2008年4月25日金曜日

今週の倫理 (556号)より 後始末に徹すれば人生に残すものなし

昨今、テレビやマスコミにおいて、不祥事を起こした企業が大々的にクローズアップされることが多くなっています。

企業のトップである経営者や経営陣が記者会見をし、平身低頭しながら謝罪するシーンを目にするたびに、「この企業は再生できる」「ここはもうダメだ」と、大抵の人は予測ができるのではないでしょうか。

 それは、謝罪シーンにおける経営者や経営陣の頭の下げ方や責任の負い方、言葉の使い方などに差があるからです。
 頭を下げてはいても、本心からの下げ方でなければ、その姿勢はすぐ見破られますし、言葉の一つひとつに責任回避や責任転嫁と取られるような表現が随所に見られると、心の内はすぐに暴かれてしまいます。
 このように生死の境目となる大難大変(ピンチ)に陥った時、その人物の持ちあわせている器の全てが露呈するのです。

 昔から日本には「立つ鳥跡を濁さず」「有終の美を飾る」「終わりよければすべてよし」など、物事の締めくくりの肝要さを述べた諺が多くあります。この後始末の仕方で、栄光から挫折へと転落する経営者もいれば、挫折から這い上がって栄光をつかむ経営者もいるのです。

 後始末というと「物の後始末」をイメージしますが、とくに金銭の後始末が非常に難しいといわれます。
 太平洋戦争中、連合艦隊司令長官の任にあった山本五十六元帥は、幼少の頃より非常に頭が良く、小学校での成績は常に首席でした。しかし、家庭には中学に進学させるだけの経済的な余裕がなく、進学を断念せざるを得ないと思われた時、担任の教師から「旧長岡藩の設けた学費の貸与制度を活用してはどうか」との誘いがあったことで、山本元帥に進学の道が開けました。その後、海軍大学を優秀な成績で卒業し、海軍少尉に任官することとなったのです。

 任官以降、山本元帥は、初任給から毎月一度も滞ることなく長岡社に返金をしました。さらに、元金はとっくに完済していたにもかかわらず、戦死するまで毎月のように戦場から資金を送り続けたといいます。
元帥のように、借りた金銭を返すことは当然のこととはいえ、現代社会においては金銭の後始末を軽視しているケースが多々見られます。

後始末ができていない人の性格的特徴として、①心配性②決断力がない③約束を守れない④落ち着きがない⑤計画性がない⑥金使いが荒い⑦物を落としたり失くす⑧服装がだらしない、などが挙げられます。これらを克服するよう自身が意識することが、確実な後始末にも通ずるでしょう。

 後始末にも様々ありますが、人間としての最後の後始末は「晩年」という人生の後始末です。齢を重ねれば重ねるほど、無欲になって生命力が高まり、体から太陽のような光と温もりを放つ人もいれば、欲得にかられ表情が貧相で輝きを失い、生命が枯渇していく人もいます。

 人生最後にふさわしい晩年を迎えられるよう、日頃からやり残しや積み残しのない、爽やかな生き方をしていきたいものです。

2008年4月22日火曜日

4月22日 モーニングセミナー 「地球温暖化対策と地域主権」


本日の講話は、阿部守一氏(横浜市副市長)です。

地球温暖化の現状と、これまでの横浜市の取り組みをお話しされました。

象徴的だったのは、「成長の限界」という書籍の中の引用でした。

水蓮は、成長が早く毎日2倍の速さで成長する。
この水蓮がどんどん成長していくと、30日で池を完全に覆ってしまう。
蓮で池がすべて覆われてしまうと、水の中のほかの生物を窒息させてしまうので、
なんとかしなくてはならないが、25日までたってもその兆候は3パーセントでしかない。

そして、気がつくのは29日目。
水蓮はほんの小さなものだったのに、この池を救うのにはたった1日しか残されていない。

この状況になる前に、手を打たなければいけない。

環境対策こそが必要とされる21世紀型社会システム作り。というお話でした。

2008年4月18日金曜日

今週の倫理 (555号)より 閉塞に満ちた日常を感謝の心で打ち払う

現代日本を「うつの時代」と評することがあります。うつ病の総患者数と入院患者数を足した総患者数は、一〇〇万人を超えているという報告もあります。

 経営者Aさんは、仕事が順調になるに従い、妻をないがしろにして飲み歩き、わがまま放題の生活を送るようになりました。そんな自己中心な生活が精神のバランスにまで及び、仕事はままならなくなり、人間嫌いに陥ったのです。ついには「うつ病」と診断され、何をする気になれず、〈もう死んでしまおう〉〈このままでは妻に逃げられてしまう〉といったマイナスイメージだけが心の中を占めるようになりました。

 ちょうどその頃、友人から「倫理」の存在を教えられ、これまでの生活の間違いを振り返るよい機会を得ました。〈ああ、これまでどれほど妻にわがままを言い、苦労をかけてきたことだろう〉と、結婚以来初めて妻の身に立ち、妻の本当の幸せを思い浮かべるようになりました。妻と心が通い合い始めると共に、不思議と仕事を含めた様々なことが順調になり、今では病を患ったことが嘘のように完治しています。

