らしい。心からおめでとうと言ってあげたくなる。無表情な組には輝きはない。
 感じの良し悪しは口元から。歯を見せるのが自然な笑顔。口角を少し上げるだけで感じが良くなる。そこでコツをつかむため、笑顔のつくり方のトレーニング開始。割り箸を唇で挟んでの表情筋・大頬骨筋を働かすストレッチ、2人1組のスマイル体操を楽しく行いました。

 笑顔の効用として
①ホルモンの分泌により免疫力が高まり、健康に良い
②お客様に好感度を与えられればリピータに結びつき、自身もやる気が出て儲けに繋がる
③笑顔は周りに伝染し、従業員が変わる

 注意することが教育だと思ってしまいがちですが、相手に常に関心を持って小さなことでもほめることの方が、楽しい環境をつくり互いのテンションを上げるのに効果的かもしれませんね。

 広報委員長 萩野宏樹

2011/08/18

100社達成記念 花火鑑賞会


昨晩は横浜市中央倫理法人会の100社復帰達成記念として、ホテルモントレ横浜にて花火鑑賞会を開催致しました。

今年は震災の関係から、横浜市では通常3回の花火大会が昨晩の一度だけとなり、35万人の人出であるというアナウンスもありました。

通常利用する宴会場やレストランからの景色とは違い、屋上から見る花火はさほど熱くなることもなく夏の夜空に大輪の花を咲かせていました。

2011/08/09

8月9日MS「我が国の領土問題・その解決策」@横浜市中央


 本日の講師は元海上保安大学校 校長 三宅教雄氏、昭和7年台湾生まれ。中学1年のときに終戦で内地に引き揚げたとのこと。海上保安庁一筋で30有余年、第2管区本部長などを歴任後、昭和63年に海上保安大学校校長に就任した。

 本日の演題に領土問題を取り上げたのは、海上保安庁の仕事の中に領土保全のための領海警備がある。現場は非常に苦労しているが、何年経っても旧態依然で全然変わらない。
 退官して何とかならないかと歴史を紐解くと、不合理なことが多々ある。私なりに考えた結果、こうすれば解決に近づくのではと思っていることをお話しする。なるほどと思う部分があれば世間に広めてほしい。

 わが国には領土を示す国内法がないのが根本的な問題。

1.北方領土
 ロシアによる終戦直前の侵攻により、北方4島の不法占拠が続いている。

2.竹島
 1952年、李承晩ラインを設定し、竹島(島根県隠岐郡五箇村)を取り込む。 
 1954年、韓国軍が不法占拠し、以来実効支配が続いている。

3.尖閣列島
 膨大な石油資源の埋蔵が報じられてから、中国・台湾が相次いで領有権を主張しだす。

4.中国共産党の沖縄属国化工作
 「琉球共和国」を建設し、中国共産党の支配下に置こうとするもの。

 これら領土紛争はサンフランシスコ平和条約で、我が国放棄領土の帰属先を明確にしなかったことに起因する。そこで締結国を招請して多数決により解決策を見出すよう、米国政府にその取りまとめを要請するのが、我が国周辺の安全保障にも役立つとの方策を示された。

 領土・領海に関係したロシア・中国・韓国などの身勝手・横暴な振舞いには歯軋りすることが多いのですが、声をあげなければ打開に向けて進展しませんね。


 広報委員長 萩野宏樹

2011/08/02

8月2日MS 「昆虫採集に魅せられて」@横浜市中央


 本日の講師は小田原紙器工業株式会社 代表取締役の木崎 庸雅(きざき つねまさ)氏。小田原市倫理法人会の会長をされている。最初に会社の紹介があり、富士写真フィルム(株)小田原紙器製作所から分かれた会社で、15年位前までは写真フィルムの包装箱が中心だったそうだ。デジカメ化の進展によりほとんど皆無になり、今では富士写真フィルムからの仕事は以前の半分になってしまった。そこで食品包装箱・CDジャケットなど紙加工品・段ボール箱などの製造を行っているとのこと。

