本日は当会の平成23年度最初のモーニングセミナーなので、
・新旧会長交代式
・会長所信表明
・新役員紹介
・平成23年度活動計画発表
が行われた。
上記行事に移る前に前期6カ月間の皆勤賞3名、精勤賞10名等の表彰があった。
続いて許可証の交付が上村前会長から後藤新会長に引き継がれ、上村前会長・
後藤新会長の挨拶がなされた。
その後、新役員の発表が後藤新会長からなされ、新役員が一言ずつ挨拶したが、
新三役が大幅に若返ったのに対して田村副会長の「花よりは花を咲かせる土となれ」
の心持で頑張りたいなどの各人からの抱負の表明があった。
後藤会長から新役員人事につき、「幹事は倫理研修に参加できる権利がある。
昨日入会でも勉強したい人は、どしどし幹事に登用するので申し出てほしい」との追加
コメントがあった。
平成23年度活動計画について後藤会長は、平成23年8月19日に100社の目標を示し、
今年度は支援するツールを準備して達成したいと普及に力を注ぐことを宣言した。
また、研修旅行・ゴルフコンペ・自主勉強会等を計画したいとして、いずれも明日の役員会に
諮って決めたい。いずれにしても盛り沢山の行事に重たく感じないで、気楽に参加できる
ものにしていきたい。また、役員会には役員の如何にかかわらず参加してくださいと述べた。
本日は9月生まれの方々が6名出席されており、誕生日祝いを上村前会長から贈呈した。
最後に田中モーニングセミナー委員長と渋谷県副幹事長兼普及拡大委員長から、新年度に
向けての当会へのお言葉をいただいた。
上村前会長の3年間にわたるご尽力に対し感謝申しあげます。
広報委員長 萩野宏樹
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9月より会長を拝命しました後藤長重です。
初代酒井麻雄会長から前嶋昭夫会長、上村直子会長へと流れてきた志を引き継いで、
当横浜市中央倫理法人会と会友の皆様のさらなる発展に尽力したいと思います。
何卒ご協力のほどお願い申し上げます。
会長 後藤長重
2010/09/08
2010/08/31
8月31日MS 「平和への道」@横浜市中央
日本交流分析協会理事長/富山ユネスコ協会副会長 飯田國彦さまのレジメから抜粋させていただきました。
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「 平 和 へ の 道 」
“A way to the peace.”
2007年(ねん)初秋(しょしゅう) サンフランシスコ(さんふらんしすこ)州立(しゅうりつ)大学(だいがく)に於いて(おいて)
At S.F.S.U., in early autumn 2007.
日 英 対 訳
A Japanese-to-English side-by-side translation

ヒロシマ 爆(ばく)心地(しんち)
「900mのヒバクシャ」
著・訳 飯田 國彦
Kunihiko Iida,Ph.D.
所(しょぞく) 属(ぞく)
NPO日本(にほん)交流(こうりゅう)分析(ぶんせき)協会(きょうかい),富山(とやま)ユネスコ協(ゆねすこきょう) 会(かい)
原本(全37頁) より抜粋
「悲惨(ひさん)な現実(げんじつ)を認識(にんしき)し平和(へいわ)を希求(ききゅう)しよう!」
"Let's desire peace after recognizing
the miserable reality of an atom bomb."
