2008年8月1日金曜日

今週の倫理 (570号)より 法律至上主義の隠れた落とし穴

Mさんの職場は、東京都内の大きな道路に面したビルの四階にあります。
ある日、休憩のためベランダに出てみると、眼下を横切る道路の脇にトラックが一台停まっています。よく見るとエンジンをかけたまま、運転手は昼寝をしています。暑い最中のことですから、間違いなく冷房もかけたままだったでしょう。

現在、関東地区の八都県市(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、横浜市、川崎市、千葉市、さいたま市)では、平成十五年十月より、定められた粒子状物質の排出量基準を満たさないディーゼル車は通行ができないことになっています。

この地域に車を乗り入れるためには、新型のものに買い換えるか、低減装置を取り付けなければなりません。
しかし、基準を満たしていればよいわけで、環境に対して悪影響のあるものが全く排出されないわけではありません。冒頭に紹介した事例の場合も、エンジンをかけたままということは、その間も排ガスは出続けているのです。法律の整備はできても、その法律は万能の代物ではないことが伺える事例といえます。

本来、商取引とは法律によって規制されるものではありません。その業界における公正な倫理観によって行なわれるべきであり、倫理観を逸脱した商行為を行なう者は、業界から締め出されていくことが望ましい形です。

ところが最近では、倫理観ではなく法律のほうが重視されていて、法律以外は信じないという風潮さえあります。こうなってくると、「法律さえ守れば何をやってもいい」「ギリギリのところで稼いでやろう」と考え、法律の抜け穴を探し出します。それを抑えるべく、新たな法律を作れば、またその抜け穴を探し出す。この「いたちごっこ」は、際限なく続くだけでなく、法律が厳罰化され、犯罪を巧妙化させていくことにもつながります。これは、商取引に限らず、様々な分野において同様のことが言えるでしょう。

古代中国、前漢の初代皇帝・劉邦(紀元前二五六年または紀元前二四七年~紀元前一九五年)は、その覇権争いの途上で、自身の領地に「法三章」を宣言したと伝えられています。

それ以前は、万般に及ぶ細かな法律が庶民を苦しめ、官僚の不正が横行していたのに対し、劉邦の示した「法三章」は「人を殺せば死刑」「人を傷つけた者は処刑」「人の物を盗んだ者は処刑」という誰にでも分かる簡単なものでした。この宣言の後、庶民にとって住みやすい世の中になったことは言うまでもありません。

わずか三ヵ条のみであったにもかかわらず、住みやすい世の中になったのです。現代社会にも通用する故事として、学ぶべき点があるのではないでしょうか。

行き過ぎた「法律至上主義」は、思わぬ方向へ行ってしまう傾向があります。法律を良くも悪くもするのは、そのベースにある「倫理観」です。

経営者として正しい「倫理観」を持ち、会社で、地域で、そして家庭で、多くの人の手本となるよう心がけましょう。

0 件のコメント: