2010年8月31日火曜日

8月31日MS 「平和への道」@横浜市中央

日本交流分析協会理事長/富山ユネスコ協会副会長 飯田國彦さまのレジメから抜粋させていただきました。

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 「 平 和 へ の 道 」
“A way to the peace.”
2007年(ねん)初秋(しょしゅう) サンフランシスコ(さんふらんしすこ)州立(しゅうりつ)大学(だいがく)に於いて(おいて)
At S.F.S.U., in early autumn 2007.
日 英 対 訳
A Japanese-to-English side-by-side translation



ヒロシマ 爆(ばく)心地(しんち)
 「900mのヒバクシャ」
著・訳 飯田 國彦
Kunihiko Iida,Ph.D.
所(しょぞく)  属(ぞく)
NPO日本(にほん)交流(こうりゅう)分析(ぶんせき)協会(きょうかい),富山(とやま)ユネスコ協(ゆねすこきょう) 会(かい)


     原本(全37頁) より抜粋
「悲惨(ひさん)な現実(げんじつ)を認識(にんしき)し平和(へいわ)を希求(ききゅう)しよう!」
"Let's desire peace after recognizing
the miserable reality of an atom bomb."



「原爆(げんばく)の悲劇(ひげき)」
“The tragedy of the atom bomb”

 終戦(しゅうせん)62年(ねん)の今年(ことし)は、ヒロシマ(ひろしま)・ナガサキ(ながさき)の被爆(ひばく)体験(たいけん)や富山(とやま)空襲(くうしゅう)の体験(たいけん)等(など)悲惨(ひさん)な歴史的(れきしてき)出来事(できごと)が語り伝(かたりつた)えられております。


精神(せいしん)の浄化(じょうか)を得る(える)為(ため)に登る(のぼる)人(ひと)もいる立山(たてやま)や利賀村(とがむら)(現南砺(げんなんと)市(し))に掲げられて(かかげられて)いる曼荼羅(まんだら)には、極楽(ごくらく)と地獄(じごく)が描(か)かれています。


原爆(げんばく)の現実(げんじつ)はこれらの地獄(じごく)絵(え)を遥か(はるか)に超える(こえる)悲惨さ(ひさんさ)でした。うめき、泣き声(なきごえ)、悲痛(ひつう)な叫び(さけび)がとどろく、まさにこの世(よ)の阿鼻叫喚(あびきょうかん)地獄(じごく)だったのです。現実(げんじつ)の悲惨さ(ひさんさ)はそれを遥か(はるか)に上回る(うわまわる)凄さ(すごさ)でした。
それは一瞬(いっしゅん)にして広島市(ひろしまし)、長崎市(ながさきし)全体(ぜんたい)に起った(おこった)ものでした。


ヒロシマ(ひろしま)・ナガサキ(ながさき)の被爆(ひばく)体験(たいけん)がボランティア(ぼらんてぃあ)等(など)によって語り伝えられて(かたりつたえられて)おります。しかし、語り伝える(かたりつたえる)ことができる被爆(ひばく)体験(たいけん)は、実際(じっさい)の悲惨さ(ひさんさ)よりかなり軽い(かるい)体験(たいけん)だけに限られて(かぎられて)います。
爆風(ばくふう)の温度(おんど)は数千度(すうせんど)と言われ(いわれ)、鉄(てつ)、ガラス(がらす)、瓦(かわら)をも溶解(ようかい)しました。御影石(みかげいし)は白色(はくしょく)に変わりました(かわりました)。勿論(もちろん)、住める(すめる)家(いえ)は一軒(いっけん)も残りませんでした。
二つ(ふたつ)の都市(とし)では、光熱(こうねつ)で衣服(いふく)は瞬時(しゅんじ)に燃え去り(もえさり)、皮膚(ひふ)は剥がれて(はがれて)垂れ下がった(たれさがった)のです。
被爆(ひばく)直後(ちょくご)の被爆者(ひばくしゃ)が幽霊(ゆうれい)のよう
に、手(て)を前(まえ)に出して(だして)歩いて(あるいて)いる
のは手(て)の肉(にく)と腹(はら)の肉(にく)がくっ付か
ないようにするためです。



