倫理ネットワーク8月号より、倫理研究所法人局局長 中西氏の巻頭話。
「日本創生」の願いを広く伝え、無数の感動を共有しよう。
日本児童文学の代表的作家であった椋鳩十氏は大学卒業後に鹿児島へ移り住んで一生を過ごしました。
自然の厳しさと素晴らしさ、人問と動物との関わり合いなどを描くことで、児童文学に新たなジャンルを切り開き、多くの子どもたちに生さることへの夢を持たせてくれたのです。
この椋鳩十氏に「感動は心の扉をひらく」という名言があります。日本人は戦後肥大化した経済の中で、本来は各人が持っていた豊かな感性を喪失してきました。確かに戦後経済は物質的には豊かさをもたらしましたが、その代償として失ったものも少なくありません。
「感」とは元来、動くことを意味します。心の揺らぎ、疼きを指すのですが、いつの頃からか、多くの日本人の心は動かなくなったばかりか、自分という「個」にのみに心が向けられるようになりました。自分の幸せのためであれば、他人の痛みなど感じない者も出てくる始末です。物や金が、生きていく上で大きな価値基準になっている感さえあります。
人は、自分一人の力では生きられません。数知れぬ多くの方々に支えられ、そこから「感動」を頂き、そして生かされているのが我々なのです。このことが少しでも分かれば高慢になったり、逆に卑下したりすることはないはずです。
生かされている自分と正面から向き合い、「こんな生き方でいいのか」「ぬるま湯に浸ったままでいいのか」を鋭く問う。日本の行く末をただ悲観するのではなく、自らがやれることに心を傾けて取り組む。「いま自分のいるところが最上である」と大肯定し、「良き時代、良き環境に私はいる」と、すべてを前向きに受け入れる。自らがやれることを足元より一つひとつ積み上げていく。そこから自ずと「感動」は生まれるものです。
「社会がダメ、他人がダメ」と講釈しているようでは、あなた自身が全然ダメです。もっと顔を上げ、周囲を見渡し、人の痛みや悲しみに心を向けてみましょう。一人の「感動」が、さざ波を生み、大きなうねりを生じさせるのです。
そのためには坐して待つのではなく、動いて動いて動き抜く、倫理法人会の活動は、学んだものをジッと自分の内にとどめているようなものではありません。出会う人、触れ合う人に、自分の持つ「日本創生」の思いを伝えていく。そのとき、自らも生かされて生きている実感が体感できるだけでなく、多くの人々と感動を共有することができるのです。
この国に生を享けたことを、心から感謝しましょう。志を同じくする仲間と倫理普及の喜びを分かち合い、感動の輪をさらにさらに広げていこうではありませんか。
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