 うつ病とは、心が病んで、本来の力が出せなくなりますが、どうしてそのような状態に陥るのでしょうか?
『万人幸福の栞』に「病気の原因になっている心のまちがいは、生活(家庭や仕事)の暗影(不自然さ)が、自分の肉体に赤信号としてあらわれている」とあります。うつ病の原因の一つに、Aさんのように自分のわがままで相手(妻など)を責め嫌うことにより、人との接し方や人からのアプローチに対する受け止め方がヘタになることがあります。

何事でも「そのまま」に受けることは、自己の力をおおいに出す秘訣ですが、苦手や嫌いなどの理由で相手を避け、その人のことを差し引いて受け止めると、それに比例して持てる力も差し引かれ、それが心のモヤモヤ感を呼ぶのです。

 そして、もう一つのうつの要因として考えられることに、自己が「その時その場」に立って(合って)いないことが挙げられます。私たち一個の人間は、同一人物でありながら、社長役、夫役、子供役、幹事役等々、さまざまに立場を変えて日々生活を送っています。  

 与えられたその時々の立場を自覚し、配役にすなおになって行動するとき、その場にフィットした力が出せます。しかし逆に、立場を忘れたり、間違った配役を演じるとき、それは自己を見失った状況といえ、力が十分に出せない状態です。その状態が繰り返されると、心を病んでしまうことにもつながります。

 現代において、うつを他人事と捉えるだけでは惜しいと言わざるを得ません。うつと診断されないまでも、自己の持てる力を出し切れず、〈何か閉塞しているな〉と感じる時は、そこに受け止め方のまずさや立場の不自覚がないかを振り返ってみましょう。

閉塞感を打破するためのキーワードは、ズバリ「感謝」です。目の前の人や遭遇する事柄に対し、すなおに感謝できる人こそが自己の持てる力を最大限に発揮できるのです。「世の中、ありがたいなー」「嬉しいな、自分は」と深く思う心があるとき、モヤモヤ・イライラはきれいに吹き飛び、透明で爽快な視界が目の前に拓けるでしょう。

2008年4月15日火曜日

4月15日 モーニングセミナー 「愛和は繁栄のもと」


本日は能野恵美子(社団法人倫理研究所法人局参事)さまの講話です。

倫理の基本は、「明朗」「愛和」「喜働」です。
なかでも「愛和」はすべての繁栄のもとであり、一切の幸福を生むといいます。

倫理原点154ページを読むように。とお話しされていたので、以下に引用します。

よくないから愛する

愛することができない。それはなぜであろう。愛は無条件である。盲目ともいえよう。
良いから愛するのではない、良ければ愛する必要もない。良くないから、愛するのである。
唯一なるがゆえに、天上天下、取り替えるものがないから愛するのである。
愛せずにはいられないのである。(以下、略)

この他にも、長い倫理活動から含蓄のあるお言葉をいただきました。

倫理は病気を治すものではない。心の改善を促すもの。病気は医者にかかるもの。
苦難は生活の赤信号であり、倫理がこれを取り去ってくれるものではない。
しかしながら、苦難と立ち向かって心向きを直すことで自ずと道が開けてくる。

こうした倫理への誤解もわかりやすくお話しいただきました。

2008年4月11日金曜日

今週の倫理 (554号)より 環境に適応した者が強く生き残る

企業淘汰の激しい時代、経営者の中には「戦う」という言葉を使って、現状の厳しさを表現する方々がいます。「この業界は厳しい戦いを余儀なくされている」「戦いに勝ち続けるために、他社の二倍は営業に廻れ」などです。

 ここで疑問に思うことは、「戦う」とは、いったい何と戦っているのであろうか、相手は誰かということです。

 経営者は、ライバル企業や、原材料の値上げや金利、人の問題など、自社を取り巻く環境と戦い続けています。一方、経営者の中には、経験則や知識見識から「経営とは環境に適応することである」と表現する人もいます。「戦う」と「適応」では、大きく意識は違います。共に環境を意識してはいても、前者と後者では環境に対する受け止め方に違いがあります。一方は対立し、一方は受容するのですから、意識の方向性が正反対といえましょう。

純粋倫理という心の生活法則(心のあり方)を学ぶ者の立場は、環境を受容し、自身の実践をもって変化させることにより、自社を環境に適応するよう変化させるスタンスです。「戦う」と「適応」のどちらの道を選択するかは各人が判断すればよいことですが、いずれの立場を選択しようと、環境は常に変化し続け、結果として、生き残る者とそうでない者に分かれるのが自然の法則です。

意識の違いは、環境に対する対処法のプロセスの違いとなり、結果の違いにも影響を及ぼします。

進化論を唱えたダーウィンは、「強いものが生き残るのではない。優れたものが生き残るのではない。環境に適応したものだけが生き残るのである」と言いました。真に環境に適応しようとする経営者は、自分や自社を取り巻く環境を、自分や自社を更にレベルアップさせるための「情報」と謙虚に受け止めて、環境に適応するための自分づくりに取り組む人です。