『皮膚(ひふ)が無い(ない)ので、手(て)を下げる(さげる)と手(て)と腹(はら)がくっ付いて(くっついて)しまいます。
言う(いう)ことができたのは、ただ「水(みず)、水(みず)」だけでした。
Because there is not skin, a hand and a stomach stick when they lower hands.The only words they could say were “water, water”. 』

被爆(ひばく)直後(ちょくご)の被爆者(ひばくしゃ)達(たち)は、服(ふく)が焼け落ちて(やけおちて)全裸(ぜんら)となり、皮膚(ひふ)が剥がれて(はがれて)しまった体(からだ)を、川(かわ)の中(なか)に沈め死んで(しずめしんで)いきました。

「私(わたし)自身(じしん)の被爆(ひばく)体験(たいけん)」
“My own Being Bombed Experience.”
私(わたし)の母(はは)は25歳(さい)、姉(あね)は4歳(さい)で、放射能(ほうしゃのう)によってあの世(よ)へ行きました(いきました)。放射能(ほうしゃのう)は生きた(いきた)人間(にんげん)の細胞(さいぼう)を次々(つぎつぎ)と死滅(しめつ)させ
ます。父(ちち)は前年(ぜんねん)沖縄(おきなわ)で戦死(せんし)しましたので、私(わたし)は3歳(さい)でひとりだけ取り残され(とりのこされ)、祖母(そぼ)に養われる(やしなわれる)ことになりました。祖母(そぼ)が生きて(いきて)いた間(あいだ)はまだ幸せでしたが1年後(1ねんご)に祖母(そぼ)も亡くなり(なくなり)、食べ物(たべもの)が少ない(すくない)日々(ひび)が続きました(つづきました)。ユニセフ(ゆにせふ)から贈られた(おくられた)ドライ(どらい)・ミルク(みるく)が唯一(ゆいいつ)のご馳走(ごちそう)でした。
私(わたし)も全身(ぜんしん)に爆風(ばくふう)を受け(うけ)、無数(むすう)の傷(きず)ができました。その傷口(きずぐち)が閉じる(とじる)のに7年(ねん)かかりました。体力(たいりょく)の回復(かいふく)には実(じつ)に30年(ねん)の歳月(さいげつ)を要し(ようし)、健康(けんこう)とはどういうことなの分(わ)かりませんでした。戦(せん)後(ご)60余年(よねん)が経ち(たち)ましたが、今(いま)でも日(ひ)に数回(すうかい)は生々しい(なまなましい)地獄(じごく)図絵(ずえ)が私(わたし)の頭(あたま)をよぎります。これらは総て(すべて)戦(せん)時下(じか)での人間(にんげん)の罪業(ざいごう)が惹き起こす(ひきおこす)、結果(けっか)なのです。

「平和への道」
“A way to the peace.”

ヒロシマ(ひろしま)・ナガサキ(ながさき)の原爆(げんばく)について、悲惨さ(ひさんさ)を伝え(つたえ)、ノーモア(のーもあ)・ヒロシマ(ひろしま)・ナガサキ(ながさき)、戦争(せんそう)絶対(ぜったい)反対(はんたい)が訴えられて(うったえられて)います。それにも拘らず(かかわらず)、地球上(ちきゅうじょう)では戦争(せんそう)やその報復(ほうふく)のテロ(てろ)が未だ(いまだ)に絶えません(たえません)。

