2008年12月26日金曜日

今週の倫理 (592号)より 「身も心もきれいにし佳き年を迎えよう」

今年も残りあと数日となりました。今年はあのトヨタ自動車も赤字に転ずるなど、激変の一年となりました。
この激変はしばらく続くようですが、年が改まる平成二十一年は、百年に一度とも言われるこの大激動をガッシリと受け止め、改善すべきは断固改善し、この変化を好転の方へ向かわせたいものです。

そのためには、まず「必ずわが社はよくなる、よくする」と、今ピンチの状況にある人も、最後の最後まで誰に何と言われようと諦めないことです。「もうダメだ」とは、人が勝手に思いこんだものにすぎません。「ダメな時でもダメでない」と執念深く勝負を捨てない時に、新たな道が開かれます。
その際に大切な点として、土壇場で踏ん張り続けられるように、自分自身からエネルギーが出やすい状態に維持することがあります。まずは、一年の終わりのこの時期に、エネルギー効率をよくするためにも、自分自身のいのちのオーバーホールを行ない、いのちの再生を図りましょう。

古来より日本人は、「ツミ」「ケガレ」が付くことで、本来のいのちが衰えると考えてきました。その「ツミ」「ケガレ」は、自分本位のわがままな行為や思いによって生じるもので、そのケガレ状態から再び生命力の充実した日常生活に立ち戻るために行ってきたのが、祭りや休日でした。
お祭りや休日を利用しての参拝またはお墓参りなど、自分自身を清浄化してくれる非日常的な行為により、「お祓い」をし、いのちを甦らせてきました。

年末の大掃除は、その場をきれいに掃き清めると共に、自己の心もきれいに磨かれる気分になります。普段は手の届きにくい、机の裏や部屋の隅なども、置いてある物を動かして、自分の心の汚れも一緒に落とす気持ちで、丁寧に美しく清掃し、さっぱりとした心にリセットしたいものです。そして年明けには、美しく掃き清められ、注連縄や門松で飾られ、鏡餅が供えられた社屋や我が家に、年神(正月様)を迎え、新たなパワーを頂きましょう。

もう一点は、今一度、「親とのつながりを強化」しましょう。
激しい時代を乗り越えるには力が必要です。真に強い力とは、自分を超えた存在を味方にしたときに現われる力です。その力は、両親を敬愛することで開かれた「純情(すなお)」という心のパイプを通して、彼方から押し寄せてくる。
(『夢かぎりなく 日本創生への道Ⅱ』)
親が立派だからつながりを強めるのではありません。私たちのいのちの元である、自分を超えた存在からの力を頂くための、通過点や関所のような存在が両親です。だからこそ、親とのつながりをより密にすることが大切なのです。  

親が健在の場合は、さらに親を大事にし、亡くなっている場合は、年末年始にじっくりと親に向かい合うことで、不退転のエネルギーを補給しましょう。

来たる年は、自己中心の心を捨て、親を通してエネルギーを充電し、きっぱりと勇ましく進んでいこうではありませんか。

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会員企業の(株)太陽ハウス様を追加しました。

2008年12月19日金曜日

今週の倫理 (591号)より 日本人の原点に返り大波を押し返そう

世界銀行は、2005年時点で開発途上国人口の四分の一にあたる十四億人が「貧困層」であるとの統計を発表しました。

 現在、地球上には、約六十七億四千万人もの人口が溢れており、貧困層は総人口の20.7パーセント。日本円に換算して、一日約140円未満で生活をしている人々という計算になります。

 我が国では、生活に困窮している国民に必要な保護を行なっています。最低限度の生活の確保を目的とした「生活保護制度」(生活扶助、教育扶助、住宅扶助、医療扶助、介護扶助、出産扶助、生業扶助及び葬祭扶助)が充実しており、最低でも月額六万円以上の援助が約束されています。

 国によって物価の違いなどがあり、一概には言い切れませんが、世界の基準に照らし合わせてみると、我が国では誰一人として世界基準の生活困窮者はいないということになります。

 さらに、日本人は他国に比べ、非常に恵まれた環境の中で生活しているといわれます。食糧難で餓死をするケースは殆どありませんし、四季折々の食料も確保できます。また、治安も安定しており、夜中に外出しても、よほどのことがない限り事件や犯罪に巻き込まれることもありません。

 その他、飲料水は公園でも公共施設でも至るところで確保することができ、高いレベルの教育も受けることができます。医療システムも充実しており、世界でも冠たる長寿国家としても有名です。
以前、あるアメリカ人が来日した折に、日本のホームレスが街角で新聞を読んでいる姿を見て、「彼らは字が読めるのになぜ働かないのか。アメリカでは読み書きできない者がホームレスになるのに、日本はどうなっているのだ」と驚いたということです。

