2008年3月21日金曜日

今週の倫理 (551号)より 錯覚の愛情

 私たちの多くは「愛情がすべてを救う」と信じてきましたし、それが家族の絆であると思ってきました。ところがここ数年、愛情豊かなはずの親に育てられた子どもたちが起こす問題は、この常識に警鐘を鳴らしています。これまで「子どものため」「欲しがる物を与える」などの行為を愛情だと思ってきたものが、はたして正しかったのか、錯覚ではなかったのか。私たちは強い反省をするべきではないでしょうか。

 T社長は、一人息子のS夫に、愛情をいっぱい注いできたつもりでした。暇をみては遊んでやり、欲しがるものは何でも買い与えました。これに答える形で、S夫は明るく伸び伸びと成長し、成績はいつも上位でした。ところが高校二年生になって間もなく、学校からの帰りが遅くなりはじめ、ついで遅刻や欠席が目立つようになりました。当然のごとく成績は落ち、学校から呼び出しを受けるようになったのです。

 そこでT社長はS夫と話し合いましたが、結局「バイクを買ってくれたら早く帰る」との約束で終わりました。しかしS夫の生活が改まったのは、せいぜい半月ぐらいでした。元の木阿弥どころか、バイクを通してさらに悪化していったのです。T社長は、今度こそは体罰も辞さずの心境で、帰りを待ちました。ところがS夫の顔を見ると、〈家出されたら〉という不安が先にたち、厳しい言葉など何も出てきません。

 倫理法人会のセミナーに参加した折り、講師に自分の不甲斐なさを相談しました。講師は「息子への愛情の錯覚は、自らの父親への不満の裏返しです。貴方は十五、六歳頃に、お父さんを激しく恨んだことがあるはずです。そのために、その年頃になった息子に、父親としての自分を示せないのです」と指摘されました。

 確かにT社長は、高校卒業後の進路について父と激しく衝突し、父の「今日限りで勘当だ」との声を背に、家出同然に上京しました。苦学を重ねて大学を卒業し、日夜働いてお金を貯め、現在の会社を設立したのです。やがて経営も順調となり、父親より十数年ぶりに勘当が解かれ再会できたものの、胸の奥のしこりは残ったままでした。

 T社長は帰郷し、年老いた父の前に座り、恨んでいたことを詫びました。父親は「勘当せずには、上京を受け入れられなかったし、また背水の陣で頑張ってほしいという願いもあった」と話してくれたのです。母親からも、「父さんは毎日仏壇の前で、あんたの無事を祈っていた」と聞き、やっと親の愛を自覚することができたのです。

 早速T社長は、S夫に親としての毅然とした態度を示しました。以来S夫中心だった家庭が、夫婦中心へと変わったのでした。それからのS夫は、生活姿勢もすっかり改まり、無事に高校・大学を経て、父親の会社で元気に働くようになったのでした。

 私たちはともすれば、自らが親に求めて得られなかったことを、自分の子どもに施すことが愛情であると錯覚しがちではないでしょうか。親への感謝なくして、「優しさは甘やかし」となり、「厳しさは押しつけ」にさえ子どもには映ることでしょう。子どもに対する愛情は、自らの親への恩意識をもってはじめて伝わるものなのです。

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