「戦争(せんそう)は、人間(にんげん)に闘争(とうそう)本能(ほんのう)があるので、必ず(かならず)起きる(おきる)」という意見(いけん)があります。
「戦争(せんそう)が人間(にんげん)の闘争(とうそう)本能(ほんのう)によって起こされる(おこされる)のではない」との声明(せいめい)が、1948年(ねん)G.W.オルポート(おるぽーと)(アメリカ(あめりか)心理(しんり)学会(がっかい)会長(かいちょう)・ハーバード大学(だいがく)教授(きょうじゅ))他(ほか)7名(めい)がパリ(ぱり)で開催(かいさい)されたユネスコ(ゆねすこ)第3回(だい3かい)総会(そうかい)で発表(はっぴょう)されました。その声明(せいめい)の初め(はじめ)の部分(ぶぶん)は次(つぎ)のようになっています。
「我々(われわれ)の知る(しる)限り(かぎり)、戦争(せんそう)が”“人間性(にんげんせい)”そのものの必然的(ひつぜんてき)な不可避的(ふかひてき)結果(けっか)であることを示す(しめす)ようないかなる証拠(しょうこ)もない。なるほど、能力(のうりょく)においても、気質(きしつ)においても、人間(にんげん)個人(こじん)による差異(さい)はむろん大(だい)なるものがある。同時(どうじ)に平和(へいわ)を確立(かくりつ)し、維持(いじ)するためには、何(なに)をおいても充たされなければ(みたされなければ)ならない万人(ばんにん)共通(きょうつう)の生命(せいめい)への本来的(ほんらいてき)な欲求(よっきゅう)がいくつかある。たとえば人(ひと)は、飢餓(きが)と疫病(えきびょう)、不安(ふあん)と恐怖(きょうふ)からの自由(じゆう)を欲する(ほっする)し、同じく(おなじく)、人間(にんげん)どうしの親睦(しんぼく)と、同胞(どうほう)からの尊敬(そんけい)と、そしてまた個人の人間的成長ないし発達の機会を希求するものである。」

1986年(ねん)スペイン(すぺいん)のセビリア(せびりあ)で行われた(おこなわれた)ユネスコ(ゆねすこ)の「暴力(ぼうりょく)に関する(かんする)セビリア(せびりあ)声明(せいめい)」によって「平和(へいわ)の文化(ぶんか)」の考え(かんがえ)が広まりました(ひろまりました)。20人(にん)の著名(ちょめい)な科学者(かがくしゃ)は「戦争(せんそう)や暴力(ぼうりょく)行為(こうい)の原因(げんいん)を祖先(そせん)から遺伝的(いでんてき)に受け継いで(うけついで)いるというのは、科学的(かがくてき)に正しく(ただしく)ない」という発表(はっぴょう)をしました。

この声明(せいめい)の概要(がいよう)は「人(ひと)は争ったり(あらそったり)、戦争(せんそう)などを起こして(おこして)きたが、それは遺伝(いでん)や本能(ほんのう)などが原因(げんいん)ではない。その反対(はんたい)に自ら(みずから)を変え(かえ)、また文化(ぶんか)を築き(きずき)、国境(こっきょう)や人種(じんしゅ)の枠(わく)を超えて(こえて)平和(へいわ)のために協力(きょうりょく)や協調(きょうちょう)ができることが証明(しょうめい)された。平和(へいわ)は実現(じつげん)可能(かのう)であり、戦争(せんそう)は終わらせる(おわらせる)ことができる」というものです。

認知(にんち)心(しん)理学(りがく)のD.A.ノーマン(のーまん)は、30年(ねん)も前(まえ)に次(つぎ)のように述べて(のべて)います。「人間(にんげん)の文化的(ぶんかてき)または人格的(じんかくてき)集団(しゅうだん)に関して間違った(まちがった)判断(はんだん)を、意識的(いしきてき)に又(また)は無意識的(むいしきてき)に形成(けいせい)する場合(ばあい)は社会的(しゃかいてき)に重大(じゅうだい)な問題(もんだい)になる可能性(かのうせい)がある」

