経営コンサルタントの中村氏が駆け出しの頃、関西のとある料亭に頼まれて社員研修に出向いた時のことです。
料亭の社長をはじめ二十数名の社員を前に、中村氏は「人はどう生きねばならないか」について、声を大にして話を進めていました。話の半ばあたりで、黒衣を身にまとった小柄な老僧が静かに部屋に入ってきて、末席に座りました。一瞬、中村氏は老僧に目を奪われたものの、前にも倍して声を張り上げて話を続けました。
話が終わった後、後方にいた老僧が「そこの若い人、ちょっと…」と言って、手招きをします。中村氏が「何かご用ですか」と問うと、「若いの、元気があっていい。気に入った」と言葉をかけ、「何か一筆書いてやろう」と言うのです。氏は、どこの誰だかも分からない老僧の書など欲しくもないので、「お気持ちだけで結構です」と断わったところ、料亭の女将が「先生、書いていただきなさい。老師はめったに自分からお書きにならないのですから」と言います。結局、墨と筆が用意され、三枚の条幅を書いてもらいました。
中村氏はその後、中国地方から九州にかけて一週間ほどの旅が続いたため、三枚の条幅が邪魔で邪魔でたまりません。そのため書画・骨董の好きな知り合いの社長をつかまえて、この三枚の書を押しつけるようにして渡しました。以後、この老僧のことも書のことも、すっかり忘れていたのです。
ある日のこと、中村氏は『白隠禅師和讃』の一文を調べなければならぬ用が起き、神田古書街で三冊の本を求めました。その本に目を通していた時のことです。著者の顔写真の頁に、どこかで出会ったような人物が載っているのです。氏の記憶が徐々に甦ってきました。関西の料亭で出会った黒衣の老師です。初対面にもかかわらず声をかけ、三枚の書をくださった老師です。一気に本を読み、著者の経歴を確認すると、まさに唸るような高名な人物ではありませんか。
手放した三枚の条幅が頭の中をグルグルとめぐり、中村氏はかの料亭の女将に電話を入れました。「老師が今度お越しになられた時、わがままを申し上げますが、一枚お書きいただけないかとお願いしてください」と。しかしその後、中村氏のもとに老師の書が届けられることはありませんでした。
人は同じものを見ても、同じ話を聞いても、同じものに触れても、それを見た人、聞いた人、触れた人によって、大きな差が生じるものです。見たものの本質が見えない人、聞いてもその奥に潜むものが聞こえない人、触れても何も感ずることのできない人…。
「自分は生まれた星まわりが悪く、今までの人生を振り返っても良いことは一つもなかった」と嘆く人がいます。本当に運が悪かったのでしょうか。山ほどのチャンスがこれでもかこれでもかと押し寄せているにもかかわらず、チャンスをチャンスと見る目がないために、自分の手で伸びる芽を摘んでしまっていたのではないでしょうか。
もっともっと目や耳を磨かねばなりません。そのためにも、ふんわりと柔らかで何のこだわりも不足もない澄み切った心を持ち、日々自分と正面から向き合い、人間力を高めていきましょう。そして身の回りにある多くのチャンスをものにしていこうではありませんか。
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