2011年2月1日火曜日

2月1日MS 会員スピーチ@横浜市中央



本日は本会会員2名の会員スピーチ
(1) 笠原秀貴(ひでき)氏
 ハマハウス(株)専務取締役の笠原秀貴氏は45歳。  
横浜の上大岡にて笠原家を中心として、その他貸し店様から駐車場や貸室を預かり、貸付・管理業務をしている。「倫理法人会にたどりつくまで、そしてこれから」と題してお話したい。
 15年前に30歳で結婚し、妻の実家の家業に従事している。不動産と縁のない職場から移ってきたうえ、地主さんという訳の分からない世界に入り、来た当初はただ物件を磨いてゴミを拾うことしかできなかった。

 しかし、家業に慣れすべてうまくいって、自分に慢心が起こった。この驕る気持ちが、仕事にも家族に対する言動にも反映した。
 このままでは駄目だと、自分は猛省した。家族のために自分ができることに心から努めた。

 このことが個人や社会に対して、自分の生業の貸家業をベースにして、何か手助けする媒介になれないか、思い始めるきっかけになった。何かできることがないか考えていたとき、倫理法人会を紹介してくれた人がいて、感謝が一杯の気持ちです。笠原ならできるかなというベースを作って、感謝を繋げていきたい。

(2)野田道昭氏
 (株)ドリームパートナー代表取締役、横浜市戸塚区在住、50歳。
 「ふるさと再生」と題して、今までの生き様とともに今やろうとしていることをお話ししたい。
 福岡県大牟田市生まれ、昔の三池炭鉱のあった町。県立の進学高に進学したが、中学からやってきた野球に没頭していた。卒業後、手に職をつけようとして調理士学校に入学、大阪に住み込みで1年間学び免許をとった。夜もアルバイトをして貯めたお金で、母への借金返済や田舎でお世話になった人たちへお礼をした。

 田舎へ恩返しをしないといけないと思い、田舎で仕事を探した。口利きで手作りのレストランを紹介してもらって、勤め出した。更に勉強を積もうとして上京、ホテルオークラでコックをしている人の弟子になったりしたが、辞めた。結局この調理士の世界からは足を洗おうと決断した。
 その後鉄工所に勤めたが、肉体労働でケガをし足が動かなくなった。そこで近くの不動産屋へ転職して10数年経験を積み、12年ほど前に独立した。

 不動産屋から始めて、関連事業として引越・リフォーム・リサイクルなどを手掛けている。
 親戚の紹介で1,2年前から店で田舎のミカンの箱売りを始めた。田舎での仕事を創るため、ミカンの苗木のオーナー制度も始めた。田舎が潤い、田舎の人に喜んでもらう。田舎を活性化できる、ふるさと再生の力になりたい思いがある。そのために、仕事があって田舎に戻れる環境を創出したい。

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