発達(はったつ)心理学(しんりがく)エリクソン(えりくそん)研究(けんきゅう)の日本(にほん)に於(お)ける第一人者(だいいちにんしゃ)である広島(ひろしま)大学(だいがく)教授(きょうじゅ)(当時(とうじ))鑪(たたら) 幹(みき)八郎(はちろう)は、アイデンティティ(あいでんてぃてぃ)拡散(かくさん)による世界(せかい)破壊(はかい)への心(こころ)の動き(うごき)を、同時(どうじ)多発(たはつ)テロ(てろ)の10年(ねん)以上前(いじょうまえ)に予言(よげん)して次(つぎ)のように述べて(のべて)います。「自分(じぶん)が自分(じぶん)である実感(じっかん)と社会的(しゃかいてき)認知(にんち)が得られれば(えられれば)自己(じこ)実現(じつげん)へと向かう(むかう)が、得られなければ(えられなければ)、急進的(きゅうしんてき)なアイデア(あいであ)やイデオロギー(いでおろぎー)に忠誠(ちゅうせい)を示し(しめし)、自己(じこ)を規制(きせい)して、社会(しゃかい)を破壊したり(かいしたり)、伝統的(でんとうてき)な社会(しゃかい)価値(かち)に忠誠(ちゅうせい)を示し(しめし)、伝統(でんとう)にしばられて極端(きょくたん)な破壊(はかい)へ向かう(むかう)。又(また)は、幻覚的(げんかくてき)支配者(しはいしゃ)となり、自分(じぶん)への無理解(むりかい)に対する(たいする)怒り(いかり)は世界(せかい)を破壊(はかい)してしまう」

心理(しんり)学者(がくしゃ)ユング(ゆんぐ)は次(つぎ)のように述べて(のべて)います。「疑い(うたがい)なく、常に(つねに)人間(にんげん)の中(なか)に住んで(すんで)いる悪(あく)は、はかり知れない(しれない)ほど巨大(きょだい)である。」 
戦争(せんそう)に一旦(いったん)突入(とつにゅう)すれば、人間(にんげん)としての価値観(かちかん)、判断力(はんだんりょく)、愛情(あいじょう)を失い(うしない)、予想(よそう)を遥か(はるか)に超える(こえる)悲惨(ひさん)な現実(げんじつ)を惹き起こし(ひきおこし)てしまいます。

暴力(ぼうりょく)の連鎖(れんさ)を断ち切らねば(たちきらねば)なりません。その活動(かつどう)の原点(げんてん)は被爆者(ひばくしゃ)の平和(へいわ)希求(ききゅう)活動(かつどう)にあり、ユネスコ(ゆねすこ)の精神(せいしん)や交流(こうりゅう)分析(ぶんせき)(TA)の哲学(てつがく)にあります。

ヒバクシャ(ひばくしゃ)は報復(ほうふく)の連鎖(れんさ)を断ち切りました(たちきりました)。ユネスコ(ゆねすこ)は心(こころ)の中(なか)の平和づくり(へいわづくり)を訴えて(うったえて)います。交流(こうりゅう)分析(ぶんせき)(TA)の哲学(てつがく)は、①(1)人(じん)は誰(だれ)でもOKである、②(2)人(じん)は誰(だれ)でも考える(かんがえる)能力(のうりょく)を持って(もって)いる、を浸透(しんとう)させようと努力(どりょく)しています。まず、あらゆる人(ひと)の存在(そんざい)を認知(にんち)し、多様性(たようせい)を受け入れる(うけいれる)ことが最も(もっとも)大切(たいせつ)です。
我々(われわれ)は自分(じぶん)の考え(かんがえ)だけが正しい(ただしい)と思ったり(おもったり)、他人(たにん)を中傷(ちゅうしょう)したり、拒絶(きょぜつ)してはなりません。いつも話し合い(はなしあい)を優先(ゆうせん)し、人(ひと)の話(はなし)を理解(りかい)しようと努める(つとめる)ことによって、表現(ひょうげん)の自由(じゆう)と文化(ぶんか)の多様性(たようせい)を守る(まもる)ことが大切(たいせつ)です。

戦争(せんそう)反対(はんたい)を訴え(うったえ)平和(へいわ)を希求(ききゅう)し相互(そうご)理解(りかい)の精神(せいしん)を浸透(しんとう)させていくことが唯一(ゆいいつ)平和(へいわ)への道(みち)であり、それを訴える(うったえる)ことが私たち(わたしたち)の使命(しめい)であると思います(おもいます)。 

