2008年8月8日金曜日

今週の倫理 (571号)より 我が社の使命はいったい何なのか

経営者像やリーダーシップが論じられるとき、たびたび「使命感」が取り上げられます。よく話題に上るのは、その事柄がこのうえもなく大切だからです。

今号では、大事業家として日本経済をリードした松下幸之助氏にスポットを当て、「トップが使命感を持つ」ことの大切さについて改めて確認しましょう。

松下氏が事業を始めた頃、氏は経営について大いに悩んだといいます。いったいどう進めていけばよいか、見当もつかない。商売で金儲けをすることに、後ろめたさも感じる。自分が儲かることで、潰れてしまう者も出る。悩める日々の連続でした。

そんなとき、知人がある宗教の信者になることを勧めてくれました。とにかく熱心なため、松下氏はその宗教の本部だけでも訪ねてみることにしたのです。
実際に行ってみると、巨大な本殿があり、そこにはイキイキと無償で働いている信者の姿がありました。松下氏は驚き、そのエネルギーに圧倒されました。

「どうして宗教はかくも力強く、盛大なのか。心の教えが大切なのはわかるが、人間の幸せには物も必要だろう。にもかかわらず、こちらは倒産を心配したり、金儲けに駆けずり回っていると軽蔑されて、クヨクヨするばかりだ。なぜなのか…」

帰りの電車でいろいろ考えた末、松下氏はハッとあることに気づきます。以下はPHP研究所の江口克彦氏が、松下氏から直接聴いたという言葉です。

それは商売に使命感がないからや。宗教には人間を救うという大きな使命感がある。それや、それなんやと思った。いまのままではいくら熱心に経営を行っていても、力強い活動は行われない。
それでは、商売をするものの使命はなにか。貧をなくすこと、貧をなくすことがわしらの使命なんや。そこで悟ったんやな、わしなりに。そしてこれがわしの経営を進める基本の考え方になった。そういうことがあって、わしは自分の仕事を一段と力強く進めることができるようになったんや。(『人徳経営のすすめ』PHP研究所刊)

 経営者に使命感が必要なのは、それがなければ自分を支えられないからです。どこに向かい、何を目指し進めばよいかが不明であれば、自分自身が不安であり、そして、そんな上司には部下も安心してついていくことはできません。

進むべき方向を自覚し、部下にしっかりと指し示すことで、部下は共に歩み、今よりももっと熱心についてくるようになります。使命感を持つに至るプロセスは、人さまざまであり、また一度持てば、それで済むというものでもありません。江口氏は、使命感に到達するポイントは、松下幸之助氏のように悩み抜き、考え抜くことだと言っています。

事業経営には、苦しく悩ましいことも表出してきます。その中で試行錯誤を繰り返し、「使命感」をさらに磨き高め、自身も会社も成長させていこうではありませんか。

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