「原爆(げんばく)の悲劇(ひげき)」
“The tragedy of the atom bomb”
終戦(しゅうせん)62年(ねん)の今年(ことし)は、ヒロシマ(ひろしま)・ナガサキ(ながさき)の被爆(ひばく)体験(たいけん)や富山(とやま)空襲(くうしゅう)の体験(たいけん)等(など)悲惨(ひさん)な歴史的(れきしてき)出来事(できごと)が語り伝(かたりつた)えられております。
精神(せいしん)の浄化(じょうか)を得る(える)為(ため)に登る(のぼる)人(ひと)もいる立山(たてやま)や利賀村(とがむら)(現南砺(げんなんと)市(し))に掲げられて(かかげられて)いる曼荼羅(まんだら)には、極楽(ごくらく)と地獄(じごく)が描(か)かれています。
原爆(げんばく)の現実(げんじつ)はこれらの地獄(じごく)絵(え)を遥か(はるか)に超える(こえる)悲惨さ(ひさんさ)でした。うめき、泣き声(なきごえ)、悲痛(ひつう)な叫び(さけび)がとどろく、まさにこの世(よ)の阿鼻叫喚(あびきょうかん)地獄(じごく)だったのです。現実(げんじつ)の悲惨さ(ひさんさ)はそれを遥か(はるか)に上回る(うわまわる)凄さ(すごさ)でした。
それは一瞬(いっしゅん)にして広島市(ひろしまし)、長崎市(ながさきし)全体(ぜんたい)に起った(おこった)ものでした。

ヒロシマ(ひろしま)・ナガサキ(ながさき)の被爆(ひばく)体験(たいけん)がボランティア(ぼらんてぃあ)等(など)によって語り伝えられて(かたりつたえられて)おります。しかし、語り伝える(かたりつたえる)ことができる被爆(ひばく)体験(たいけん)は、実際(じっさい)の悲惨さ(ひさんさ)よりかなり軽い(かるい)体験(たいけん)だけに限られて(かぎられて)います。
爆風(ばくふう)の温度(おんど)は数千度(すうせんど)と言われ(いわれ)、鉄(てつ)、ガラス(がらす)、瓦(かわら)をも溶解(ようかい)しました。御影石(みかげいし)は白色(はくしょく)に変わりました(かわりました)。勿論(もちろん)、住める(すめる)家(いえ)は一軒(いっけん)も残りませんでした。
二つ(ふたつ)の都市(とし)では、光熱(こうねつ)で衣服(いふく)は瞬時(しゅんじ)に燃え去り(もえさり)、皮膚(ひふ)は剥がれて(はがれて)垂れ下がった(たれさがった)のです。
被爆(ひばく)直後(ちょくご)の被爆者(ひばくしゃ)が幽霊(ゆうれい)のよう
に、手(て)を前(まえ)に出して(だして)歩いて(あるいて)いる
のは手(て)の肉(にく)と腹(はら)の肉(にく)がくっ付か
ないようにするためです。

『皮膚(ひふ)が無い(ない)ので、手(て)を下げる(さげる)と手(て)と腹(はら)がくっ付いて(くっついて)しまいます。
言う(いう)ことができたのは、ただ「水(みず)、水(みず)」だけでした。
Because there is not skin, a hand and a stomach stick when they lower hands.The only words they could say were “water, water”. 』
被爆(ひばく)直後(ちょくご)の被爆者(ひばくしゃ)達(たち)は、服(ふく)が焼け落ちて(やけおちて)全裸(ぜんら)となり、皮膚(ひふ)が剥がれて(はがれて)しまった体(からだ)を、川(かわ)の中(なか)に沈め死んで(しずめしんで)いきました。
「私(わたし)自身(じしん)の被爆(ひばく)体験(たいけん)」
“My own Being Bombed Experience.”
私(わたし)の母(はは)は25歳(さい)、姉(あね)は4歳(さい)で、放射能(ほうしゃのう)によってあの世(よ)へ行きました(いきました)。放射能(ほうしゃのう)は生きた(いきた)人間(にんげん)の細胞(さいぼう)を次々(つぎつぎ)と死滅(しめつ)させ
ます。父(ちち)は前年(ぜんねん)沖縄(おきなわ)で戦死(せんし)しましたので、私(わたし)は3歳(さい)でひとりだけ取り残され(とりのこされ)、祖母(そぼ)に養われる(やしなわれる)ことになりました。祖母(そぼ)が生きて(いきて)いた間(あいだ)はまだ幸せでしたが1年後(1ねんご)に祖母(そぼ)も亡くなり(なくなり)、食べ物(たべもの)が少ない(すくない)日々(ひび)が続きました(つづきました)。ユニセフ(ゆにせふ)から贈られた(おくられた)ドライ(どらい)・ミルク(みるく)が唯一(ゆいいつ)のご馳走(ごちそう)でした。
私(わたし)も全身(ぜんしん)に爆風(ばくふう)を受け(うけ)、無数(むすう)の傷(きず)ができました。その傷口(きずぐち)が閉じる(とじる)のに7年(ねん)かかりました。体力(たいりょく)の回復(かいふく)には実(じつ)に30年(ねん)の歳月(さいげつ)を要し(ようし)、健康(けんこう)とはどういうことなの分(わ)かりませんでした。戦(せん)後(ご)60余年(よねん)が経ち(たち)ましたが、今(いま)でも日(ひ)に数回(すうかい)は生々しい(なまなましい)地獄(じごく)図絵(ずえ)が私(わたし)の頭(あたま)をよぎります。これらは総て(すべて)戦(せん)時下(じか)での人間(にんげん)の罪業(ざいごう)が惹き起こす(ひきおこす)、結果(けっか)なのです。
「平和への道」
“A way to the peace.”
ヒロシマ(ひろしま)・ナガサキ(ながさき)の原爆(げんばく)について、悲惨さ(ひさんさ)を伝え(つたえ)、ノーモア(のーもあ)・ヒロシマ(ひろしま)・ナガサキ(ながさき)、戦争(せんそう)絶対(ぜったい)反対(はんたい)が訴えられて(うったえられて)います。それにも拘らず(かかわらず)、地球上(ちきゅうじょう)では戦争(せんそう)やその報復(ほうふく)のテロ(てろ)が未だ(いまだ)に絶えません(たえません)。
「戦争(せんそう)は、人間(にんげん)に闘争(とうそう)本能(ほんのう)があるので、必ず(かならず)起きる(おきる)」という意見(いけん)があります。
「戦争(せんそう)が人間(にんげん)の闘争(とうそう)本能(ほんのう)によって起こされる(おこされる)のではない」との声明(せいめい)が、1948年(ねん)G.W.オルポート(おるぽーと)(アメリカ(あめりか)心理(しんり)学会(がっかい)会長(かいちょう)・ハーバード大学(だいがく)教授(きょうじゅ))他(ほか)7名(めい)がパリ(ぱり)で開催(かいさい)されたユネスコ(ゆねすこ)第3回(だい3かい)総会(そうかい)で発表(はっぴょう)されました。その声明(せいめい)の初め(はじめ)の部分(ぶぶん)は次(つぎ)のようになっています。
「我々(われわれ)の知る(しる)限り(かぎり)、戦争(せんそう)が”“人間性(にんげんせい)”そのものの必然的(ひつぜんてき)な不可避的(ふかひてき)結果(けっか)であることを示す(しめす)ようないかなる証拠(しょうこ)もない。なるほど、能力(のうりょく)においても、気質(きしつ)においても、人間(にんげん)個人(こじん)による差異(さい)はむろん大(だい)なるものがある。同時(どうじ)に平和(へいわ)を確立(かくりつ)し、維持(いじ)するためには、何(なに)をおいても充たされなければ(みたされなければ)ならない万人(ばんにん)共通(きょうつう)の生命(せいめい)への本来的(ほんらいてき)な欲求(よっきゅう)がいくつかある。たとえば人(ひと)は、飢餓(きが)と疫病(えきびょう)、不安(ふあん)と恐怖(きょうふ)からの自由(じゆう)を欲する(ほっする)し、同じく(おなじく)、人間(にんげん)どうしの親睦(しんぼく)と、同胞(どうほう)からの尊敬(そんけい)と、そしてまた個人の人間的成長ないし発達の機会を希求するものである。」
1986年(ねん)スペイン(すぺいん)のセビリア(せびりあ)で行われた(おこなわれた)ユネスコ(ゆねすこ)の「暴力(ぼうりょく)に関する(かんする)セビリア(せびりあ)声明(せいめい)」によって「平和(へいわ)の文化(ぶんか)」の考え(かんがえ)が広まりました(ひろまりました)。20人(にん)の著名(ちょめい)な科学者(かがくしゃ)は「戦争(せんそう)や暴力(ぼうりょく)行為(こうい)の原因(げんいん)を祖先(そせん)から遺伝的(いでんてき)に受け継いで(うけついで)いるというのは、科学的(かがくてき)に正しく(ただしく)ない」という発表(はっぴょう)をしました。
この声明(せいめい)の概要(がいよう)は「人(ひと)は争ったり(あらそったり)、戦争(せんそう)などを起こして(おこして)きたが、それは遺伝(いでん)や本能(ほんのう)などが原因(げんいん)ではない。その反対(はんたい)に自ら(みずから)を変え(かえ)、また文化(ぶんか)を築き(きずき)、国境(こっきょう)や人種(じんしゅ)の枠(わく)を超えて(こえて)平和(へいわ)のために協力(きょうりょく)や協調(きょうちょう)ができることが証明(しょうめい)された。平和(へいわ)は実現(じつげん)可能(かのう)であり、戦争(せんそう)は終わらせる(おわらせる)ことができる」というものです。
