2009年4月10日金曜日

今週の倫理 (607号)より うまく歳を重ねて活力ある日々を送る


人間の年齢には、三つの数え方があると言われています。

 第一は、「生活年齢」と言われるものです。この世に生を享け、毎年一歳ずつ重ねていく年齢のことです。
 孔子に「吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順(したが)う、七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず」(『論語』)という言葉があります。年を重ねるごとに人はより人らしく成長していくものだと孔子は語っていますが、この境地に自らを導いていくことは至難の技です。
 また、長寿を祝う賀寿祝として、六十一歳を還暦、七十歳を古希、七十七歳を喜寿、八十八歳を米寿、九十九歳を白寿と節目ごとに祝います。今日では、百寿(百歳)を越える長寿の方も増えてきました。

 第二は、「生理的年齢」で、この年齢にはかなり個人差があります。仙厓和尚の「老人六歌仙」には、次のようなものが歌われています。
 人は老人になると、誰もが「皺が寄る、腰が曲がる、髭が白くなる。手は震え、足がよろつき、耳が遠くなり、目が悪くなる。身に添うものは、杖、眼鏡、湯たんぽ、尿瓶。死にたくないと寂しがり、欲が深くなる。くどくなり、気短になり、世話をやきたがる。達者自慢をしては、人に嫌がられる」というのです。確かに若い頃は考えもつかなかったことが、身体の上に現われてくるものです。
 したがって多くの人は、日々、健康に気をつかい、年齢より少しでも若く見られるよう努力をするのです。

 第三は「心理的年齢」と呼ばれるものです。これは加齢とともに心の中に忍び寄ってきて、本人が気づかぬうちに立ち居振る舞いが老いてしまうものです。
 徐々にものの考え方が保守的になり、頑固さや強情さが折々に顔を出すようになる。妙に義理堅くなって、必要以上にそれにこだわるようになる。興味が減退をして、昔の趣味や食べものにこだわってみたり、依存症をわずらって一人で物事に対処できなくなる。自己中心的な考え方が強まり、自分が相手にされないと、「自分は他人から排斥されている」という被害者意識が強まり、ひがみっぽく気短になり、ケチになる。以上のように、若い時期には考えられなかったことが、言動に表出されるものです。

 第一の「生活年齢」は、人である限り避けては通れないものです。できるだけうまく年を重ね、いつまでも生涯現役として若々しさを保ちたいものです。

そのためには様々な手法があるでしょうが、倫理を学ぶ私たちは心を素直に保ち、日々身のまわりで生じることを明るく前向きに「これがよい」と受け止め、一切の憂い心を断っていくことです。まずは目が覚めたらすぐ起きるという「朝起き」に取り組みましょう。朝起きの人は、不思議と皆さん若々しいものです。
 限られた生命を粗末にせずに、活力あふれる毎日を過ごしていきましょう。

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