2008/08/01

今週の倫理 (570号)より 法律至上主義の隠れた落とし穴

Mさんの職場は、東京都内の大きな道路に面したビルの四階にあります。
ある日、休憩のためベランダに出てみると、眼下を横切る道路の脇にトラックが一台停まっています。よく見るとエンジンをかけたまま、運転手は昼寝をしています。暑い最中のことですから、間違いなく冷房もかけたままだったでしょう。

現在、関東地区の八都県市(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、横浜市、川崎市、千葉市、さいたま市)では、平成十五年十月より、定められた粒子状物質の排出量基準を満たさないディーゼル車は通行ができないことになっています。

この地域に車を乗り入れるためには、新型のものに買い換えるか、低減装置を取り付けなければなりません。
しかし、基準を満たしていればよいわけで、環境に対して悪影響のあるものが全く排出されないわけではありません。冒頭に紹介した事例の場合も、エンジンをかけたままということは、その間も排ガスは出続けているのです。法律の整備はできても、その法律は万能の代物ではないことが伺える事例といえます。

本来、商取引とは法律によって規制されるものではありません。その業界における公正な倫理観によって行なわれるべきであり、倫理観を逸脱した商行為を行なう者は、業界から締め出されていくことが望ましい形です。

ところが最近では、倫理観ではなく法律のほうが重視されていて、法律以外は信じないという風潮さえあります。こうなってくると、「法律さえ守れば何をやってもいい」「ギリギリのところで稼いでやろう」と考え、法律の抜け穴を探し出します。それを抑えるべく、新たな法律を作れば、またその抜け穴を探し出す。この「いたちごっこ」は、際限なく続くだけでなく、法律が厳罰化され、犯罪を巧妙化させていくことにもつながります。これは、商取引に限らず、様々な分野において同様のことが言えるでしょう。

古代中国、前漢の初代皇帝・劉邦(紀元前二五六年または紀元前二四七年~紀元前一九五年)は、その覇権争いの途上で、自身の領地に「法三章」を宣言したと伝えられています。

それ以前は、万般に及ぶ細かな法律が庶民を苦しめ、官僚の不正が横行していたのに対し、劉邦の示した「法三章」は「人を殺せば死刑」「人を傷つけた者は処刑」「人の物を盗んだ者は処刑」という誰にでも分かる簡単なものでした。この宣言の後、庶民にとって住みやすい世の中になったことは言うまでもありません。

わずか三ヵ条のみであったにもかかわらず、住みやすい世の中になったのです。現代社会にも通用する故事として、学ぶべき点があるのではないでしょうか。

行き過ぎた「法律至上主義」は、思わぬ方向へ行ってしまう傾向があります。法律を良くも悪くもするのは、そのベースにある「倫理観」です。

経営者として正しい「倫理観」を持ち、会社で、地域で、そして家庭で、多くの人の手本となるよう心がけましょう。

2008/07/31

7月29日 モーニングセミナー 300回記念「私の相撲人生」


横浜市中央倫理法人会300回記念モーニングセミナーを7月29日(火)ブリーズベイホテルで開催いたしました。

講話者は鹿児島県徳之島町出身、元高砂部屋(入門時は若松部屋)の力士、現高砂部屋マネージャの一ノ矢充様(本名:松田哲博)が「私の相撲人生」と題しましてお話しされました。

一ノ矢さんは昭和以降の最高齢力士「47歳」で初の国立大学出身の力士です。

当時の日本相撲協会の新弟子入門規定では慎重173センチ体重75キロ以上が必要でしたが、一ノ矢さんは身長166センチと7センチも足りないためそのままでは入門できない。それでもあきらめる気のない一ノ矢さんは身長を伸ばす体操をしたり、足にひもを縛り付けてホルモン注射を打つなど、あらゆる努力をしましたが、5ミリ程度しか伸びませんでした。
暫定的に身長を伸ばすために行った舞の海さんのシリコン話は有名ですが、舞の海さんのときにはすでにノウハウが確立されていて、頭皮の皮下に液状のシリコンを注入する袋をあらかじめ仕込んでおき、この袋にシリコンを入れるので、あとで袋ごと回収すれば元通りだったのですが、一ノ矢さんのころにはまだこんなノウハウは確立されていない頃でしたので、液状のまま頭皮下にシリコンを流し込んで、シリコンが流れてしまわないように、計測日まで横になり、さらにシリコンを入れた部分を保持するためにお椀を逆さにして押さえておくなどの工夫をして計測に臨みました。