認知(にんち)心(しん)理学(りがく)のD.A.ノーマン(のーまん)は、30年(ねん)も前(まえ)に次(つぎ)のように述べて(のべて)います。「人間(にんげん)の文化的(ぶんかてき)または人格的(じんかくてき)集団(しゅうだん)に関して間違った(まちがった)判断(はんだん)を、意識的(いしきてき)に又(また)は無意識的(むいしきてき)に形成(けいせい)する場合(ばあい)は社会的(しゃかいてき)に重大(じゅうだい)な問題(もんだい)になる可能性(かのうせい)がある」
発達(はったつ)心理学(しんりがく)エリクソン(えりくそん)研究(けんきゅう)の日本(にほん)に於(お)ける第一人者(だいいちにんしゃ)である広島(ひろしま)大学(だいがく)教授(きょうじゅ)(当時(とうじ))鑪(たたら) 幹(みき)八郎(はちろう)は、アイデンティティ(あいでんてぃてぃ)拡散(かくさん)による世界(せかい)破壊(はかい)への心(こころ)の動き(うごき)を、同時(どうじ)多発(たはつ)テロ(てろ)の10年(ねん)以上前(いじょうまえ)に予言(よげん)して次(つぎ)のように述べて(のべて)います。「自分(じぶん)が自分(じぶん)である実感(じっかん)と社会的(しゃかいてき)認知(にんち)が得られれば(えられれば)自己(じこ)実現(じつげん)へと向かう(むかう)が、得られなければ(えられなければ)、急進的(きゅうしんてき)なアイデア(あいであ)やイデオロギー(いでおろぎー)に忠誠(ちゅうせい)を示し(しめし)、自己(じこ)を規制(きせい)して、社会(しゃかい)を破壊したり(かいしたり)、伝統的(でんとうてき)な社会(しゃかい)価値(かち)に忠誠(ちゅうせい)を示し(しめし)、伝統(でんとう)にしばられて極端(きょくたん)な破壊(はかい)へ向かう(むかう)。又(また)は、幻覚的(げんかくてき)支配者(しはいしゃ)となり、自分(じぶん)への無理解(むりかい)に対する(たいする)怒り(いかり)は世界(せかい)を破壊(はかい)してしまう」
心理(しんり)学者(がくしゃ)ユング(ゆんぐ)は次(つぎ)のように述べて(のべて)います。「疑い(うたがい)なく、常に(つねに)人間(にんげん)の中(なか)に住んで(すんで)いる悪(あく)は、はかり知れない(しれない)ほど巨大(きょだい)である。」
戦争(せんそう)に一旦(いったん)突入(とつにゅう)すれば、人間(にんげん)としての価値観(かちかん)、判断力(はんだんりょく)、愛情(あいじょう)を失い(うしない)、予想(よそう)を遥か(はるか)に超える(こえる)悲惨(ひさん)な現実(げんじつ)を惹き起こし(ひきおこし)てしまいます。
暴力(ぼうりょく)の連鎖(れんさ)を断ち切らねば(たちきらねば)なりません。その活動(かつどう)の原点(げんてん)は被爆者(ひばくしゃ)の平和(へいわ)希求(ききゅう)活動(かつどう)にあり、ユネスコ(ゆねすこ)の精神(せいしん)や交流(こうりゅう)分析(ぶんせき)(TA)の哲学(てつがく)にあります。
ヒバクシャ(ひばくしゃ)は報復(ほうふく)の連鎖(れんさ)を断ち切りました(たちきりました)。ユネスコ(ゆねすこ)は心(こころ)の中(なか)の平和づくり(へいわづくり)を訴えて(うったえて)います。交流(こうりゅう)分析(ぶんせき)(TA)の哲学(てつがく)は、①(1)人(じん)は誰(だれ)でもOKである、②(2)人(じん)は誰(だれ)でも考える(かんがえる)能力(のうりょく)を持って(もって)いる、を浸透(しんとう)させようと努力(どりょく)しています。まず、あらゆる人(ひと)の存在(そんざい)を認知(にんち)し、多様性(たようせい)を受け入れる(うけいれる)ことが最も(もっとも)大切(たいせつ)です。
