2011年2月22日火曜日

2月22日MS 老舗企業の強さに学ぶ~継続は力なり~@横浜市中央

 本日の講師は、昨夜の倫理経営講演会でお話をしていただいた(社)倫理研究所法人局法人アドバイザー、(株)玉寿司会長の中野里 孝正氏。(株)玉寿司は大正13年創業、今年87周年を迎える老舗企業で、会長は3代目だ。
 昭和30年以前に創業・設立し、今も存立している企業を老舗とすれば、本当の意味での老舗はつぶれないようになっている。何か知恵を持っている。老舗が継続する理由は小さな単純なことを正確に繰り返しやっていること。
 昨年、東京商工会議所中央支部が成果をまとめた「老舗企業の生きる知恵」~時代を超える強さの源泉~http://www.tokyo-cci.or.jp/chuo/synergy/を参照のこと。
 
 Ⅰのれんを創る
 経営理念は一番大切にしていることを、分かりやすい言葉で。社員と共有し唱和できることが大切。因みに当社の現在の経営理念は「私たちは海の幸のおいしさに真剣です」とたった1行だけ。
 Ⅱ変革を仕込む
 企業は強いから大きいから、つぶれないのではない。その時々の世の中の流れに乗って、環境に適応したものだけが生き残っていく。日々小さな改革を地道に積み重ねることが重要。
Ⅲ人を育てる
 トップが先ず学び、その感動を伝えれば社員の心に通じる。また、倒産危機とか大病とか、試練を乗り越えるたびに強くなれる。
 中小企業では後継者は理念を共有できる世襲が一番、養子でもよい。縦の線が大事。老舗ではほとんどが世襲。
 トップの条件として、次の7カ条を示された。
①プラス志向 ②ぶれない信念 ③決断力 ④絶対あきらめない ⑤夢を語る ⑥感謝の心 ⑦社員と共有したものを持つ
 昨夜に引き続いての講師のお話で、老舗企業の強さの一端を窺うことができたように思います。
 広報委員長 萩野宏樹

2011年2月21日月曜日

2月21日ES 倫理経営講演会@横浜市中央


横浜市中央倫理法人会の倫理経営講演会は玉寿司三代目会長中野里孝正様をお迎えして開催いたしました。
また、朝を大切にする倫理法人会の柱、活力朝礼を知っていただくために、ヘアーラウンジ寿光のみなさんに
は毎日実施しているお店での朝礼実演を行っていただきました。

二時間ほどの倫理経営講演会でありましたが、倫理法人会の活動をはじめて見に来て関心を持ち、即日入会手続をされた方もいらっしゃいました。

当会はもとより、県下他会の皆様にもたくさんのご協力をいただき、104名様のご来場をいただきましたこと、心より厚く御礼申し上げます。

横浜市中央倫理法人会 会長 後藤長重

2011年2月15日火曜日

2月15日MS 企業リスクとマネジメント@横浜市中央

 本日の講師は、企業リスク研究所 代表の白木 大五郎氏。昭和16年、福岡市生まれ。鎌倉市倫理法人会会員。
 日立製作所に、人事・労務畑を中心に42年間勤務。日立グループの従業員は約32万人で、家族などを含めると日本の人口の100人に1人は関係者ということになる。したがって大きな事件や事故があると、関係者が含まれていることが多い。
 退職後、「企業リスク研究所」を設立し代表となり、研修・講演活動などをしている。また生まれ育った博多で、月1回の経営塾「白木塾」を開いている。

 企業リスクは近年大きく変化しており、多様化・巨大化・複雑化してきている。そして様々な企業リスクの中で、最近特にコンプライアンス(法令順守)が叫ばれ、法令違反が原因でつぶれる企業も増えている。
 人にとっては「生きている」ことがリスクそのものであるように、企業にとっての最大のリスクは「経営する」こと。人・物・金・情報のすべての経営資源がリスクのもととなる。

 リスクマネジメントの要諦はリスクは必ず発生するものとして、起こったリスクの影響を最小限に抑えるよう、「トップ陣頭・正直・迅速」に組織的に対処すること。初期対応の良し悪しが当に企業の力である。また、「不祥事防止システム構築」は「性悪説」でなく「性弱説」の視点で!すなわち人間は弱いもの、社員が罪を犯さないような環境づくりが経営者の役目。

 CSR(企業の社会的責任)が重視されるようになり、リスク変化への対応力が強く求められる時代である。「攻め」と「守り」のバランスが重要。社員を不祥事から守るため、ES(従業員満足度)向上、コミュニケーション、「損得よりも善悪」の判断基準などのコンプライアンス意識向上のための教育が必要である。

 企業倫理と経営者の役割として、①企業倫理とコンプライアンス意識はその「トップの器」で決まる! ②不祥事対処への決断こそ、当にトツプの仕事! ③不祥事報告に感謝の気持ちを持て! ④天命を信じて人事を尽くせ! ⑤社員は社会からの一時的な預かりもの! ⑥社員を罪人にしたら管理者失格! ⑦ES向上と夢・ロマンの付与はトップの責任! ⑧社員にとって最大の労働条件は?
実話を交えての盛り沢山のお話でした。

 最後に「経厳」「師範」「親慈」を挙げられ、これらのバランスこそが経営者に求められる要件と結ばれました。「あなたの会社は大丈夫?-標語・川柳で学ぶ管理者のための企業リスクマネジメント-」:丸善プラネット(株)  という本を書いておられるだけに、企業戦士のための離婚リスク予防川柳(あ・り・が・と・う)をプレゼントされました。 
 
