2009年1月2日金曜日

今週の倫理 (593号)より 「今日を確かに生き充実した人生を築く」

新年明けましておめでとうございます。本年も皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げますとともに、当欄の変わらぬご愛顧をよろしくお願い申し上げます。

Mさんの父が二十年前にこの世を去ったとき、財産贈与の問題が発生しました。
家屋敷を長兄が引き継ぐために、他の兄弟が財産放棄の書類に判を押すか押さないかという問題でした。

Nさんは三人兄弟でありながら、母親が亡くなったあと、財産分与の問題で紛糾。以来、近くに住んでいながら行き来することなく、不仲の状態が続いています。このような事例は枚挙に暇がなく、親が財産を多く残し、その分与について明らかにしていなかったために、子どもたちの間で激しく争い裁判になった例も多く、それでもなかなか決着がつかずにいるという家が非常に多いのです。

Mさんもある時、夫人から「家の後始末をキッチリしておいてください」と言われことがきっかけで、家の財産目録を作成しました。子どもたちへの「遺言状」をしたため、順次整理していくことにしました。二男であるMさんは自身の墓地をも求め、残る人生を意義あるものにするために、人生の後始末とはいかなるものかを考えるようになりました。
日頃から多忙を極める経営者の周辺には、家のことはもちろん、会社の継承の問題から経営全般にわたる種々の問題が山積しており、後始末すべき事柄も多岐にわたるものと思われます。そのような意味からも、自分にとっての人生の後始末とは如何なるものかを考える時間を持つ必要があるでしょう。

人生八十年、日数にして二九二二〇日。人生という時間は誰であろうと年々少なくなっていくことを考えると、日々を無駄に費やすことは許されません。〈人生を意義あるものとするにはどうしたらいいのか〉〈後世を生きる子どもや後継者たちが、仲良く、よりよく生きるにはどうしたらいいのか〉ということを考えるのは、おおいに意義あることでしょう。

子どもたちが、将来にわたって仲良く生きていくための設計図を考えられるようお膳立てをすることも、先を生きる人間の役目といえます。人生まだまだ先があるなどと思わずに、自身を含めた家族みなが日々充実した人生を生き抜くためにも、新年のスタートにあたり〈自分にとっての人生の後始末とはいかなるものか〉を真剣に考えてみるのもひとつです。
世に「晩節を汚(けが)すな」という言葉があります。人生の初めは節操を保つのは簡単ですが、晩年になると信念を守っていくことが難しくなるものです。せっかく築き上げてきた成果を、人生の最後に道を踏み誤ったために失ってしまうほど、馬鹿げた生き方はありません。目指すは、「有終の美」を飾ることです。人生の後始末を考えて生き抜くことです。そのためにも、日頃から学んでいる純粋倫理の教えを、自分のものとして活かしていかなければなりません。

物の整理は心の整理、心の整理は物の整理につながることをしっかりと胸に留めておきたいものです。今日一日を確かに生き抜くことが、人生のよき先達として範を示せるような生き方につながるのです。

元旦があれば、必ず大晦日はやってきます。人生の大晦日を間違いなく締めくくれるよう、新年にあたり心したいものです。

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