我々(われわれ)は自分(じぶん)の考え(かんがえ)だけが正しい(ただしい)と思ったり(おもったり)、他人(たにん)を中傷(ちゅうしょう)したり、拒絶(きょぜつ)してはなりません。いつも話し合い(はなしあい)を優先(ゆうせん)し、人(ひと)の話(はなし)を理解(りかい)しようと努める(つとめる)ことによって、表現(ひょうげん)の自由(じゆう)と文化(ぶんか)の多様性(たようせい)を守る(まもる)ことが大切(たいせつ)です。
戦争(せんそう)反対(はんたい)を訴え(うったえ)平和(へいわ)を希求(ききゅう)し相互(そうご)理解(りかい)の精神(せいしん)を浸透(しんとう)させていくことが唯一(ゆいいつ)平和(へいわ)への道(みち)であり、それを訴える(うったえる)ことが私たち(わたしたち)の使命(しめい)であると思います(おもいます)。
ユネスコ(ゆねすこ)憲章(けんしょう)には「戦争(せんそう)は人(ひと)の心(こころ)の中(なか)で生まれる(うまれる)のであるから、人(ひと)の心(こころ)の中(なか)に平和(へいわ)の砦(とりで)を築かなければ(きずかなければ)ならない」とあります。この精神(せいしん)の「浸透(しんとう)活動(かつどう)」こそが、家庭(かてい)、学校(がっこう)、地域(ちいき)に、団体(だんたい)の安穏(あんのん)や世界(せかい)の平和(へいわ)をもたらします。
『これらの活動(かつどう)が恨み(うらみ)や怒り(いかり)から湧き起って(わきおこって)いるのではなく、平和(へいわ)を願う(ねがう)一念(いちねん)から発して(はっして)いることを今一度(いまいちど)認識(にんしき)することも大切(たいせつ)です。
These activities are not caused by grudge and anger, and it is important to recognize what we get from desire to pray for peace once again. 』
ご静聴(ごせいちょう)ありがとうございました。
世界的(せかいてき)に著名(ちょめい)な哲学者(てつがくしゃ)ヘイゲン(へいげん)博士(はかせ)より、次(つぎ)のようなメッセージ(めっせーじ)を頂き(いただき)ました。
I received the following message from the world famous philosopher, Dr.Hagan.
Dear Professor Iida:
Mrs. Hagan and I want to thank you so much for your words on Hiroshima and world peace.
It is the most moving personal account we have ever read. Now we have a friend who personally experienced, with his family, that horror.
We shall keep this as a precious memory, wish you and your family all the best, and work with you and others so that we never have war again.
W.A.Hagan
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今年度のモーニングセミナーは本日で終了です。
平成22年度も皆様のご協力により無事終了いたしました。ありがとうございました。
来期以降も皆様のためになるモーニングセミナーを開催していけるようにがんばりたいと思いますので、ご協力とご参加のほどお願い申し上げます。
平成22年度 専任幹事 後藤長重
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「 平 和 へ の 道 」
“A way to the peace.”