こうした熱い思いと努力が通じたのか、新弟子検査で認められ、若松部屋に入門。一ノ矢さんの夢は叶いました。

最高位3段目六枚目小兵で出世はままなりませんでしたが、自らの選んだ相撲道をかたくなに貫き通しました。

現役時代は押し、出し投げ、肩すかしを得意としていましたが、毎場所のようにケガに悩まされました。
30歳代では、ケガを仲間と思い仲良くつきあうことを覚え、40歳代ではケガを自分自身ととらえて、身体と対話し見つめ直すチャンスだと思えるようになったといいます。

40歳を超える頃から相撲記者から年齢に関する取材が増え、その頃から相撲を「武道」と位置づけ、年齢に関係ない筋肉の付け方や使い方を知れば、まだまだ強くなれることを証明したいと思うようになり、年を取るのが楽しくなったとも語っていました。

2007年、47歳の結婚を機に引退した一ノ矢さんはこれからも相撲に関わって体の使い方など後進の指導に当たっていきたいとお話しされました。

(文:専任幹事 鵜飼稔)

2008/07/25

今週の倫理 (569号)より 人を人たらしめるもの それは人の愛である

 今から八百年程前、ローマ帝国のフリードリッヒ二世が、多くの新生児を集めて恐ろしい実験を行いました。
集めた新生児に対してスキンシップを全く施さず、言葉も掛けることなく、世話係がミルクを与えて胃袋を満たし、排泄の処理だけして育てたのです。その結果、ほとんどの新生児が心を病み、多くが死んでいったというのです。

 この事実から、人は栄養補給と身辺処理だけではまともに生きてはいけず、スキンシップは魂の正常化をはかる上で極めて重要であるということは明らかです。新生児は親からの愛情を得ようと、精神的乾きを何とかして潤そうと必死なのです。

現在の日本を見渡すと、あらゆるところで魂の叫びが聞こえてきているという現状です。家庭・学校での教育が崩壊しつつある今、職場での教育が最後の砦ではないかとも言われています。
社員教育で頭を悩ませていたA社長の会社では、とくに若手社員の離職率が高く、無断欠勤・遅刻、トラブル等が後を絶たない状況でした。そうした中、経営者モーニングセミナーで輪読する『万人幸福の栞』の一節に氏は光明を見いだしたのです。

人を生み、育て、やしなう、これは親の愛である。家庭をつくり、社会をいとなみ、人の世の幸福と文化を生み出すもとは、人の愛である。
それからというもの、社員を我が子のように思い、専務である妻と二人で時には親代わりに叱り、時には誰よりも応援しました。A社長夫婦の家族以上の関わりに若手社員も心打たれ、「裏切れない」という思いから、問題が激減したのです。

 倫理研究所創設者の丸山敏雄は、その著『純粋倫理原論』「愛の倫理」の中で、愛を段階的に説明しています。最も低い愛情を自己愛であると述べ、これは己一人の為に愛を支配・独占、すべて我が物としようとする我情の変形であるとしています。恋愛は、この段階で終わるものが多く、男女の愛は、じつは動物愛を誇張したものであるとも言っています。

 次の段階として愛が人間のものになってくると、まず、滲み出るのは憐憫の情で、「気の毒だな」「かわいそうだな」という同情心となります。この時、人間の心は動物の心とは離れ、これが高められて友愛となり、師弟の愛となり、主従の愛となり、ついに親子絶対の愛になるというのです。

 多くの親は、子供のためならば、己を捨て子供を守ろうとします。子供が病気になろうものなら「自分が代わりに病気になります。だから子供だけは助けて下さい」と念じ、子供が危険にさらされようものならば、命がけで助けに行くでしょう。そこには自己愛など無く、我が子に幸せになってもらいたいという思いしか存在しません。

どのような人にも父親と母親は存在します。また親代わりとされる人が存在します。会社では社長が親であり、社員はかわいい子供たちです。社員の幸せを願い、親のような思いに至ったとき、真心の働きが姿を現わすのです。