 昨夜来の降雪で出席者が少なかったのが残念ですが、出席できた者にとっては、いいお話が伺えてラッキーでした。

 広報委員長 萩野宏樹

2011年2月8日火曜日

2月8日MS 食が人を変える!会社を変える!@横浜市中央


 本日の講師はビジョンサクセス研究会代表の石塚好文氏。54歳、藤沢市在住。能力開発セミナーの主催などをされている。また、鎌倉市倫理法人会 副専任幹事としてもご活躍中。
 3年間ほど病気で苦しみ、35歳のときにそれまで勤めていた会社を辞めた。今では3人の子に恵まれているが、そのときは生命力が落ちていて、その後しばらくは子供が生まれなかった。
そんなわけで、35歳以降死に物狂いで健康の道を追求してきた。48~9歳のときにハイレベルな栄養学を基にした食事法に出会った。

 日本の国民医療費は年々1兆円ほど増加し、現在30数兆円に上る。ガンを始めとする生活習慣病が年々増加し、このままでは国が滅びる。自分で自分の健康を守ることが必要。正しい健康に対する知識、食に対する知識を身に付けることが何よりも重要であり、国家に対する貢献であると思う。
 いま若い人に低体温症が増えている。朝10時に図った体温が36.2℃以下、特に35℃台は免疫力の低下、自律神経の失調から、ガンを始めとする生活習慣病に罹りやすい体質になる。今は小学校の子供でも35℃台が3分の1ほどいる。

 先進国の中で逆に10数年ガンを始めとする難病が減り続けている国がある。それはアメリカだ。酵素栄養学を基にした正しい食事法を指導・普及してきた結果である。
 必須アミノ酸8種類+ビタミン18種類+ミネラル20種類
の46種類の微量栄養素が、酵素として新陳代謝のすべてと体内毒素(老廃物)の除去に係わっている。すなわち酵素の働きを活性化することで、血液や細胞の汚れを除去し、体質改善が図られる。

 食べ過ぎると代謝異常を起こし、疲労や病気の原因となる。それゆえ、消化に負担をかけない腹八分目の習慣と、大切な酵素を生かす生の野菜・果物中心の食事が求められる。その際、皮付きの果物と野菜を生ジュースにして朝食に飲むのが一番効果的とのこと。
 
 会社の業績アップのためにも、エネルギッシュな健康体でありたいものです。健康を維持増進するために、日々の食事に少しずつでも採り入れていきたいと思いました。

広報委員長 萩野宏樹

2011年2月1日火曜日

2月1日MS 会員スピーチ@横浜市中央



本日は本会会員2名の会員スピーチ
(1) 笠原秀貴(ひでき)氏
 ハマハウス(株)専務取締役の笠原秀貴氏は45歳。  
横浜の上大岡にて笠原家を中心として、その他貸し店様から駐車場や貸室を預かり、貸付・管理業務をしている。「倫理法人会にたどりつくまで、そしてこれから」と題してお話したい。
 15年前に30歳で結婚し、妻の実家の家業に従事している。不動産と縁のない職場から移ってきたうえ、地主さんという訳の分からない世界に入り、来た当初はただ物件を磨いてゴミを拾うことしかできなかった。

 しかし、家業に慣れすべてうまくいって、自分に慢心が起こった。この驕る気持ちが、仕事にも家族に対する言動にも反映した。
 このままでは駄目だと、自分は猛省した。家族のために自分ができることに心から努めた。

 このことが個人や社会に対して、自分の生業の貸家業をベースにして、何か手助けする媒介になれないか、思い始めるきっかけになった。何かできることがないか考えていたとき、倫理法人会を紹介してくれた人がいて、感謝が一杯の気持ちです。笠原ならできるかなというベースを作って、感謝を繋げていきたい。

(2)野田道昭氏
 (株)ドリームパートナー代表取締役、横浜市戸塚区在住、50歳。
 「ふるさと再生」と題して、今までの生き様とともに今やろうとしていることをお話ししたい。
 福岡県大牟田市生まれ、昔の三池炭鉱のあった町。県立の進学高に進学したが、中学からやってきた野球に没頭していた。卒業後、手に職をつけようとして調理士学校に入学、大阪に住み込みで1年間学び免許をとった。夜もアルバイトをして貯めたお金で、母への借金返済や田舎でお世話になった人たちへお礼をした。

 田舎へ恩返しをしないといけないと思い、田舎で仕事を探した。口利きで手作りのレストランを紹介してもらって、勤め出した。更に勉強を積もうとして上京、ホテルオークラでコックをしている人の弟子になったりしたが、辞めた。結局この調理士の世界からは足を洗おうと決断した。
 その後鉄工所に勤めたが、肉体労働でケガをし足が動かなくなった。そこで近くの不動産屋へ転職して10数年経験を積み、12年ほど前に独立した。

 不動産屋から始めて、関連事業として引越・リフォーム・リサイクルなどを手掛けている。
 親戚の紹介で1,2年前から店で田舎のミカンの箱売りを始めた。田舎での仕事を創るため、ミカンの苗木のオーナー制度も始めた。田舎が潤い、田舎の人に喜んでもらう。田舎を活性化できる、ふるさと再生の力になりたい思いがある。そのために、仕事があって田舎に戻れる環境を創出したい。