 本日はご自身の趣味であり、研究対象にしている昆虫に係わる昆虫採集全般についてのお話をいただいた。日本甲虫学会正会員で、私設博物館「はこね・おだわら昆虫館」の副館長、神奈川県立「生命の星地球博物館」友の会会員として、子供たちへの自然観察指導等のボランティア活動を続けている。
 昆虫採集の方法も本格的で、講師が実際に使用している大きな網に8mほどの柄の付いた実物を示していただいた。このくらいでないと高さが届かないので調査の役に立たないという。トラップを用いる方法として、パンストの一部にバナナを入れ、木に吊るして昆虫を呼び寄せて採集する方法を実演された。
 ここで講師からのプレゼントとして、土曜日の夜にご自身が私たちのために地元で採集してくれたカブトムシとミヤマクワガタの紹介があり、お孫さんなどにどうぞと用意してくださった。

 昆虫が独自の進化を遂げるといわれる離島へ講師はしばしば調査に出掛けており、「離島アドバイザー」を自称している。北海道は利尻島・礼文島から沖縄は石垣島・与那国島まで、希望に応じた離島を紹介できるという。

 講師が専門に研究している昆虫はハナムグリとのこと。500種位いて色彩変化が非常にあって新知見を専門誌・学会誌へ発表している。研究対象とするにはきちんとした記録データや標本の作成・保存が欠かせない。

 自然環境保護や昆虫ビジネスの問題もあり、昆虫採集にも採集禁止などの規制がかかってきているが、一般的には学習のための昆虫採集で生息に大きな影響を与えることはない。むしろ自然と触れ合うことで子供たちの心が豊かになる。昆虫採集などの遊びを普及していければと、言葉を結ばれました。

 講師がいつも元気で溌剌とされている理由の一端が分かった気がしました。

 広報委員長 萩野宏樹

2011/07/26

7月26日MS『気配り、心配りについて』@横浜市中央


本日の講師は神奈川県倫理法人会 事務局の東郷芳保(とうごう よしやす)氏、昭和18年1月31日、横浜市生まれの68歳。兄弟は姉・兄・姉の末っ子で晩産だった。明治の人は長男を大事にしたと言われるが、我が家もその通りで、小さいときは食事の内容でも兄と差をつけられてくやしい思いをした。が今になって考えると、長男は他と違う役目を与えられており、病気の父親に代わり働いて生計をたて、私の結婚のときには親代わりになってくれた。

 高校卒業後、日本石油に入社、地元の横浜製油所に配属されたが、3年後に札幌支店に異動、その後大阪の本・支店に勤務して、横浜支店に管理職で戻ったが、2年で千葉支店へ転勤した。10数年後特約店と日石の合弁会社設立の提案が認められ、その販売会社の専務となった。
 傘下に20数箇所のガソリンスタンドがあったが、その一つで『職場の教養』を置いてあったのに気づいたのが倫理と出会うきっかけとなった。所長自らトイレ掃除をして室内も非常にきれいで、業績も上がっていた。

 63歳で定年退職、誘いを受けてある会社に総務部長で再就職。社長から社員教育を依頼されたことから『気配り、心配り』を作成し、各事業所を行脚してその内容を話した。
 お客様とのコミュニケーションでこんな事例がある。大事なお得意先の会社の社長がお亡くなりになり、今日お通夜という当日の朝、本社に現地から連絡があった。連絡を受けた本社では大慌てで各種予定を変更し、通夜・葬儀に対応した。現地の営業はお得意先と日頃からもっと頻繁にお付き合いを深めるとともに、本社にも報告・連絡を的確にしていなければならなかった。要するに企業人として気配り・心配りが大きく欠けていたということである。
 16ページの冊子には上記コミュニケーションを含め、6項目について、事例付きで分かりやすく、気配り・心配りが必要なことが説明されている。

