2009年7月24日金曜日

今週の倫理 (622号)より 死を目前にした時、進むべき答えが見えた


「お客様に良いものを提供したい」「消費者に納得のいくものを購入していただきたい」。そのような経営者の情熱は、日本を「ものづくり大国」に押し上げていった大きな要因の一つといえます。

青森県中津軽郡出身の農業従事者・木村秋則さんもその一人です。リンゴの無農薬・無肥料栽培に挑戦したのです。ところがリンゴは非常に病害虫がつきやすく、農薬なしには栽培ができないといわれる果物です。これまでにも無農薬栽培に挑んだ者はいました。しかし安定した収穫が得られず、経済的に三~五年が限度で成功にはいたりません。先駆者のいない茨の道とは分かっていましたが、「自然農法で安全なリンゴを消費者に届けたい」という思いが強くなり、厳しい道へと足を踏み入れたのです。

ところが無農薬・無肥料栽培は想像以上に厳しく、十年近くの間、リンゴの収穫がまったくなくなります。そのため収入も激減、子どもたちは一個の消しゴムを三つに分けて使うことまでありました。
さらには無農薬栽培をしていることから、近隣の農家から「木村の畑から病害虫がでるのでは」と非難されるようになり、村八分のような状態にまでなるのです。

「自分の思いで始めたリンゴの無農薬栽培が家族や近隣の人まで苦しめている」と、経済的にも精神的にもどん底の日々を過ごし、思い至った結果が「死んでお詫びをするしかない」という答えだったのです。そしてロープを手に持ち、山の奥へ奥へと歩んでいきました。頃合のいい木にロープを掛けようとしたところ、勢いあまって飛んでいってしまいました。すぐに拾いにいくと、突然、目の前に立派なリンゴの木が現われたのです。しかしよくよく見ると、それはドングリの木でした。間近で観察すると人の手入れがまったく施されていないにもかかわらず、虫の被害がなく、枝葉は見事に生い茂っていました。土はとても柔らかな感触でした。その時、直感的にこの自然な状態が「答え」だと分かったのです。

それまでは木のことしか考えていませんでした。改めて根っこについて考えると、雑草があることで土の温度が一定になり、木の生育には好条件だったのです。それをヒントに改良を重ね、木村さんは無農薬・無肥料栽培に見事成功したのです。

倫理研究所創設者の丸山敏雄は、その著『万人幸福の栞』に次のような一文を遺しています。

  古人は言った、「万象是我師(ばんしょうこれわがし)」と。まじめにこれに師事して尋ねる人には、正しく答えてくれる。昔の人は天を父、地を母とよんだ。父母はその子の求めには、何物をも惜しまず与える。与えられぬのは、ま心からこれを求めないからである。(丸山敏雄『万人幸福の栞』P42)

普段何気なく生活していると、見落としてしまうことは多々あります。ところがビジネスチャンス、成功の秘訣は日常生活の中に潜んでいるものです。常にアンテナを張り巡らせ、一つの物事に邁進することで答えは必ず現われてきます。進むべき道は狭く、厳しくとも、「打つ手は無限」であり、成功は必ず用意されているのです。

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