 幸せや豊かさの基準は人により様々ですが、世界的な生活水準から客観視すれば、私たちは戦後、長年にわたり安定した生活を保ち続けてきたことになります。しかし、そのような幸福とは裏腹に、いつしか拝金主義がはびこり、日本人が綿々と大切に守ってきた謙譲の美徳や相互扶助の精神などの心の豊かさは、どこかに置き去られてしまいました。それが今日の日本が抱える種々の弊害を巻き起こしていると指摘する人もいます。

100年に一度といわれる経済不況の大波が押し寄せている今日、私たちは改めて日本人としての生き方の原点に立ち返る必要があります。全社あげてスクラムを組み、しっかりと大地に両足を踏みしめ、大波に流されず、いやむしろ大波を押し返すだけの不動の絆を強固にしてまいりましょう。
「感謝は最高の気力」といわれます。何気ない当たり前の幸せと豊かさに喜びを見いだす一念一念の積み重ねの中にこそ、ピンチをチャンスに変える打開策はあるのです。

  運命を切り開くは己である。境遇をつくるも亦自分である。己が一切である。努力がすべてである。やれば出来る。
(『万人幸福の栞三七頁』)

2008年12月16日火曜日

12月16日 モーニングセミナー

本日のMS感想文は守田幹事のご了解を得て、ブログから引用させていただきました。


今朝は、所属する横浜市中央倫理法人会今年最後のモーニングセミナーに参加した。

今朝の講師は、倫理研究所の研究生という立場の与縄智久氏で26~27歳の若さである。

しかし、講話を聞きながら、そして朝食を共にさせて戴く中で、謙虚な姿勢、ひたむきな姿勢、周囲に対する思いやりなど私たちがともすると日常忘れてしまいがちなものを、久々に思い出させてくれる爽やかな印象を心に残してくれた。

それは、まだまだ人生経験は少ないかもしれないけれども、その中から自分自身と向き合う自己内観を行ったり、日々自分自身を人間的に成長させることに真摯に努力を積み重ねていることが発言・所作などににじみ出ていたからなのだろうと思う。

人間、歳を重ね社会的地位が上がるにつれ、現在の自分自身しか見ることができなくなり、自分自身を成長させるために積み重ねてきた努力や苦しさ、そこから得た貴重な体験ということを忘れがちになってしまうものだと思う。
しかし、発展途上にある逸材に出会い、相手の立場に立ち、自らの経験を重ね合わせてみた時、自分自身を更に成長させるためのヒントがそこから得られるのだとも思う。

年長であったり、社会的地位が上であったりすると自分自身の価値観に囚われがちになってしまい、せっかくのチャンスを無駄にしてしまうことのないよう、万象をわが師とできるような謙虚な姿勢を忘れないような生き方をしていきたいと改めて考えさせてくれる年の瀬の勉強会であった。


原文はこちら

2008年12月12日金曜日

今週の倫理 (590号)より 明るく肯定的に 気づいたら即行動

今年の夏は北京オリンピックで大いに湧きましたが、落ち着きを取り戻した今秋、これまでオリンピックで活躍したトップアスリート達はそれぞれの道を歩き出したようです。

ユニークながらやや危ない発言でマスコミに注目された柔道の百キロ超級金メダリスト石井慧選手は十一月三日、プロの格闘家への転向を発表。シドニーオリンピック女子マラソンで、日本人女子陸上選手初のオリンピック金メダリストとなった高橋尚子選手は、残念ながら引退という道を選択しました。「アテネより超気持ちいい」と次々に記録を更新し、競泳男子平泳ぎ百メートルで二連覇を果たした北島康介選手は一時、引退との噂も流れましたが、次のオリンピックを目指すと表明しました。

 その北島選手の実力発揮の源泉をめぐって、北京オリンピック後に「勝負脳」という言葉が静かなブームになったようです。

『〈勝負脳〉の鍛え方』の著者である脳外科医の林成之氏はその著書の中で、何事にも否定的で、やる気、意欲が出ないのは「脳の疲労症状が原因である」としています。脳の疲労には「じつは心が深く関係し、いろいろなストレスを抱えている、解決しない悩みごとがある、性格が暗くいつも悪いほうに考える」等々で、その打開策として「性格を明るくすることが第一条件である」「勝負に強いスーパープレイヤーは何事にもめげない明るい性格をもっている」といい、「日常生活において、てきぱきと一日の仕事や目標を達成する行動パターンをつくり鍛えることが大切」と述べています。

