本日の講師は、日本映画撮影監督協会所属の撮影監督、金谷 宏二(かなや こうじ)氏、45歳。撮影監督というのは映画撮影するカメラマンの称号。ハリウッド映画で確立した地位で、照明・撮影の総責任者。
専門学校を卒業後、テレビ技術会社に入社。
最初はジャーナリストになりたかった。報道写真家ロバート・キャパの写真を見て、自分の知らない世界に興味を持った。次にドキュメンタリー、これは報道とは少し違う視点。が、どちらも似たような世界。図太い神経が必要で、相手の心に土足で踏み込むような気持ちがないと辿り着けないので、自分の性格に合わないと感じた。
その後、一人の監督に巡り合ってミュージックビデオ撮影を経験し、これを通じて映画の世界に入り、ドキュメンタリックなドラマ撮影に転じた。現在、この業界に入って25年、映画撮影は20年になる。
初めての海外取材はアフリカのケニアで、ここで経験した出来事をお話しする。
空港に着いて荷物待ちをしていた。撮影機材の入った自分のバッグを見も知らぬ黒人がベルトコンベヤを挟んで15m位先で持ち去ろうとしているではないか。驚いて追いかけ、後ろから飛び掛かり取り戻したこと。
店の前で車中一人で30分ほど寝て目が覚めたら周りが真っ暗になっていて、何かと思うと、実は真っ黒だった。物欲しさに集まって来た大勢の黒人に囲まれていた。予め教えられていたとおり、用意してきたタバコを配って難を逃れたこと、など。
以前、阪神淡路大震災のとき、奥様が挟まれて動けず火が迫ってきたとき、ご主人が奥様の発する最期の言葉を報道用ヘリコプターの騒音でとうとう聴き取れなかったという。節度をわきまえ、人の痛みに敏感でありたい。
この仕事、働き盛りはテレビ撮影は20歳代後半から30歳代、映画撮影は35歳代後半から40歳代、55歳位まで。
過密な日程で不規則な仕事、一睡もせずに朝を迎え、新幹線で東京から自宅のある新横浜まで1駅だけ乗るつもりで「こだま」に乗車したら、ついうたた寝して、気がついたら京都駅へ着く直前だったこともあった。
違う世界でご活躍の方のお話を伺い、興味が湧くとともに新鮮な感じがしました。
広報委員長 萩野宏樹
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