2007年(ねん)初秋(しょしゅう) サンフランシスコ(さんふらんしすこ)州立(しゅうりつ)大学(だいがく)に於いて(おいて)
At S.F.S.U., in early autumn 2007.
日 英 対 訳
A Japanese-to-English side-by-side translation

ヒロシマ 爆(ばく)心地(しんち)
「900mのヒバクシャ」
著・訳 飯田 國彦
Kunihiko Iida,Ph.D.
所(しょぞく) 属(ぞく)
NPO日本(にほん)交流(こうりゅう)分析(ぶんせき)協会(きょうかい),富山(とやま)ユネスコ協(ゆねすこきょう) 会(かい)
原本(全37頁) より抜粋
「悲惨(ひさん)な現実(げんじつ)を認識(にんしき)し平和(へいわ)を希求(ききゅう)しよう!」
"Let's desire peace after recognizing
the miserable reality of an atom bomb."
「原爆(げんばく)の悲劇(ひげき)」
“The tragedy of the atom bomb”
終戦(しゅうせん)62年(ねん)の今年(ことし)は、ヒロシマ(ひろしま)・ナガサキ(ながさき)の被爆(ひばく)体験(たいけん)や富山(とやま)空襲(くうしゅう)の体験(たいけん)等(など)悲惨(ひさん)な歴史的(れきしてき)出来事(できごと)が語り伝(かたりつた)えられております。
精神(せいしん)の浄化(じょうか)を得る(える)為(ため)に登る(のぼる)人(ひと)もいる立山(たてやま)や利賀村(とがむら)(現南砺(げんなんと)市(し))に掲げられて(かかげられて)いる曼荼羅(まんだら)には、極楽(ごくらく)と地獄(じごく)が描(か)かれています。
原爆(げんばく)の現実(げんじつ)はこれらの地獄(じごく)絵(え)を遥か(はるか)に超える(こえる)悲惨さ(ひさんさ)でした。うめき、泣き声(なきごえ)、悲痛(ひつう)な叫び(さけび)がとどろく、まさにこの世(よ)の阿鼻叫喚(あびきょうかん)地獄(じごく)だったのです。現実(げんじつ)の悲惨さ(ひさんさ)はそれを遥か(はるか)に上回る(うわまわる)凄さ(すごさ)でした。
それは一瞬(いっしゅん)にして広島市(ひろしまし)、長崎市(ながさきし)全体(ぜんたい)に起った(おこった)ものでした。

ヒロシマ(ひろしま)・ナガサキ(ながさき)の被爆(ひばく)体験(たいけん)がボランティア(ぼらんてぃあ)等(など)によって語り伝えられて(かたりつたえられて)おります。しかし、語り伝える(かたりつたえる)ことができる被爆(ひばく)体験(たいけん)は、実際(じっさい)の悲惨さ(ひさんさ)よりかなり軽い(かるい)体験(たいけん)だけに限られて(かぎられて)います。
爆風(ばくふう)の温度(おんど)は数千度(すうせんど)と言われ(いわれ)、鉄(てつ)、ガラス(がらす)、瓦(かわら)をも溶解(ようかい)しました。御影石(みかげいし)は白色(はくしょく)に変わりました(かわりました)。勿論(もちろん)、住める(すめる)家(いえ)は一軒(いっけん)も残りませんでした。
二つ(ふたつ)の都市(とし)では、光熱(こうねつ)で衣服(いふく)は瞬時(しゅんじ)に燃え去り(もえさり)、皮膚(ひふ)は剥がれて(はがれて)垂れ下がった(たれさがった)のです。
被爆(ひばく)直後(ちょくご)の被爆者(ひばくしゃ)が幽霊(ゆうれい)のよう
に、手(て)を前(まえ)に出して(だして)歩いて(あるいて)いる
のは手(て)の肉(にく)と腹(はら)の肉(にく)がくっ付か
ないようにするためです。

『皮膚(ひふ)が無い(ない)ので、手(て)を下げる(さげる)と手(て)と腹(はら)がくっ付いて(くっついて)しまいます。
言う(いう)ことができたのは、ただ「水(みず)、水(みず)」だけでした。
Because there is not skin, a hand and a stomach stick when they lower hands.The only words they could say were “water, water”. 』
被爆(ひばく)直後(ちょくご)の被爆者(ひばくしゃ)達(たち)は、服(ふく)が焼け落ちて(やけおちて)全裸(ぜんら)となり、皮膚(ひふ)が剥がれて(はがれて)しまった体(からだ)を、川(かわ)の中(なか)に沈め死んで(しずめしんで)いきました。
「私(わたし)自身(じしん)の被爆(ひばく)体験(たいけん)」
“My own Being Bombed Experience.”
