2008年8月15日金曜日

今週の倫理 (572号)より 目は心の窓である

経営コンサルタントの田中氏が駆け出しの頃、建材屋のE社より社員教育を依頼され、同社を訪問した折のことです。

 事務所に足を踏み入れた田中氏は、大きな声で「東京のコンサルタント会社より参りました、田中です」と挨拶をしました。すると奥に座っていた専務とおぼしき人物が、「いらっしゃい」でも「お待ちしていました」でもなく、田中氏の顔をじっと見つめ、「わしはあなたを好きになれそうにないな」と言ってのけたのです。

 田中氏は売り言葉に買い言葉のごとく、即座にこの言葉に反応し、「私も専務さんを好きになれそうにないので、月一回おじゃまする日が決まりましたら、その日は席をはずしていてください」と言ったのです。

 一瞬、気まずい空気が流れましたが、その後、専務の姿をじっと観察していると、専務は自分と共通の性格の持ち主だと気づかされたのでした。専務は時々、社員に向かってダジャレを発します。すると社員の間に笑いが起きるのですが、ダジャレを発した専務は声を出して笑っても、目は笑わないのです。
田中氏も当時、親しい人から「田中君、きみはおもしろいことを言うが、目は笑わないね」と指摘されていました。それというのも、氏は自分の言葉に人がどのように反応するかを常に推し量っていたからです。

 文豪・吉川英治は、「人生は目と目の対決である」という名言を残しました。また、諺や譬えの中では、目に関するものが一番多いと言われます。一種の驚きを表現する言葉で「目を丸くする」といいます。予想もしていなかった出来事や話を耳にして驚いたさまです。「目を吊り上げる」という言葉もあります。心の中に怒りが込み上げてきた状況です。「目尻を下げる」とは、手放しで嬉しくてたまらないときなどを表現します。時々、田中氏と付き合いのある経営者から、突然、携帯電話を突きつけられ、「先生、これ内孫です。かわいいでしょう」などと言われると、これが普段、社員よりワンマンと煙たがられている人物かと驚くこともあります。

「わしの目の黒いうちは…」と相手に圧力をかけるときがあります。まだまだ他の者に思い通りにさせぬということです。これら以外にも「目を皿にする」「目の中に入れても痛くない」「目は口ほどに物を言う」「目にかどがある」など、数限りなくあります。

 その時々の心の動きが、手に取るように目に表われるのが人間だといわれます。心に不安や心配があるとき、怒りがあるとき、相手に対して敵意を抱いているとき、嫉妬に捉われているとき、感謝と歓び一杯に充実しているとき等、その折々の心の動きがストレートに表われるものです。総じていえば、「目は心の窓」という言葉に集約されるでしょう。

 心が強い人間は目に力があります。目に力のある人間は活力に溢れています。充実した気力・体力は目に出ます。常に目の輝きを保つことができなければ、経営者としての厳しい責務を乗り切っていくことはできないことを心すべきでしょう。

さて、かつてはいつの時も目が笑っていなかった田中氏。しかし最近では、「その時その場を思いきり楽しめば、目はおのずと笑う」ということを実感しているようです。

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