2008/07/18

今週の倫理 (568号)より 住職はお天道様

食品業界の一部企業による、賞味期限の改竄や産地の偽装。公立学校の教員採用に関する贈収賄事件。はたまた居酒屋タクシーなるものの、日本の中枢官庁街である霞ヶ関界隈への出没。連日、性懲りもなくと思えるほど、モラル低下の深刻さが報道される日本の現況です。

一九四六年、アメリカ人の文化人類学者ルース・ベネディクト女史は、著書『菊と刀』の中で独自の日本人論を展開し、日本文化を「恥の文化」と規定しました。しかし戦後六十年以上が経過した今、日本人が持っていたといわれる「恥じる」という高い精神性は、地に落ちたといった様相です。

しかし、それらをあげつらい、手をこまぬいて嘆いてみても状況は変わらず、いよいよ悪化の一途をたどるばかりです。まずは私たち一人ひとりが、身近な足下から改善をはかっていくことが大切です。
倫理法人会に入会して約一年が経過するK氏は、入会後まもなく「倫理は実践が大事」と聞き、先輩会員の勧めもあり、日常の身近な実践を徹底して行なってきました。

その実践とは、まさに足下の実践として「脱いだ靴を揃える」ということ。玄関に上がったら、腰をかがめて自らの手を使って、次に履きやすいように「出船」の状態にしておくというものでした。さらには、家族の靴が乱れていたら、何も言わずに整えるということも加え、付き合いでどんなに酔っ払って遅く帰っても、それを終始一貫続けてきました。

これが習慣となり、自宅以外で靴を脱ぐ際にも自然に行なえるようになり、自身の仕事においても一つひとつの仕事の後始末が苦手ではなくなっていました。
さらに嬉しいことには、この実践が新規得意先の獲得につながるということまで起こってきたのです。
K氏は仕出し料理屋を経営し、お祝い事はもとより、法事等でも料理を提供していました。そんな中で、あるお寺に半年ほど前からお取引頂けるようになり、現在では大きなお得意さんになっていました。そのお寺の住職が先日、料理を依頼するようになった経緯を初めて漏らしたのです。

それは見本を持って何度も訪れていた頃のこと、本殿の前で住職に商品の説明をしていた折、たまたま檀家のご家族がお参りにみえ、住職が案内に立った時です。一人残された氏は、いつもの習慣から、ご家族が脱いだ靴をサッと揃えたのです。この時の自然な姿を、住職が見ており、「この人物の会社なら安心して頼むことができる」というのが、決定理由だったとのことでした。氏は驚き、そして喜びつつ、陰日向なく、事業に臨む大切さを実感したそうです。

トップの日常の姿勢が企業の全体像として浮き彫りになることは、様々な企業不祥事を見ても明らかです。「お天道様」という言葉が最近聞かれなくなりましたが、他人の目があろうがなかろうが、自己の良心に恥じない行動をとることが、大切な実践といえるでしょう。

2008/07/11

今週の倫理 (567号)より 倫理経営者として 世を照らす光たれ

昨今の国内における社会情勢を鑑みると、人としてあるまじき行為が巷で横行し、企業においては法令無視をはじめ、組織ぐるみの虚偽や隠蔽が常にマスコミの標的となって世間を賑わせています。
 さらに、原油や食材など原材料価格の高騰や建築基準法の改正の影響などにより、廃業せざるを得ない中小零細企業も増えつつあります。今後の日本を支える経済は、霧に包まれた時代に差し掛かっているといっても過言ではありません。

 企業は「勝ち残る企業」「生き残る企業」「潰れる企業」の三種類だといわれます。中でも、「勝ち残る企業」は全体の5%足らずとされ、大多数の企業は日夜、喰うか喰われるかの生き残りをかけた壮絶なサバイバルを展開しています。

 しかし景気がどんなに悪くとも、絶妙の経営感覚をもって変化の波に乗り続けて成長・繁栄を手にしている企業は存在します。『会社の品格』(小笹芳央著、幻冬舎)に紹介されている、成長・繁栄する企業や経営者の五つの源泉を紹介しましょう。
 