 最後に講師が座右の銘としているサミエル・ウルマンの『青春』の詩を朗読されました。いつまでも心だけは若く保ちたいと同感しました。


 広報委員長 萩野宏樹

2011/07/19

7月19日MS『出会いの素晴らしさ』@横浜市中央


 本日の講師は発足時からの当会会員で、(株)市川総業 代表取締役の市川智志氏。横浜市磯子区在住、44歳。9年ほど前、当会立ち上げ時に横浜市北倫理法人会からの異動メンバーとして、設立活動に奔走した。そのなかで一番若かったこともあって、仲間から叱られながら使われたが、今では良い経験をしたと思う。
 かつては熱心に参加していたが、病気になったこともあり、モーニングセミナーの会場が桜木町に移ってからは初めてとのこと。
 平成2年に起業、一度も就職したことがないので、生意気なところがあるかもしれないという。

 中学3年まで野球をして横浜高校に進学したが、在学中は一度も甲子園に出場できず応援の機会がなかった。
 東京農大を目指していたが、失敗して土に関係のある?浅野工業専門学校土木科(4年制)に入学した。在学中、掃除の仕事をバイトで始め、面白く楽しいと感じた。丁度バブルに差し掛かったときで、人手不足で自分がバイトをしている会社に同級生などを紹介していたが、卒業して2ケ月後には友人を集めて自分で会社を起こした。オファーは沢山きていたが、清掃をやろうとする会社が少なかったので波に乗れた。
 (株)市川総業は現在、ビルの清掃・設備・警備など建物の総合管理業を主体にしている。

 仕事以外にも何か社会奉仕・社会貢献をしたいと考え、政治や行政の勉強もした。平成20年にはメキシコの孤児院への支援活動を通じて、米国・カルバーシティーの名誉市民として表彰された。
 4年前からエフエム熱海湯河原のパーソナリティをしている。毎週土曜日ゲストを呼んでトークしているので、ここでも色んな人との出会いがある。
 地元の森東小学校PTA会長などもしている。子供たちがのびのび遊べる場所を造っていきたい。
 一つ一つが色んな出会いから生まれた。人生はすべて出会いだと感じている。 

 8年前、身体を壊して昏睡状態に陥り、その年に3回入退院を繰り返した。拒食症になり1年間で体重が40㎏減った。姿を見られるのがイヤで誰にも会いたくない気持ちになったが、色んな人と出会い、表へ出ようと思い返した。
 政治家を志望して亀井静香氏に出会い、前回衆院選に出馬し落選はしたが、良い経験と力をいただいた。

 児童問題評論家、魅力アップ講座講師としても活動をしているそうで、積極的に色んな人と出会い、世の中のお役に立ちたいとの講師の今後のご活躍に強く期待します。

 広報委員長 萩野宏樹

2011/06/28

6月28日MS 『後継者の育成(体験に基づいて)』@横浜市中央


 本日の講師は(社)倫理研究所法人局 法人アドバイザー、(株)小野寺工務店 代表取締役の小野寺 照男氏、昭和10年2月14日、宮城県石巻生まれ、76歳。現在、横浜市北倫理法人会相談役を務めておられる。

 11人兄弟とばかり思っていたが、2人が早世していて実際は13人兄弟の真ん中だったことを後年知ったと言う。上京して土方のアルバイトや3年間新聞配達をするなど、苦学して大学を卒業した。
 その当時は男の出世は金儲けと考えていたので、小さくとも土建屋になって請負主になるのが一番良いだろうと思った。学校を卒業したとき、わざと小さな土建会社に就職、10年後の昭和43年に独立した。 蓄力が少なく、家内の両親から借金して始めた。

 企業のスタートは"五ない"・・・金がない、人がない、物がない、実績がない、のれんがない から始まる。ないないばかり言っていてもダメで、それを"三意"・・・熱意・創意・誠意 に変えて企業を育てていくことが大切であることを後に倫理を学んで知った。