環境は情報なのです。自分を取り巻く環境が厳しければ厳しい時ほど、自分を変化させるチャンスであると捉えましょう。倫理研究所の創始者である丸山敏雄は、苦境が自分を取り巻く理由を、

一、赤信号としての苦難

二、自己向上の足場としての苦難

三、美としての苦難

と喝破しました。

「赤信号」とは、怠惰な心の状態を教えてくれ、そこで立ち止まり、方向転換をせよという情報の意味。

「自己向上の足場」とは、目標を決めてチャレンジする者には、どこを変化させればもうワンランク上がれるかを教えてくれる情報という意味。

「美」とは、苦しい状況を嫌がらず、真正面から取り組んだとき、環境に適応できる自分ができるという意味。

これがよいと現状を率直に受容した時、解決手段が見えてきます。苦しい状況があるからこそ、幸せがクローズアップされるのです。経営者は、現状がどのような苦境にあろうとこれを嫌がらず、自らをよりよく変えるチャンスと、いよいよ希望に燃えていく素直さを涵養したいものです。

2008年4月4日金曜日

今週の倫理 (553号)より 自己責任の意識が事態を好転させる

釣好きのN社長が初めて遊漁船F丸に乗船した時のことです。最初のポイントに着き、さっそく釣りを始めましたが、まったく当たりがありません。 船長はポイントを次々と移動しましたが、やはり結果は同じです。そこで船長は最初のポイントに船を戻しました。

ところが、そのポイントには他の遊漁船が数隻入っており、割り込むスペースはありません。しかも次々と魚が釣れているではありませんか。

結局その日はたいした釣果もなく、納竿の時間となりました。N社長は忙しい中でようやく取れた休みだっただけに、残念でなりません。「船長が最初のポイントでもう少し粘っていてくれたらなあ」と、つい船長への不満が生じた時のことです。船長が突然マイクで釣り客に詫び始めたのです。

「皆さん、今日は本当に申し訳ありませんでした。最初のポイントでもう少し粘ればよかったのですが、私の完全な判断ミスです。お土産を用意しておきましたので、今日はこれで勘弁してください」
釣りはその日の潮温、潮の流れなどの気象条件で釣果が大きく左右されます。釣り客はこのことを周知していますから、釣れなくても皆納得するのですが、今回のように船長が自らの判断ミスを詫びるというケースは稀といっていいでしょう。N社長は船長の責任感の強さにすっかり惚れ込んでしまい、以来その遊漁船の常連となってしまいました。

家庭生活においても仕事の面でも何か困った問題が生じると、ついその原因や責任を他に転嫁してしまいがちです。
子供に何か困ったことが生じると、夫は妻に「子供のことはお前に任せてあっただろう。お前が甘やかせてばかりいるから」と妻を責めます。妻は夫に「何もかも私に押し付けて、あなたは何もしてくれないじゃない」と夫を責めます。

社員の定着率が悪いと「俺がせっかくここまで育ててやったのに、この恩知らずが!」と社員を責めます。
なぜこうなるか。「自分は精一杯努力をしている。自分は悪くない。すべて原因は相手にある」という心の状態に他なりません。そしてその心の奥には、「人にとやかく言われたくない」「傷つきたくない」などの自分自身を擁護し、甘やかす思いが潜んでいると言えるでしょう。

「君に任せてばかりで悪かった。これからは私も子供に心を向けるようにしていくよ」「私も不足不満ばかりでごめんなさい。これからはもっとすなおな気持ちであなたに相談していきます」「辞めた社員が悪くはない。経営者として自分が至らぬからこそ辞めていったんだ。本当に申し訳ない」こんな心になれた時に事態は好転していくのです。

問題が生じるということは、そこには様々な原因があります。しかし最終的には「自分の周囲に起きたことは己の反映であり、己が向上するチャンスである」と受け止めて善処していきましょう。そこには必ずや明るい舞台が用意されているのです。

2008年4月1日火曜日

4月1日 モーニングセミナー 会員スピーチ「父母を語る」

本日のMSは、「父母を語る」の2回目です。



樺太生まれの三橋氏の父親は勉強熱心な樺太師範学校の教師をしていました。

ロシア語をはじめとして数カ国語に通じており、良書を原典で読む楽しさを教えてくれたと言います。

また、「人は裏切るが、学問は裏切らない。」と、若き日の三橋氏に学問やバイオリンなどを勧めてくれたそうです。

当時はあまり興味のわかなかったモノばかりでしたが、こうした親の教育による素地があって、いまでは胡弓やバイオリン、チェロなどを楽しむようになり、今は亡き父親を思う氏でした。

横浜貿易株式会社

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花形氏は、世界チャンピオンの花形進の長男で、物心ついたときから「世界チャンプの子供だから。。」と重荷になることを言われることが多く、わかってもらえない苦労をしたといいます。

しかしいまでは父親からジムの経営を学び、倫理法人会で倫理経営を学び、トイレ掃除などを自ら率先して行うなど実践している毎日です。

花形ボクシングジム

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本日は新入会者がありました。