一、専門性(企業として経営者としてある特定の分野に長けている、ある分野で高い評価を得ている、メンバー以上に経験が豊富である。そういった専門的な技術や資格、知識、情報をもっているかどうか)

二、人間性(経営者として人間的魅力、身体的魅力、人間的資質など、人間観の構築にどれだけ努めているかどうか)

三、返報性(社員が「この社長の期待に応えたい」「この会社の発展に貢献したい」という強い感恩と報恩の情を、どれくらいもっているかどうか)

四、一貫性(経営者として言行一致の姿勢を貫き続けているかどうか。また、経営理念や社是・社訓など「何のために」という大義や方向性を企業として持ち続けているかどうか)

五、厳格性(経営者として信賞必罰を妥協や迷いなく実行できているかどうか。自分に対する厳しさを持っているかどうか。社内にいい意味での緊張感や空気を作っているかどうか)

 ここに紹介した成長・繁栄する企業や経営者の五つの源泉をすべて取り入れるということは、なかなか難しい部分があるかと思われます。しかしどれか一つでも、経営者として企業として取り組んでみることで、現況の打開策に活用してみてはいかがでしょう。

倫理とは、人間間の道理や根本原理を指しますが、倫理法人会の会友は、その倫理に基づいた経営のあり方、経営者としてのあり方を学ぶことにより、地域経済ひいては日本経済を支えることを一つの目的として活動を展開しています。

 明るさの乏しい現代において、太陽のような力強い熱気と八方を照らす光をもった経営者であり続けたいものです。

2008/07/04

今週の倫理 (566号)より 両親との関係が人間関係の根本

先日起きた秋葉原での連続殺傷事件についての報道でもクローズアップされていましたが、人との絆が薄れ、孤独になるとエゴが増長し、物事を正しく見られなくなります。一方、人と人との絆が強まることで、自分の周囲に様々なよい流れを作ることが出来ます。人は人と交わることによって本当の人になるのです。

 親子関係で問題を抱えていたA氏は、子供の頃は可愛かった長男に対して、「もうこの子はいないほうが、我が家は幸せになるのではないだろうか。幸いにも次男がいることだし、長男はどこかに出て行ってくれないものだろうか」と真剣に思うようになりました。

 この時、A氏の夫婦中もまた冷えていました。夫婦として一緒に住んでいるものの、ただ同居しているだけといった関係でした。さらには、長年の懸案事項であった両親との関係も未解決のままで、とくに父に対してマイナスの感情がぬぐい去れないでいたのです。

そんなA氏の悩んでいる姿を見た友人が、A氏を地元のモーニングセミナーに誘いました。そこで「両親との関係の良し悪しがあらゆる人間関係の根本をなす」と知り、さっそく疎遠になっていた今は亡き父の墓参りに出向き、これまでの心間違いを詫びます。その後も定期的に墓参を続ける中で、それまでは嫌っていた元気な頃の父の言動は、実は自分たち兄弟への愛情の表われだったことに気づきます。

この気づきとほぼ時を同じくして、妻との関係も長男との関係も改善の方向に進み、今では夫婦関係はもとより、長男との関係も良くなり、家族としての幸せをしみじみと味わっています。 

 わずらわしさや苦手意識、また人の好き嫌いなどから、他人との絆が希薄になった状態は、自分では気づかないものの自己中心的な生き方になっています。そのあり方は、自分を守り、尊重するようで、実は自他の生命をも疎かにする行為となります。

 この私たちを取り巻く絆には、大きく分けて縦(上司・部下などの関係)と横(同僚・友人などの関係)という二種類の絆があります。この二種類の絆を共によくするには、わが両親との関係をより良くすることです。両親との関係を良くできる人は、自分の周囲に起こった出来事に対して、何を意味するか気づきやすくなります。

 自分の身に起こってくることは、苦しいこと(自分にとっては苦しい出来事)であっても、不必要なことは何一つなく、《全ての出来事には自分を成長させる何かの意味がある》ものです。
しかし、両親との関係がよくない場合は、様々な出来事に含まれる大切な意味に気づかず、見過ごしやすくなります。その出来事が苦しみ事ならば、単なる苦しみのままで終始し、せっかくの自己成長の機会を逃すことにもなります。