 主にガソリンスタンドの仕事から始めたが、4~5カ所の店舗経営で最初は随分と儲かった。その頃は毎日のように飲み歩いて遊びまくり、家庭を顧みなかったという。そのツケが回ってきたのか、長男がグレて手を尽くしてもうまくいかなかった。やむなく長男を学校に行かせるのをあきらめ、自動車修理工場に住み込みで勤めさせた。
 そこの社長が倫理をやっていて、その紹介で長男を倫理学園の3泊4日の研修に参加させた。私に対する長男の態度が少し変わってきた。その後、倫理研究所の講師生に半年間採用してもらった。昭和57年、長男自身の希望で妙蓮寺の実践部に入会した。親も一緒に勉強が必要と山口先生から言われ、自分も工務店の経営に活かせると考え、家内とともに一緒に倫理を学びだした。
 河野氏と出会い昭和63年に横浜市倫理法人会に入会したとのこと。次々とお役を授かったが、倫理の勉強は役を受けてした方がよい。

 倫理学園に行ったときに、次男のことで木村先生から受けた指導は
①どんなことがあっても息子を信じてやること
②願いは息子にはっきりと伝えること
③しかし息子に何事も強制しない
④親の弱みを少し見せておく、万一の場合は家内のことを頼む、など

 高橋先生に受けた指導は
①自分の仕事を天職と思って、喜んで働く
②社会のために、金のならない仕事もやる
③夢を持って、それが実現すると思って働く
④社長はある程度の車・家を持ち、身なりを整える
 
 生い立ちから会社設立、倫理法人会入会までの波乱の人生の話で時間切れとなりました。後継者の育成については、次回に講話しますと約束されました。近い内での続きのお話しを期待したいと思います。(9月20日にパートⅡを予定)

 広報委員長 萩野宏樹

2011/06/21

6月21日清掃デーから墓参へ@横浜市中央

集合前は朝日が射していたのに、会員の皆さんが集まってきて、イザッ掃除をしよう!ってころになったら、土砂降りになりました。

写真のジャンパーは、約2ヶ月前の100名モーニングセミナーの時に購入したもので、せっかく買うのだから安物はやめて良いものを買おうと(株)ウエマツさんにお願いしてフード付きを購入したので、こんなところで役に立ちました。(笑

降りしきる雨の中、思い思いのゴミを拾って、無事終了。

ホテル最上階にて食事をとっている間に、雨はあがって心は晴れやかに。
雨は雨でヨシ。晴れは晴れでヨシの気持ちが大切ですね。

食事をとったあと、丸山創始者の墓参に行き、会員の発展と会の繁栄を願いました。
その後、八王子の武蔵野陵に赴いて、参拝をさせていただきました。

                              会長 後藤長重



2011/06/14

6月14日MS 不況を乗り切った経営者とは@横浜市中央


本日の講師は(社)倫理研究所法人局 法人スーパーバイザーの江上 伸雄氏、(株)エガミ 代表取締役会長。福岡市生まれ、70歳。
高卒後、父母に従い秋田県横手市に移住。婦人服店の多店舗化を進め、現在県外を含め13店舗を有する。

不況の時には経営の原点に戻るべきだが、成功者と失敗者では物の考え方にはっきりした違いがある。

成功者は
  •  過去に対して肯定的
  •  現在に対して積極的
  • 未来に対して希望を持っている
失敗者は
  • 過去に対して否定的
  • 現在に対して消極的
  • 未来に対して失望している
人の気持ちがどちらへ行くかで、結果に雲泥の差が出る。

松下幸之助は自分が成功した理由を尋ねられ、大変運が良かったとして?!次の事柄を挙げた。(松下幸之助著「道をひらく」PHP研究所刊)
①大変貧乏な家に生まれた→お金に対する執着が強く、お金ができてからも強い欲望を持ち続けられた
②身体が虚弱だった→他の人の協力を得て成果を上げようといつも考え、人の使い方が上手くなった
③学歴がなかった→他の人から何か学ぼうと、いつも真剣に人の話を聞く習慣が身についた
また、松下幸之助は不況時の対応として、
①従業員を減らさず、有給の休日を増やした→週休二日制導入の一つのきっかけとなった。
②給与を減らさず、賞与の一部を自社電化製品の現物支給とした→在庫減らしと普及促進に繋がった