北島選手の場合も「プールと一体化したと思えるまで集中し、プラスのイメージを構築する」「否定語を使わない」「ライバルではなく自分に勝つ」と、キーワードは「明るさ」と「自分」にあるようです。「明るい」「肯定的」「プラス発想」はスポーツに限らず、ビジネスの世界でも、持てる力、能力をここ一番という時、最大限に発揮する源といえるでしょう。

「ある日届いた一枚のファックスが倫理との出逢いです。毎週木曜の朝六時から七時までのモーニングセミナー。今までどんなに多くのことを気づかされたか…。まずはあいさつ。簡単なようで意外に出来ていないことに気がつき即実行。大きな声で笑顔もつけて。只今、会社全体で取り組み中。そして、活力朝礼。朝から精一杯の声を出し最後の『解散しまぁ~す』『解散!』『ハイ』と同時に、てきぱきとそれぞれの仕事につく。まだまだですが、確実に会社は変わりつつあります。自分が変われば、まわりが変わる。自分が変わらなければ、何も変わらない」(山形県倫理法人会による『山形新聞』10月21日付広告より一部抜粋)
経営環境の厳しい今だからこそ、「明るさ」をキーワードに「自分が変わる」を目指し、周囲に振り回されず、周囲を振り回す意気込みで、「明るい挨拶」「元気のある返事」「肯定的な言葉」「気がついたらすぐ行動」など、出来ることから実践してみようではありませんか。きっと力が漲り新たな発想が浮かんでくるに違いありません。

2008年12月10日水曜日

12月9日 モーニングセミナー ガソリンの価格とバイオエタノールはどうなる?

本日の講話者は元エッソ石油(株)代表取締役常務、現在は日本アルコール産業(株)相談役でいらっしゃる西尾直毅様です。


現在の先進国において石油の需要は横ばいですが、ところが現在急激に国力を伸ばしつつある、中東や東南アジア、BRCISなどが大量に必要としているそうです。

講演などをする際、訊ねられることが多い質問の中に「石油の埋蔵量はいつまでも減らないのはなぜか?」というものがあるそうです。
十年以上前から、化石燃料はあと50年ほどすると枯渇する。といわれていました。
この50年が今になってもあと50年はもつ。なぜ何年たっても50年大丈夫なのか?

この質問について、明確な説明していただきました。

石油の掘削技術と埋蔵量の調査技術がすすみ、陸地からのボーリングおよびポンプアップではなく、海岸線付近でも掘削作業の可能になり、近年では沖合でも掘削作業が問題なく可能となったため、世界中の海で人工衛星を使って埋蔵量の豊富な地域に、的確に掘削を行い、地中にパイプを潜らせることや、垂直方向にしか掘削できなかったものが横へ移動しながらポンプアップすることも可能になったため、掘り出せる埋蔵量が増えているような報道になっているわけです。

このほかにもバイオエタノールの問題なども各国の事情などを加えながらわかりやすく説明していただきました。

2008年12月8日月曜日

函館市倫理法人会モーニングセミナー 「やればできる」



私たち神奈川県倫理法人会が30名ほど駆けつけて「佐藤克男氏を励ます会」を開くということから、函館市倫理法人会のみなさんの特別な計らいで函館国際ホテルにて特別モーニングセミナーを開催していただきました。テーマは「やればできる」。

佐藤氏は支持してくれる方々から、推挙されたときにぐずぐずせずに、「はい。」と一言、出馬しますので応援をお願いします。と決めたといいます。

中央のみならず、神奈川県下ほとんどの倫理法人会に顔を出して、倫理を学んだ佐藤氏の活躍に期待したいとおもいます。

函館市倫理法人会会長をはじめとする会員の皆様、モーニングセミナーの予定を変更してまで駆けつけていただき、本当にありがとうございました。

総勢57社61名の盛大なモーニングセミナーでした。

佐藤克男氏を励ます会@森町

神奈川県倫理法人会の有志を募って会友30名が12月7日・8日に北海道の森町(もりまち)へ町長選挙に当選した佐藤克男町長に表敬訪問しました。



森町ではちょうど「森ほたて祭」の開催日に当たっていて、大きなほたての網焼きをいくつも試食させていただきました。
このほかにも、、名物のイカめしや海草最中などをいただき、おなか一杯になりました。

また、日曜日であるにもかかわらず北海道電力さんにご協力いただいた森地熱発電所の見学、そしてとてもおいしいトマトを栽培されている地熱をつかったハウス栽培も見学させていただき、町長のみならず町の皆さんが暖かく受け入れてくれて、ほんの一時でしたが交流ができたことはとても貴重な体験でした。