そこで両親との関係をよりよいものにする実践として、もしもこれまでに間違った感情を親に向けていたならば、A氏と同じように素直に詫びることです。両親の現在の生存の有無に関わらず、頻繁に顔を見せる、(墓前に)報告をするなど、できる限り喜んでいただける精一杯の努力と実践を継続していきたいものです。  

2008/07/01

7月1日 モーニングセミナー 「狂言の世界」



本日の講話者は大蔵狂言師の善竹十朗様です。(※重要無形文化財総合指定保持者)

「能楽」は21世紀になり、国連世界無形遺産に認定され、日本でもにわかにクローズされてきました。

そもそも「能楽」とは、「能」「狂言」のふたつを併せて「能楽」といい古くから大衆芸能として今で言うミュージカルやコントのような位置づけで愛されてきたわけですが、明治以降、時の政府が幕府の大事にしてきたものより、まず外国のものを紹介して、これらに追いつけ追い越せという政策を行ったため現代のように「能楽」を知らない人が増えてしまいました。

しかしながらここにきて、世界無形遺産のこともあり、日本古来の伝統芸能を楽しんでみようという機運もたかまってきたようです。
たとえば、横浜能楽堂の館長(元アサヒジャーナル編集長)は「能楽」への造詣が深く、新しい能楽の楽しみ方を発信するなどの取り組みを行っています。


「狂言」は人間の弱い部分を表現し、それをみんなで笑うといったコメディなので、いつの時代にも受け入れられるものであり、堅苦しく考えずに楽しんでいただきたいと思います。

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「狂言」の演目のくだりなどを実際に間近で詠っていただき、とても楽しいMSでした。


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※重要無形文化財総合指定保持者とは、国の重要無形文化財を正しく継承している人を認定する制度です。

2008/06/27

今週の倫理 (565号)より 人天に順えば、天また人に和す

梅雨の季節を迎え、鬱陶しく感じている方も多いのではないでしょうか。

 新聞の記事によれば、沖縄や奄美地方では例年五月前半に入梅し、九州南部も五月末には入梅することが多いようです。本州でも五月には「梅雨の走り」といわれ、三日に一度は一ミリ以上の雨が降り、一ミリ未満の弱い雨が降る日を含めると、東京辺りでは二日に一度は雨が降っています。

 さて、私たちが学ぶ純粋倫理という、よりよく生きるための心の生活法則では、自然の恵みである天候気候に対し、不足不満を思わず、恵みであると感謝して、日々、天候気候に順応した生活をしていると、不思議と天候気候に恵まれた生活を送れるようになると説いています。

 これは「人天に順(した)がえば、天また人に和す」などと表現されますが、この言葉は、自分の力ではどうすることも出来ない自然の営みに対し、不足不満に思って不機嫌に心を曇らせて生活することの愚かさを戒め、どうにもならないことは、そのまま、ありのままを素直に受け止め、明るく朗らかに屈託なく生活することの大切さを教えてくれます。

 明るく朗らかな心の持ち主には、明るく朗らかな環境が開け、そうでない人には違う環境が用意されていることを、先人たちは経験的に知っていたのでしょう。
天候や気候に対し、「鬱陶しい」「寒くていやだ」「暑くていやだ」などと不満に思っている人は、こうした経験則に基づいて、心の在り方や据えどころを変えてみてはいかがでしょうか。きっと今までと違った、明るい環境が開けてきます。

毎日のように変化する天候や気候に不満を持つ人は、日々そうした心のあり方を積み重ねていくだけに、心のあり方が悪い方に積み重なり、もう癖になってしまっている場合も少なくないようです。その日の天候に感謝するか、不満に思うか。一見、小さなことに思えることに意識を向け、変えていくことが自己改革の近道です。

漢方薬のように、効き目はゆっくりですが、確実に効果が上がります。
小さなこととは、日常足下の当たり前に思えるようなことです。こうした小さなことに意識を向けて磨きをかける訓練をするには、むしろ梅雨の季節は絶好といえます。