ユネスコ(ゆねすこ)憲章(けんしょう)には「戦争(せんそう)は人(ひと)の心(こころ)の中(なか)で生まれる(うまれる)のであるから、人(ひと)の心(こころ)の中(なか)に平和(へいわ)の砦(とりで)を築かなければ(きずかなければ)ならない」とあります。この精神(せいしん)の「浸透(しんとう)活動(かつどう)」こそが、家庭(かてい)、学校(がっこう)、地域(ちいき)に、団体(だんたい)の安穏(あんのん)や世界(せかい)の平和(へいわ)をもたらします。

『これらの活動(かつどう)が恨み(うらみ)や怒り(いかり)から湧き起って(わきおこって)いるのではなく、平和(へいわ)を願う(ねがう)一念(いちねん)から発して(はっして)いることを今一度(いまいちど)認識(にんしき)することも大切(たいせつ)です。
These activities are not caused by grudge and anger, and it is important to recognize what we get from desire to pray for peace once again. 』 
ご静聴(ごせいちょう)ありがとうございました。

世界的(せかいてき)に著名(ちょめい)な哲学者(てつがくしゃ)ヘイゲン(へいげん)博士(はかせ)より、次(つぎ)のようなメッセージ(めっせーじ)を頂き(いただき)ました。

I received the following message from the world famous philosopher, Dr.Hagan.

Dear Professor Iida:
Mrs. Hagan and I want to thank you so much for your words on Hiroshima and world peace.
It is the most moving personal account we have ever read. Now we have a friend who personally experienced, with his family, that horror.
We shall keep this as a precious memory, wish you and your family all the best, and work with you and others so that we never have war again.
W.A.Hagan  

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今年度のモーニングセミナーは本日で終了です。
平成22年度も皆様のご協力により無事終了いたしました。ありがとうございました。

来期以降も皆様のためになるモーニングセミナーを開催していけるようにがんばりたいと思いますので、ご協力とご参加のほどお願い申し上げます。 
平成22年度 専任幹事 後藤長重

2010年8月24日火曜日

8月24日MS 心豊かな暮らしと音楽@横浜市中央

今回の講師は英国公認の音楽療法士、越永純子氏。1988年から東京都練馬区で音楽療法室「おとのへや」を主宰して障害を持つ子どもを対象に個人・グループセッションを行うほか、講演活動、音楽療法士の育成も行っている。訳書に『みんなで楽しく音楽を![音楽療法士からの提言]』メルセデス・パブリチェク=著/よしだじゅんこ=訳(音楽之友社)などがある。また「音のかけはしコンサート」を開催するなどピアニストとしても活動中。 普段は吉田純子の名で活動されていて、倫理法人会でお話するのは初めてとのこと。音楽療法は音楽を意図的、計画的に使用して、心身の障害の回復・機能の維持改善・生活の質の向上を図るというもの。障がい児・障がい者・高齢者・精神的な問題を抱えている人・ターミナルケアを受けている人などが対象だという。 しゃべることを介さずに、音楽を通じて人と人とが繋がり合う。ワークショップが始まり、出席者のうち十数人が円卓を囲むように一つの大きな輪になって立ち、一人一つずつハンドベルを持つ。講師の弾くギターに合わせて、アイコンタクトや身体の姿勢だけで音を伝えたい輪の一員にハンドベルの音を鳴らして送り、送られた者はその音をキャッチして、また輪の別の一員にハンドベルの音を飛ばすのだ。このアクティビティを繰り返して音を繋いでいく。ド・ファを除く音階で行ったのは、和風の音階は心や身体の癒しをもたらし安らかな気持を作り出すから。音楽療法は1回で終わりでなく、週1回又は月2回定期的に続ける。 音楽療法には様々なアプローチがされていて、A.マズローの「5段階の欲求」を想定した、自己実現欲求までの「人間主義的音楽療法」もあるとのこと。また新しい音楽療法「コミュニティ音楽療法」は、自閉症の人、認知症の人だけなど閉ざされた空間の中で治療するのでなく、そうでない人々を含んだ異質の人々と交わる共通体験を通して、マイノリティの人を社会の中に取り込み、理解されない寂しさを取り除くと同時に、差別意識のない健康な社会を目指すもの。 ハンドベルの音を鳴らすワークショップに参加して、当初はそう思いませんでしたが音を繋いでいくうちに不思議な連帯感のようなものが生じ始めたように感じました。

