2009年5月8日金曜日

今週の倫理 (611号)より 五月病の克服には「今・ここ」の精神で


例年より長い大型連休が終わり、気持ちの切り替えが難しいのがこの時期です。そして耳にするのが、「五月病」といわれるものです。

五月病は、大学に入学したばかりの学生がゴールデンウィーク明け後に無気力な状態になることからくる症状として、一般的に知られるようになりました。新しい環境や変化の激しい環境になじめず、現実の厳しさについていけないストレスからくる症状と言われています。

そう考えると、五月病とは学生に限ったことではなく、また五月ころに罹る新人だけの症状ではないようです。まさに、超スピード社会の中でストレスを多く抱えた現代人に当てはまる、誰にでも起こりうる症状とも言えるでしょう。   

「より早く、より多く、より正確に」は、仕事を進めていく上で大切なことです。しかし、これらばかりを求めていった場合、「早いことはいいことだ」「時は金なり」等が現代人に沁み込んでしまい、いかに短時間で生産性を上げられるかだけに意識が向いてしまいます。 

急ぎすぎるあまり、先のことばかりに意識が向いているならば、「今」を生きられず時間に振り回され、「いつの間にか今日一日が終わっていた」という、あわただしい生活を送るはめになります。
その結果、毎日が惰性的となり、生きている実感を得られず、無気力、無感動になってしまう「五月病」のパターンに陥ってしまうのです。

先のことばかりに心を向けていると、今まさに憂慮すべき深い部分を考えなくなってしまうことにもつながります。深い部分とは「自分の人生とはなにか」「自分は何のために生まれてきたのか」など、人生に対する意義や周囲をどれだけ思いやれるかといった思いやりの心です。また、経営の上では「何のためにわが社は存在しているのか」「わが社の使命はなにか」など、経営理念に通ずる問いかけとなるでしょう。

確かに現代社会は情報・物に溢れています。知識や情報、物は豊富に持っているけれど、深いことは何も知らないという不安が、自分自身の虚栄心や功名心をさらに満たそうと人の心を安易な方向へ向けてしまいます。
どのような難問にぶつかろうとも、答えの核心は自分自身の中にあります。問題となっている対象としっかりと向き合っていくとき、何を感じ、何を考え、どうすればよいのか見えてきます。「今・ここ」に心を向けたとき、答えが用意されていることに私たちは気づくのです。

激変の時代だからこそ、周りに流されず、しっかりと自分自身と向き合いながら「今・ここ」に心をおくことが大切です。目の前に起こる一つひとつの物事に対し、「すべて必要がある」と受け止め、「これがよい」と生活していきたいものです。

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