昨今、テレビやマスコミにおいて、不祥事を起こした企業が大々的にクローズアップされることが多くなっています。
企業のトップである経営者や経営陣が記者会見をし、平身低頭しながら謝罪するシーンを目にするたびに、「この企業は再生できる」「ここはもうダメだ」と、大抵の人は予測ができるのではないでしょうか。
それは、謝罪シーンにおける経営者や経営陣の頭の下げ方や責任の負い方、言葉の使い方などに差があるからです。
頭を下げてはいても、本心からの下げ方でなければ、その姿勢はすぐ見破られますし、言葉の一つひとつに責任回避や責任転嫁と取られるような表現が随所に見られると、心の内はすぐに暴かれてしまいます。
このように生死の境目となる大難大変(ピンチ)に陥った時、その人物の持ちあわせている器の全てが露呈するのです。
昔から日本には「立つ鳥跡を濁さず」「有終の美を飾る」「終わりよければすべてよし」など、物事の締めくくりの肝要さを述べた諺が多くあります。この後始末の仕方で、栄光から挫折へと転落する経営者もいれば、挫折から這い上がって栄光をつかむ経営者もいるのです。
後始末というと「物の後始末」をイメージしますが、とくに金銭の後始末が非常に難しいといわれます。
太平洋戦争中、連合艦隊司令長官の任にあった山本五十六元帥は、幼少の頃より非常に頭が良く、小学校での成績は常に首席でした。しかし、家庭には中学に進学させるだけの経済的な余裕がなく、進学を断念せざるを得ないと思われた時、担任の教師から「旧長岡藩の設けた学費の貸与制度を活用してはどうか」との誘いがあったことで、山本元帥に進学の道が開けました。その後、海軍大学を優秀な成績で卒業し、海軍少尉に任官することとなったのです。
任官以降、山本元帥は、初任給から毎月一度も滞ることなく長岡社に返金をしました。さらに、元金はとっくに完済していたにもかかわらず、戦死するまで毎月のように戦場から資金を送り続けたといいます。
元帥のように、借りた金銭を返すことは当然のこととはいえ、現代社会においては金銭の後始末を軽視しているケースが多々見られます。
後始末ができていない人の性格的特徴として、①心配性②決断力がない③約束を守れない④落ち着きがない⑤計画性がない⑥金使いが荒い⑦物を落としたり失くす⑧服装がだらしない、などが挙げられます。これらを克服するよう自身が意識することが、確実な後始末にも通ずるでしょう。
後始末にも様々ありますが、人間としての最後の後始末は「晩年」という人生の後始末です。齢を重ねれば重ねるほど、無欲になって生命力が高まり、体から太陽のような光と温もりを放つ人もいれば、欲得にかられ表情が貧相で輝きを失い、生命が枯渇していく人もいます。
人生最後にふさわしい晩年を迎えられるよう、日頃からやり残しや積み残しのない、爽やかな生き方をしていきたいものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