2010年8月10日火曜日

8月10日MS 「社会保険労務士の役割と人事労務管理」@横浜市中央


今回の講師は社会保険労務士法人 ディー・プロデュース 代表 越石能章(よしあき)氏。1972年生まれで神奈川県社会保険労務士会 横浜南支部 副支部長等の要職を務めておられる。「小さな会社の就業規則の見直し方・つくり方がわかる本」の著書がある。

社会保険労務士は事業の健全な発達と労働者等の福祉の向上に資する目的で設けられた資格で、実務に精通しているだけでなく、品位の保持と公正で誠実であることが求められる。(社会保険労務士法第1条)

社会保険労務士の倫理は
①自らの良心と法令を常に考えて行動する。
②法令に違反するアドバイスはしない。

最近の情報に常にアンテナを張り、活きた情報を提供する。
労働基準法や社会保険の運用に関して真っ白な会社はないが、それに近づける手助けをする。
事業活動は法令の枠で抑えられるが、解釈の仕方でどうにかなる部分もある。

まとめとして、社会保険労務士は「人」に関する専門家として
①経営活動における人に関する諸問題を解決する
②経営の意思決定支援をする
③企業実態に合わせて法令と現実のギャップを是正する
役割があると締め括られました。

最近の労務管理に関わる事件や諸問題を見るにつけ、社会保険労務士の果たす役割の大きさと倫理の重要性を感じました。

事務長 萩野宏樹

リンク先:

社会保険労務士事務所D・プロデュース


本日は横浜市倫理法人会の金本様と逗子葉山倫理法人会専任幹事の中筋様が参加されました。

お忙しいところお越しいただきありがとうございました。

専任幹事 後藤長重

2010年8月3日火曜日

8月3日MS 「繁栄の岐路(わかれみち)」@横浜中央


今回の講師は(社)倫理研究所 研究局研究部次長 三浦貴史氏。昭和47年 兵庫県生まれ、熊本県育ちの37歳。研究部に異動になり法人会の皆様とはここ数年お会いする機会がなかったが、この4月から首都圏に限り派遣されるようになり、本単会での講話は6~7年ぶりとか。

研究部は全国での倫理の実践事例を収集して調査研究しており、倫理研究所紀要は倫理に関する内外の専門学者の研究成果を収めたものである。今回発行の紀要には講師が執筆した論文が初めて掲載されているとのこと。
数年前の紀要に載っているものだが、研究部で10-60歳代日本人の倫理意識を大規模調査したことがある。「繁栄」のバロメーターである金銭に対する意識は
①(お金もそれ以外も大事)バランス派②(人生での努力の)結果派③(やりたい目標を実現する)道具派④無関心派⑤(倫友のような)倫理派に分けられたとのこと。

また、かつてホリエモンこと堀江貴史氏が「お金で買えないものはない」と言ったとされているが、「お金で買えないものがあるか」に対するアンケートでは、
「あると思う」との回答が実に96.4%を占め、複数回答の結果でその中身は
①心・感情(72.1%)②家庭・家族(28.6%)③生命・自然(19.7%)であった。
この心・感情をはじめ、これらの事柄を学んでいるのが正しく倫理法人会である。

「繁栄の岐路(わかれみち)」は根底の価値を高める三つのポイントから。
①目に見えない価値に目を向ける。会社が繁栄を続けていくためには社会の持続可能性に配慮する必要がある。会社の薫りを作り上げる
②小さな実践を積み重ねる。朝礼・モーニングセミナーの意味を理解して、良い習慣を身に着けていく。
③家庭や家族の力を見直す。目に見えない力は、お金を介しない(用いない)人間関係から生まれる。グルエンベルク作の「お母さんの請求書」にあるように。喜んですすんで働く原動力となる。

久しぶりに三浦講師のご講話を聴き、元気をいただきました。
事務長 萩野宏樹