「今日は天気がいい」「また雨か…」など、私たちは毎日の天気に一喜一憂して心をマイナスに動かしたりプラスに転じたりしています。中には雨が好きという方もあるでしょうが、梅雨時は毎日のように雨が降り、気温も湿度も高く不快指数が増す季節。これを逆手にとって、自分を変える楽しい季節としてみたいとは思いませんか。

自己改革というと、山に籠もるとか滝に打たれるなど、非日常的かつ特別なことをしないと叶わないように思いがちですが、「小さなことに意識を向けて変える」という、ほんの日常の些細なことからも可能なのです。
自己改革に取り組み、明朗で闊達な心境に達したとき、「天また人に和す」不思議な世界も開けてきます。
この季節、「雨もまたよし」と朗らかに受け切り、実際に声に出すと、その気になってきます。試してみてはいかがでしょう。

2008/06/24

6月24日 モーニングセミナー 「後始末の効用」

本朝は倫理研究所法人局、松本光司研究員の講話です。

後始末とは物事の終わりではなく、次のスタートの準備です。

たとえば1992年当時のニューヨークでは殺人事件の数が2154件、重罪事件の数が626812件ありました。
この状況を憂い、当時の市長は110億円以上を投入して地下鉄の落書きを消すなどの清掃活動を行いました。
その結果、5年後には1997年には殺人事件が70件と約60パーセントの減少、重罪事件においては355893件と約半分になりました。

これが世に言う「割れ窓理論」ですが、これを企業経営にも反映させて考えてみると、まず汚い場所にいるとやる気が出てこないものです。その結果として営業力の低下、健康被害、注意力の低下や散漫、ひいては労働意欲の低下につながるのです。

いらないものを捨てて、よどんだところを作らないように気を配り、社内をいつもすっきりさせておくと大切なひらめきも生まれてきます。

では、どんなものを捨ててすっきりさせたらよいでしょうか?

研究員は、4点挙げています。

1 過去の栄光や思い出
2 レベル(品位)を下げるもの
3 いつか使えると思うもの
4 もったいないと思うもの

一見、エコに反していそうですが、会社にも自宅にも入れ物としての限界があります。
もったいないだけで、何年も使わないものなら、取捨選択をされるとよいでしょう。という講話でした。

2008/06/20

今週の倫理 (564号)より 職場の教養の活用が社員の変化を呼ぶ

倫理法人会の会員には、特典のひとつとして会費一口につき『職場の教養』という小冊子が三十冊贈呈されます。
 同誌は職場の朝礼に活用するもので、社会人としての行動指針や人としての心のあり方など、毎日多岐にわたるテーマで一カ月分をまとめてあります。

 使い方は各社で自由ですが、基本的にはリーダーを決めて、そのリーダーが本文の最初と最後の段落を読みます。途中の段落はリーダーが「ハイ」と区切り、それを受けて次の読み手が積極的に「ハイ」と返事をして読み進めます。
全文を読み終えた後にリーダーが感想を一言述べ、最後はリーダーの音頭に合わせて、具体的な実践の目標が示された「今日の心がけ」を全員で唱和します。

 多くの倫理法人会会員企業が活用していますが、様々な喜びの声が担当者のもとに届いています。
 次に紹介するのは、三十代の女性社員から送られてきたミニ体験です。

 私は中途採用で今の会社に入社しました。ところが二十二歳の女性社員で、なんとなく苦手な子がいました。

年は私が上なのですが、彼女の私に対する視線には「後から来たくせに」という冷たいものを感じます。しっくりいかないまま数日間が過ぎました。

 そんなある朝、『職場の教養』の「今日の心がけ」に「先手で挨拶をしましょう」とあり、ハッとしました。挨拶もせず、言葉も交わさずでは、ますます気まずい雰囲気になってしまう。勇気を出して自分から声をかけてみようと決意しました。そして翌朝、私は思い切って彼女に「おはようございます」と挨拶をしたのです。すると彼女からも「おはよう」と挨拶が返ってくるではありませんか。これを境に彼女の視線から冷たさが消え、古くからの仲間のように温かく気軽に接してくれるようになったのです。

 以前の職場では朝礼はありませんでしたし、もちろん『職場の教養』を読んだこともありません。今この職場で『職場の教養』に出会えたことをとても嬉しく思っていますし、たった一言の「おはよう」がこんなに人間関係をスムースにするとは、私にとって初めての体験でした。