町長を励ます会のつもりが、なんだか励まされる会になったかもしれません。

森町の皆様、本当にありがとうございました。






2008年12月5日金曜日

今週の倫理 (589号)より 自らの環境を受け入れ、世に誇れる仕事をする

現代を生き抜くには、タフな心を培うことです。タフな心を培うために必要なこととは何でしょう。

①自分を律し、自己変革に挑む気力(苦難・障害を受け止める力)を高める。
②変えることの出来ない過去を受け入れる(受容力)を養う。

人は弱い存在です。一人の力などたかが知れているものですが、ひとたび人が両親を通してその命とひとつながりの生活をすると、心は落ち着き、強さを備え、また途方もない力を引き出すことができるのです。つまり、生かされていることへの感謝が深い人は、生命力や物事を成す力(能力)に凄みが出てくるものです。

「魂のテノール歌手」として活躍中の新垣 勉さんもその一人。昭和二十七年、沖縄米軍兵の父(メキシコ系アメリカ人)と日本人の母との間に沖縄で生まれました。生後まもなく事故により失明。一歳のときに両親が離婚し、父は米国へ戻って再婚したため、母方の祖母に中学まで育てられました。彼が中学二年のときにその祖母が他界し、多感な当時、両親に強い恨みを抱いては〈自分ほど不幸な人間はいない〉と言い知れぬ孤独にさいなまれ、井戸に身を投じたこともあるといいます。

そんなとき、ラジオから流れてきた賛美歌に、ひとすじの光を見つけ、いつしか教会へと足を運ぶこととなりました。そこで出会ったK牧師に思いをぶつけたとき、涙を流しながら彼の話をじっと聞いてくれ、その後は頻繁に自宅に彼を招いては家庭の温かさを教えてくれたのです。

この出会いが、彼を立ち直らせました。ほのかに歌手になる夢を抱くも牧師の道を選び、東京キリスト教短期大学、西南学院大学神学部に進学。在学中にマリオ・デル・モナコを育てた世界的大家のA・バランドーニ氏の講義を受け、彼は半ば強引にオーディションを懇願したところ、氏がオーディションの場を特別に設けてくれたのです。「君の声は日本人離れしたラテン系の明るい声だ」と、父親からもらった声を褒められたのです。そのことが父への憎しみを薄くさせるきっかけとなったといいます。

卒業後は地元へ帰り、副牧師として活動しはじめたのですが、その後も歌手としての夢が捨てきれず、三十四歳のときに武蔵野音楽大学へ進み、先述のA・バランドーニ氏に師事。直接レッスンを重ねるたびに、父に対し、また母に対する恨みの気持ちが去り、感謝への気持ちが湧いてくるようになっていったのです。

「全盲」と「天涯孤独」という逆境を乗り越えるきっかけを作ってくれたK牧師の大きな愛情の後押しもあり、新垣さんは恩返しのためにもと心を決めたのです。自分を救ってくれた音楽のすばらしさを伝え続けることに専念。父親の所在と生死は不明ですが、現在は両親を前に声を大にして伝えたいと言い、「一人でも自分の歌を聴いて『元気をもらった』と言ってくれる人さえいれば、自分は生きているだけで嬉しい」と語ります。

人生は波乱万丈です。自らの環境や境遇を素直に受け入れ、日々の仕事が世のため人のためになるよう精励していきましょう。

2008年12月3日水曜日

神奈川県倫理法人会のブログサイトが解禁

神奈川県倫理法人会のサイトの中のブログはこれまでセキュリティのためにパスワードがかかっていて、RSSの取得などができないようになっていましたが、先日の広報委員会において当面パスワードをハズして様子を見ることになりました。


県内の各単会の活動もこちらでご覧いただけるようになりましたのでぜひお立ち寄り下さい。

神奈川県倫理法人会のサイトはこちら。

2008年12月2日火曜日

12月02日 モーニングセミナー 会員スピーチ

本日のモーニングセミナーは、(株)グローバルシステムズの卯柳貴重会員と(株)アイ・アイの大矢秀臣会員お二人の会員スピーチでした。


【卯柳 貴重会員】 「何故ここにいるのか」
卯柳会員は、餃子で有名な栃木県宇都宮市生まれの37歳の若手会員です。宇都宮の家庭では冷凍庫に50個の餃子が常備され、小さい頃からおやつも餃子、夕食にも餃子が出るのがあたり前と思っていたが、世間的にはあたり前でない事を横浜に出てきて知ったという。宇都宮市といっても市外地で、小学校までの4km を1時間歩いて通うような大自然に恵まれた片田舎育ち、やんちゃな子で1学年1クラスの先生の目が届く小人数のなかで先生によく殴られて叱られたという。