石川島重工・東芝の経営再建を果たし、経団連会長・臨調会長として行財政改革の先頭に立った土光敏夫は、宴会に出席せず身の潔白を保ち、強大な組合を有する国鉄の分割民営化を実現した。
また、質素な生活を貫き、微々たる生活費以外の残りの多額の収入はすべて母の経営する橘学苑に寄付し続けたという。

先の見通しのつかぬ今だからこそ、偉大な先人に学ぶ必要があると思いました。

広報委員長 萩野宏樹

2011/06/07

6月7日MS 『夢こそが現実を拓く』~夢は地道の中にある~@横浜市中央


 本日の講師はミュージカルカンパニー『新生ふるきゃら』プロデューサーの安田 研二郎氏、『劇団ふるさときゃらばん』創立時からのメンバー。
 『新生ふるきゃら』は地域に生き抜く人たちに題材とテーマを求めて作品を創り、全国を上演している劇団。今日は私の原点である『劇団ふるさときゃらばん』(通称ふるきゃら)の初公演から今日まで、夢への挑戦ということでお話します。
 創立当時の既存のミュージカル劇団はブロードウェイなどの海外志向だった。ふるきゃらは日本人の暮らしを描くオリジナル劇団を創ろうと意気に燃えてメンバーが集まり、1983年に創立。

 本当にどこででも受け入れてもらえるものかの検証を兼ね、最初に山形県下での全自治体公演という大きな挑戦目標を掲げた。全部で44市町村あるので、山形市に事務所を設け、そこを営業(制作部隊)の宿舎にした。一つのまちやむらで公演を実現するためには、実際にプロモーターがいない中で800人とか1000人の集客をする必要がある。制作部隊は地元で暮らす人々と出会うために毎日事務所から散っていった。
 上演する作品は「親父と嫁さん」というタイトルのミュージカル。幕が開くとそこに現在のふるさとがあるを目指した、取材を基に作り上げた作品。夏の終わりから雪の降る冬までかかったが、すべての市町村での公演を成功裏にやり終えることができた。当時の私は舞台監督だったが、公演地移動の際には運転手も務めた。何回か往復したが、真っ白な雪と月山が特に美しかったのを今でも鮮明に覚えている。
 まちやむらにはホールがないので、学校の体育館を利用した。ビールケースを積み上げて仮設舞台を作り、柱を立てて引き幕とした。入口には看板や幟も立て、体育館が芝居小屋に変身した。住民が挙って座布団持参で観に来てくれた。どの劇団もやったことのない快挙だったと思っている。

 日本一周公演を創立5年後にやる企画をした。旅公演が我々の仕事といいながら未だ公演をしていない県がいくつも残っていた。目標を掲げた以上はやり遂げたい。鹿児島県知覧町を皮切にスタートした。日本海側を北上して北海道稚内市まで巡り、太平洋側を南下して千秋楽は沖縄県那覇市で、足掛け5年、「村は三三七拍子」の作品で全国47都道府県の公演を実現した。公演回数371ステージ、観客動員数35万人。旅公演の中にふるきゃらの原点がある。
 会場に足を運んでくれたお客さんは普通の人たち。鑑賞するのでなく、自分とダブらせて劇を見るので、役者は本物に迫ろうと努力をした。舞台と客が一緒につくる世界に震えた。

 全国的に棚田を中心に耕作放棄地が急増するするのを喰い止めようと、棚田を全国民的関心事にすべく、ふるきゃらは1999年に東京日本橋の三越本店で「棚田パノラマ展」を実施した。三越の責任者は「難しい企画だが先ずは受けてみよう、伝統を守ることも大切だが新しいことに挑戦する意識がなくてはならない」と語ったという。
 『新生ふるきゃら』は6月27・28日に横浜にぎわい座で商店街を題材にしたミュージカル「トランクロードのかぐや姫」を上演する。野毛は横浜の下町だが、地域のコミュニケーションづくりに貢献できればと願っている。

 地域に密着した劇団ならではの、目の付け所に感心しました。東日本大震災で国民の意気が落ち込むなか、元気と感動を与える劇団として更なる活躍に期待したいと思いました。 

 広報委員長 萩野宏樹