 どの職場でも初めて『職場の教養』を導入した時には、社員からは様々な反応があるものです。「仕事と何の関係があるんだ」「こんなことをやっても時間の無駄では」など。しかしここでトップが挫けてしまえば、すべてが水泡に帰します。

 ものごとはいったん始めたらとにかくやり続けることです。やり続けるうちに、必ず社員にもその良さや必要性は伝わります。また、そう信じてトップが真剣に取り組むことが大切です。
続けるうちに「社員が積極的になった」「自分の考えをハッキリと言うようになった」など、その変化を感じられるのはトップにとっても最高の喜びです。一日一日の積み重ねですが、その成果は計り知れないものがあるのです。

2008/06/13

今週の倫理 (563号)より 繁栄への道は早起きから始まる

倫理というと、堅苦しいものと思い、少し構えてしまう人があるようですが、そんなものではありません。特別むずかしいことでもないのです。

倫理の学びは、朝起き、あいさつ、返事・笑顔・後始末といった、人として社会生活をおくるために当たり前のことを、しっかり実践していくことなのです。

この教えをあらゆる業界の経営者が企業経営に活かし、基本的な事を実践して素晴らしい企業風土を育んでいるのです。そして日々の実践活動を通じて社会のために仲間づくりを楽しみつつ、「日本創生」に向かっていこうというのが私たちの目的です。

まずは、朝起きの実践です。「朝起きは繁栄の第一歩」という標語をかみしめましょう。朝、目が覚めるということは、自分の力ではなく大自然の力によるものです。大自然の大きな力で生かされているのが私たちなのです。

グズグズしていて何の得があるでしょうか。毎日のグズグズ時間によって、精神的・物理的に失うものの蓄積は、ばかになりません。

今日一日が私の、あなたの人生です。そして、今日は二度と戻ってこないのです。「やり直しができない」と気づいたら、のんびり朝寝などしてはいられないでしょう。朝は一日の出発、スタート。お互いに持っている能力や個性を発揮する第一歩と心得て、模範となる朝起きの実践に磨きをかけていかねばなりません。
朝起きを実践している人は、仕事を追いかける人になっていきます。仕事を積極的に追いかける人は、仕事が順調に進み、人が都合よく来てくれます。営業の話がより良くまとまり、外回りでの交通の流れまでがスムーズに運んでいくのです。

T氏は、六年前から朝起きの実践に真剣に取り組むようになりました。倫理法人会が主催する「経営者モーニングセミナー」に積極的に参加しています。

午前六時からの「経営者モーニングセミナー」への参加を一つのきっかけに、毎日午前四時には起床。会社に一番乗りをすると仕事も効率よく進むことを身をもって体験しました。
S氏は、健康不安をいだきながら消極的になっていたことを反省し、生活を朝型に変えて積極性を高めました。するといつの間にか、先手の挨拶と「ハイ」の返事が身についてきたのです。健康への不安は、いつしか消えていったことはいうまでもありません。

N氏は、倫理は実践することで身につくものと心し、様々なことに挑戦しています。
朝起きの実践、そして夫婦での朝の挨拶、トイレ清掃と、すべてに喜んで磨きをかけているのです。
「自分に負ける人は何をやっても大成しない。朝起き一つ出来ずに何ができるか。『ねむたくばいつまでも眠れ墓の中』」(「清き耳」丸山敏雄著)といわれるように、倫理の実践は日常のごくごく当たり前のことであって、誉められたり、はやし立てられたりするものでもありません。朝起きは繁栄の第一歩と心得れば、おのずと私たちがするべきことは見えてくるはずです。

2008/06/06

今週の倫理 (562号)より 心ひとつになる時 社全体が輝きを増す

 時代の変化は、年々早まってきているようです。ひと昔といえば十年だったものが、現在では一年一昔となり、十年は大昔にさえ思えるほどです。この急激な変化の中、厳しい競争に勝ち残るためには、社長の人間力を中心に全社員が一丸となり、いかなる経営環境の変化にも対応できる組織力を持つことが大切です。

