2007年9月6日木曜日

今週の倫理(523号)より 前向きな言葉が未来を決する

ふだん私たちは、言葉の持っ影響力について、どれくらい意識を払っているでしようか。
言葉は、コミュニケーションの道具としてだけではなく、自分や相手の心に強く働きかける力を有します。ちょつとした一言が、社員をヤル気にさせるこどもあれば、意気消沈させることもあります。言葉の使い方が自分や相手の心に与える影響について、今回は考えてみましよう。
とかく人は、ある事柄に対して「これはこのようなもの」と、自分なりに勝手な解釈をしがちです。何かの問題に直面して落ち込むと、言い訳をしたり、自分を責めたり、自滅的な考えを作り上げたりすることすらあります。
そして更に、その解釈を正しいものと思い込むばかりか、〈他人も同じだ〉〈世の中は全てそうなっているんだ〉などと勝手に思い込み、他人にも自分の解釈を知らず知らずのうちに強要することすらあるのです。そのような心の悪循環に陥らないようにするには、否定的な思い込みをしない訓練が重要です。
心理療法の一つに「論理療法」というジャンルがあり、自分の心の中における文章記述を改めることで心を活性化させる方法です。
司法試験に何度も落ちた若者が、「ああ、希望通り弁護士になれなければ、もう将来はおしまいだ」と煩悶しているとします。彼が〈弁護士になりたい…〉という思いを持つのはよいとしても、〈もしなれなかったならば、自分の将来はもうおしまいだ〉と思い込むのは論理的に大きな間違いです。
人生には他の可能性もあるもの。「もし弁護士になれないなら残念だけれど、もっと自分に向いた仕事があるのかもしれない。そっちを選んでおおいに能力を発揮するのもいいじゃないか」という考え方もあり得ます。彼は「弁護士になれない」ことと「もう将来はおしまいだ」という、論理的に結びつく必然性などない二つのセンテンスを、勝手に結びつけているのです。商売の場合であれば、「景気が悪い」という事実と「もうダメだ」という思いが、論理的に結びつく必然性もないでしょう。
論理療法の考え方が示す大事なことは、「自分勝手に可能性を無にしてしまう」という誤りです。「世の中はいろいろな悪があるが、最大の悪は可能性を奪うことだ」とは、心理学者であり哲学者のエーリッヒ・フロムの言葉です。
自分からも、そして相手からも可能性を奪ってしまうかもしれない言葉として注意したいのが、「どうせ」という一言です。「どうせ、オレなんか才能がないんだ」「どうせ、お前なんかに言っても分かりっこない」「どうせ、この先も景気がよくなる
はずがない」etc。
職場や家庭から、そして日常の自分の頭の中からも、この「どうせ」という言葉を捨ててしまおうではありませんか。経営者やリーダーの口から「どうせ」が出なくなるだけで、職場はずっと明るくなるでしよう。自他の可能性を奪わないことから、未来への光は見えてくるのです。

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