2010年12月30日木曜日
12月28日MS 私が中村屋で学んだ商人の道@横浜市中央
今年最後のモーニングセミナーは、(株)崎陽軒監査役・元新宿中村屋社長の宮内 昭 氏を講師にお招きしました。1929年生まれ、神奈川県出身。昨年1月にも「食品添加物の正しい知識」と題してお話をしていただきました。
新宿中村屋に36年間勤め、辞められて19年になるが今でも中村屋を愛しているとおっしゃいました。
新宿中村屋で学んだ、物を作り物を売るということを生業とする、人間としての条理の話をしたい。
(1)どんな会社か
新宿中村屋は横浜ではそれほど知名度が高くないが、それには理由がある。創業者は『宣伝広告にお金を使うのなら原材料費に回せ、その分商品は良くなるので口込みで広めればよい』と考えた。
新宿中村屋は平成21年度の売上げ高410億円、経常利益12~13億円の東証第一部上場の食品企業。
(2)商品の紹介
代表的な商品・独創的な商品としては、下記食品などがある。
①中華饅頭 3工場合わせて日産100万個、中華菓子「月餅」は昭和2年から製造の主力商品
②水羊羹の缶詰 中村屋が初めて
③かりんとう 駄菓子であったかりんとうを、一番グレードの高い小麦粉を使い製法も工夫して、高級菓子に仕立てた。本日来られた皆さんにはお土産に持ち帰ってください。
④カリー 日本のカレーのルーツはSBと中村屋とがある。中村屋のカリー・ライスはボース直伝の純インド式で、洋食として材料に徹底的にこだわり、レストラン部門で80銭で売り出した。因みに普通のカレーはその当時10~15銭だった。現在も新宿本店で一日2000食出しているが、多分世界最大のカレー・レストランではないか。
【注】ラス・ビハリ・ボースはインド貴族の志士で、独立運動で身の危険を避けるため日本に亡命したのを相馬家で匿った。娘、俊子とボースが結ばれ・・・
(3)創業者の企業経営に対する考え方、実践してきた商売のやり方
新宿中村屋には社員がバイブルとしている一冊の本、相馬 愛蔵・黒光(こっこう)創業者夫妻の著書「一商人として」がある。
相馬 愛蔵は信州、養蚕農家の三男、仙台藩士の娘、星 良(りょう)と結婚。1901年(明治34年)東京に出て、中村屋を買収しパンの製造・販売を始める。3年後にクリームパンを発明し、中村屋のパンを有名にした。
「良品廉価」という言葉を使ったのは相馬 愛蔵が最初ではないか。「一商人として」の中に『商売を繁昌させるのは難かしいことではない、良い品を廉(く売ればよろしい。分かり切ったことのようであるが、岡田虎次郎先生はこの鉄則を私に教えられたのであった』
「良い品を廉く」を店のモットーとして中村屋は今日に至ったのである。
人類愛の理念を貫徹したのは愛蔵の経営の根幹である。
商業の社会的役割は社会奉仕にある。士農工商の考えを否定し、商業は他のあらゆる職業と対等であるという信念を持つべしとした。
『雇い人は兄弟と思うべし。客人は家族として扱うべし』『店員やその家族全体に生活の不安を与えてはならぬこと』として、成果主義の考え方を否定した。
安達 巌 著「必ず儲かる中村屋式商法のすべて」には、中村屋は『経営者が優れた目標を掲げ、従業員はその理念を体得し、一糸乱れず共通の目標の達成に向かって邁進する』
儲ける商法でなく、儲かる商法に徹するから必ず儲かるのであるとしている。
師事していた内村鑑三は商売の原理原則は人づくりと言った。愛蔵は人づくりは私塾にまさるものなしと考えた。その建学精神は人間性を尊重し人格を高めることにあった。昭和12年に研成学院を開校して、経済的理由で進学できぬ高等小卒採用者に人間教育を行った。
(4)八代目の社長として心掛けたこと
社員の力を借りて、創業者の理念を浸透させ、全員で会社を盛り上げること。
1901年創業の会社、変えてはいけないものと変えなければならないものがある。
変えてはいけないもの 企業は社会の公器という創業者の理念 社会的責任
企業を支える5つの側面
①お客様 大事にする
②従業員 物心両面の充足
③関連企業 共存共栄
④地域社会 相利共生
⑤株主 配当、株価維持
これらの5元多次方程式を解くのが企業経営
本年を締め括るにふさわしい、心に残る素晴らしいお話しをしていただきました。
(参考)「一商人として」
又は
Google eBooksでご覧になれます。
「中村屋サロン」
広報委員長 萩野宏樹
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