2009年3月3日火曜日
3月3日 モーニングセミナー 「人生をかけた甲子園」
本日は人材教育コンサルタント、岩下恵子様の講話です。
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みなさんは最近大泣きするようなことはありますか?
私は今も「負けたら終わり。」という厳しい戦いに挑む高校野球に没頭、横浜高校にぞっこんでして、今でも毎年、甲子園の時期には一喜一憂、負ければ大泣きしています。
私は一人の選手のファンではなく、横浜高校のファンです。
それは子供の頃、応援スタンドにて法政二校の偵察をしている横浜高校の野球部員と出会って、一緒に写真を撮ったのがきっかけでした。
私は野球そのものをまるで知らなかったので、背番号1番を付けている人がなにしろ一番偉いのだろうと思い、一番をつけている愛甲投手と写真を撮りました。そんなことがあったその年、横浜高校は夏の甲子園で優勝しました。
普通であれば、ここで愛甲選手のファンになるのでしょうが、なぜか私は、横浜高校のファンとなり、その後も毎年のように甲子園を目指すきっかけとなりました。
それからというもの、横浜高校の甲子園出場を夢見て、中学三年生からスコアブックを付けるようになりました。
最初はスコアの書き込みがまるで追いつかないので、カセットテープに録音をしながら、スコアブックをつける練習をしました。
母親にはあきれられましたが、少しでも横浜高校の近くに行きたいという思いから、横浜高校と同じ駅で乗り降りできる氷取沢高校に進学、同学校を応援することもなく横浜高校のために千羽鶴を折るといった毎日でした。
短大にすすみ、就職活動をどうせなら一番良いところに行きなさいと、野村證券を勧められましたが、入社試験はさんざん。
面接官になぜ希望したのか?と訊かれたときに、「私は横浜高校のスコアブックを中学三年生から付けていました。最初はなかなかできなかったのですが、今ではスコアブックを付けていると次の打者にどこに投げればどうなるか、これがある程度読めるようになってきました。
こうしてデータに基づいた先を読み、お客様に経験を生かして株式を売りたいと思います。」
と話したところ、面接官に面白い子だと評価され、これが縁で就職できたのではないかと思っています。
就職しても横浜高校への熱は冷めず、直属の上司に「目標額を午前中に契約達成したら、早退しても良いですか?」といって、これを達成。その午後には、早退して応援に駆けつけるといった日々でした。
平成6年に野村證券の社内試験があり、一般職から総合職へと変わりました。
これも、甲子園に行くのには、なにかと費用がかかるので、この費用を捻出するには、総合職の方が給与面で有利になるからとの思いからでした。
ところが、総合職では営業部を希望していたのに研修部に配属、多忙で応援にも行けなくなりました。
そこで、翌年は土曜日応援に行こうと思いましたが、体調を崩し応援に駆けつけられず、その試合は一点差で負けたと聞きました。
やはり私が応援しなくちゃ!との思いから、一週間後にクルマを購入。
これで応援に行けると思うのもつかの間、私の仕事はどんどんと激務に。
クルマで応援に行くのも激務。そこで疲労感を覚え接骨院に通うようになり、今の主人と出会うことになりました。
この時、主人は接骨院の研修員として働いていたのですが、私が「独立を手伝うから横浜の近くで接骨院を開業してくれないか?」と口説き落としました。
というのも、この年暴投で甲子園に行けなかった松坂君、これを応援するために接骨院を開業することを私が決意、能見台に接骨院を開業までこぎつけました。
ですから、はじめてきたお客さんが松坂大輔君なのです。。
結婚して20年、今もコーチャーズベンチや接骨院で選手たちを応援しています。
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まさに人生をかけた甲子園ですが、「高校野球は負けたら終わり。勝ち続けなければならないという高校野球が一番性に合っている。だからプロ野球はまるで興味がない。」という岩下さんは結果を出す仕事人なのだという気がしました。
さらに、懇親会でお話しされた「強いチームが勝つのではなく、勝ったチームが強いのだ。」という言葉も印象的な岩下さんでした。
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