 中小企業の強み「三条件」としてよく聞くのが、「労使の一体感」「機動力」「マーケット感覚」です。

「労使の一体感」とは、いうまでもなく社長中心に全社員の一枚岩体制です。「機動力」は、即実行・即対応であり、徹底した顧客サービスなどです。「マーケット感覚」とは、顧客ニーズを肌で感じて、それに対応していくことでしょう。経営者の誰もが、この「三条件」を軸に、様々な経営危機を乗り越えて、今日の基盤を造ってきたわけです。

 ある地方で、民間車検工場中心に板金・塗装工場を経営するT社長は、「うちは、いかなる経営環境の中でも、勝ち残る自信がある」と言い切ります。その理由として、「顧客のために」を念頭に、親切・丁寧・真心のサービスを実行していることを挙げます。それも社長の命令や指示によるものでなく、社員各々が積極的に話し合いながら取り組んでいるというのですから、社長の自信も頷けます。

 社員の仕事は、始業時間前のミーティングから始まります。その日の仕事の確認をはじめ、予約客に対しては到着時間を見計らって入り口に立って迎える、帰りの際は出口まで行って丁寧に見送るなどまで話し合うのだそうです。また、その日のすべての仕事が終了しても、すぐに帰るのではなく、ミーティング通りに仕事が進められたかどうかを全員で反省します。良かった点は続行し、悪かった点は即座に改めるなどの努力を重ね、現在の「三条件」を満たす社風を作り上げてきたのです。

 同社には社員の応対力の高さがあります。待合室のみならず工場内がきちんと整理され、チリ一つありません。その待合室には飲み物が準備され、ゆっくりとくつろげるソファーもあるのです。さらに驚いたことに、その待合室から工場内がすべて見えるようになっているのです。客の誰もが、自分の愛車を大事に扱ってくれている様子を確認でき、嬉しくなるでしょう。あたかも工場内において、人と物とが一体となって、喜んで働いているかのようです。T社長は「私はただ、社会貢献を目的に経営を進める一方、社員の物心両面を高めることに努めてきただけです」と控えめです。

「事業の倫理」に、「『この仕事は、あくまで、世のため人のためにするのだ』という目的がはっきりと立って、いつまでもそれ(初志―創業精神)を貫きとおす、これが繁栄の秘訣である」とあります。さらに「一つ心にかたまって、思いきって行なうとき、ここに奇蹟が現われる」とも教えています。これこそが、経営者の人間力を高める大きなポイントであり、また社員が心一つになって顧客志向の実践に向かう不動の柱となるものなのです。

2008/06/03

6月3日 モーニングセミナー 「海の安全・安心について」


本日は前海上保安庁長官 石川裕己さんの講話。


日本近海における多くの事件・事故の発生と海上保安庁の活躍を海保ジャーナルという海上保安庁広報誌を使って、ご講話いただきました。

海上保安庁は不法入国船舶の監視の必要性から、バラバラだった行政組織を統一して昭和23年5月に海上保安庁が発足しました。

海上保安庁旗は旧海軍とは違うという意味から、色は赤ではなく青とし、マークは錨ではなくコンパスなのです。(現在も警察の一機関)

昭和35年くらいからタンカーの事故も多く発生し、火災および海の汚染というのが問題となり、昭和40年代には全日空の羽田沖墜落事故も起きました。

日本は四方を海に囲まれた島国であるため、領土は238万平方キロメートル(世界で61番目の広さ)しかありませんが、排他的経済水域(200海里)は447万平方キロメートル(世界で6番目)、海岸延長キロは3万5千キロ(世界で6番目)の長さを有する国であり、また日本は貿易立国ゆえ、輸出入で成り立っている国であるため、国際貨物の99パーセントが海上運輸に頼っています。

また、油類、セメント、鉄鉱石などの基礎物資は日本国内においても80パーセントが船舶で運ばれているわけです。

食料においても、約60パーセントが海外からの輸入に依存している日本では、そのほとんどが船で運ばれてきていて、エネルギーにおいてはその90パーセントが船便です。

こうした日本の生命線、海上の安全を1万2千余名の海上保安庁のみなさんが守ってくれています。

普通に生活していると気がつかないのですが、日夜日本の安全を守ってくれている人たちがいることを思い起こすモーニングセミナーでした。