両親とも先生で、父親は宇都宮市教育委員長も勤め上げ、母親も校長先生という厳しい父母の元で育ち、周りは農家で高校に進学するのも半数という地区の中、大学まで進ませたいという両親の計らいで20kmも離れた私立中学・高校に通った。この時の思い出は、9割が女子生徒で卒業までに20通ものラブレターを貰ったがそれ切りでおしまいと言う悲しい話。今あるのは両親のお陰と感謝。

親戚も教員という教育一家で当然先生を目指すつもりが、動物好きの祖父の影響で獣医師を目指すが挫折、大学卒業後血液検査技師として病院に勤めるが、ピラミッド構造と「医は算術」というダークな部分が嫌で1年で辞め、コンピュータ・ソフトウェア業界に転職し、中国人の社長と二人で現会社を大きくしてきた。業界の中でも中国でのオフショア開発の先駆け企業で、15年前から上海で活動してきた。

倫理法人会へは、自民党政治大学同期生である当会高橋徳美会員との出会いで入会。地域教育格差や教育現場の崩壊を何とかしたいと、横浜市議会議員を目指して今も勉強中である。本日の主要テーマの「なぜ倫理法人会にいるのか」は、笑いのうちに時間切れで忘年会へ持ち越し。請うご期待。



【大矢 秀臣会員】 「両親について」
父親は名古屋市出身で、大矢家は関が原合戦の頃から徳川家の「守り本尊の土の地蔵さん」を背負って各地を歩いたという先祖に遡る家系で、今でも兄の家に地蔵さんが保管されており、他にも徳川家の紋所のついた抹茶茶碗やひな壇も残っているという事です。明治42年生れで愛知商業大学を出たあと就職もせずブラブラしていた所、当時の南区区長さんからの役所に来いという一声で区役所に就職出来たという逸話の人です。新し物好きで、名古屋市で2番目に車の免許をとり、知事の専用車V8フォードも運転したそうです。

母親は大正元年生まれで、女学校を出て当時花形職業の電話交換手をしていて、お二人が出会い見合い結婚があたり前の時代に恋愛結婚し、3男2女に恵まれました。ご自分も職業婦人であり「男は自分で世の中を切り開き家庭を築け」「女は主人に万が一の事があっても食べていける様に手に職を持て」という考えで、お二人の娘さんを、薬剤師とバイオリン教師につけ、後にお二人共ご主人が早くに亡くなられたけど困らなかったようです。

父親は役所を退職し友人と水道メーターの会社を協同経営で始めたが、戦争で軍需工場に指定されたのを機に、「人を殺す道具は作りたくない」と友人に会社を譲り、岐阜県の親戚に疎開して3年半釣り三昧の日々を過ごし、その後横浜スカーフの村上義一商店にいた叔父をたより横浜に移住。横浜スカーフの会社を設立して大成功し、扇町に当時初の4階建ビルを建てたりスカーフ会館を建設したりと大活躍。また、日産ダットサンの助手席に揺れや転落に耐える両手で掴むバーを付けさせたというアイデアマンでもあった。

高校入学までは厳しかった父親も、以後は男と男の付合いで何でも相談でき、マージャン・ゴルフ・玉突き等すべての遊びも父親から教わったそうです。世話好きで、町内会や東本願寺詣の世話役、子供3人が通った関東学院大学のPTA会長を10数年も引き受け、終了後も請われて父兄同窓会を設立・会長を勤めたそうです。医者や歯医者にも行かずに健康で過ごし、89歳で入院した時に診察券を一切持っていなかった事や全て自前の歯に感心されたそうです。自分の死期を悟り会社や建物などの後処理を全て指示され、お腹に穴をあけ流動食を通す相談には自分は出ないと宣言したその日に90歳で永眠されました。

66歳になる大矢さんが、今までも、これからもご両親の影響を受けて生きていくという事とご両親を心から尊敬されている気持ちが伝わってきました。
大矢さんにとってもう一組のご両親がおられるという、動物商への道と倫理に導いてくれた河野初代神奈川県倫理法人会会長ご夫妻のお話も次回じっくりとお聞きしたいですね。


☆モーニングセミナー終了後の食事会で、厳しい父親とやさしい母親について皆さんから、それぞれ共感する意見が出ました。

文章:前嶋昭夫地区長