現代を生き抜くには、タフな心を培うことです。タフな心を培うために必要なこととは何でしょう。
①自分を律し、自己変革に挑む気力(苦難・障害を受け止める力)を高める。
②変えることの出来ない過去を受け入れる(受容力)を養う。
人は弱い存在です。一人の力などたかが知れているものですが、ひとたび人が両親を通してその命とひとつながりの生活をすると、心は落ち着き、強さを備え、また途方もない力を引き出すことができるのです。つまり、生かされていることへの感謝が深い人は、生命力や物事を成す力(能力)に凄みが出てくるものです。
「魂のテノール歌手」として活躍中の新垣 勉さんもその一人。昭和二十七年、沖縄米軍兵の父(メキシコ系アメリカ人)と日本人の母との間に沖縄で生まれました。生後まもなく事故により失明。一歳のときに両親が離婚し、父は米国へ戻って再婚したため、母方の祖母に中学まで育てられました。彼が中学二年のときにその祖母が他界し、多感な当時、両親に強い恨みを抱いては〈自分ほど不幸な人間はいない〉と言い知れぬ孤独にさいなまれ、井戸に身を投じたこともあるといいます。
そんなとき、ラジオから流れてきた賛美歌に、ひとすじの光を見つけ、いつしか教会へと足を運ぶこととなりました。そこで出会ったK牧師に思いをぶつけたとき、涙を流しながら彼の話をじっと聞いてくれ、その後は頻繁に自宅に彼を招いては家庭の温かさを教えてくれたのです。
この出会いが、彼を立ち直らせました。ほのかに歌手になる夢を抱くも牧師の道を選び、東京キリスト教短期大学、西南学院大学神学部に進学。在学中にマリオ・デル・モナコを育てた世界的大家のA・バランドーニ氏の講義を受け、彼は半ば強引にオーディションを懇願したところ、氏がオーディションの場を特別に設けてくれたのです。「君の声は日本人離れしたラテン系の明るい声だ」と、父親からもらった声を褒められたのです。そのことが父への憎しみを薄くさせるきっかけとなったといいます。
卒業後は地元へ帰り、副牧師として活動しはじめたのですが、その後も歌手としての夢が捨てきれず、三十四歳のときに武蔵野音楽大学へ進み、先述のA・バランドーニ氏に師事。直接レッスンを重ねるたびに、父に対し、また母に対する恨みの気持ちが去り、感謝への気持ちが湧いてくるようになっていったのです。
「全盲」と「天涯孤独」という逆境を乗り越えるきっかけを作ってくれたK牧師の大きな愛情の後押しもあり、新垣さんは恩返しのためにもと心を決めたのです。自分を救ってくれた音楽のすばらしさを伝え続けることに専念。父親の所在と生死は不明ですが、現在は両親を前に声を大にして伝えたいと言い、「一人でも自分の歌を聴いて『元気をもらった』と言ってくれる人さえいれば、自分は生きているだけで嬉しい」と語ります。
人生は波乱万丈です。自らの環境や境遇を素直に受け入れ、日々の仕事が世のため人のためになるよう精励していきましょう。
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