私(わたし)の母(はは)は25歳(さい)、姉(あね)は4歳(さい)で、放射能(ほうしゃのう)によってあの世(よ)へ行きました(いきました)。放射能(ほうしゃのう)は生きた(いきた)人間(にんげん)の細胞(さいぼう)を次々(つぎつぎ)と死滅(しめつ)させ
ます。父(ちち)は前年(ぜんねん)沖縄(おきなわ)で戦死(せんし)しましたので、私(わたし)は3歳(さい)でひとりだけ取り残され(とりのこされ)、祖母(そぼ)に養われる(やしなわれる)ことになりました。祖母(そぼ)が生きて(いきて)いた間(あいだ)はまだ幸せでしたが1年後(1ねんご)に祖母(そぼ)も亡くなり(なくなり)、食べ物(たべもの)が少ない(すくない)日々(ひび)が続きました(つづきました)。ユニセフ(ゆにせふ)から贈られた(おくられた)ドライ(どらい)・ミルク(みるく)が唯一(ゆいいつ)のご馳走(ごちそう)でした。
私(わたし)も全身(ぜんしん)に爆風(ばくふう)を受け(うけ)、無数(むすう)の傷(きず)ができました。その傷口(きずぐち)が閉じる(とじる)のに7年(ねん)かかりました。体力(たいりょく)の回復(かいふく)には実(じつ)に30年(ねん)の歳月(さいげつ)を要し(ようし)、健康(けんこう)とはどういうことなの分(わ)かりませんでした。戦(せん)後(ご)60余年(よねん)が経ち(たち)ましたが、今(いま)でも日(ひ)に数回(すうかい)は生々しい(なまなましい)地獄(じごく)図絵(ずえ)が私(わたし)の頭(あたま)をよぎります。これらは総て(すべて)戦(せん)時下(じか)での人間(にんげん)の罪業(ざいごう)が惹き起こす(ひきおこす)、結果(けっか)なのです。
「平和への道」
“A way to the peace.”
ヒロシマ(ひろしま)・ナガサキ(ながさき)の原爆(げんばく)について、悲惨さ(ひさんさ)を伝え(つたえ)、ノーモア(のーもあ)・ヒロシマ(ひろしま)・ナガサキ(ながさき)、戦争(せんそう)絶対(ぜったい)反対(はんたい)が訴えられて(うったえられて)います。それにも拘らず(かかわらず)、地球上(ちきゅうじょう)では戦争(せんそう)やその報復(ほうふく)のテロ(てろ)が未だ(いまだ)に絶えません(たえません)。
「戦争(せんそう)は、人間(にんげん)に闘争(とうそう)本能(ほんのう)があるので、必ず(かならず)起きる(おきる)」という意見(いけん)があります。
「戦争(せんそう)が人間(にんげん)の闘争(とうそう)本能(ほんのう)によって起こされる(おこされる)のではない」との声明(せいめい)が、1948年(ねん)G.W.オルポート(おるぽーと)(アメリカ(あめりか)心理(しんり)学会(がっかい)会長(かいちょう)・ハーバード大学(だいがく)教授(きょうじゅ))他(ほか)7名(めい)がパリ(ぱり)で開催(かいさい)されたユネスコ(ゆねすこ)第3回(だい3かい)総会(そうかい)で発表(はっぴょう)されました。その声明(せいめい)の初め(はじめ)の部分(ぶぶん)は次(つぎ)のようになっています。
「我々(われわれ)の知る(しる)限り(かぎり)、戦争(せんそう)が”“人間性(にんげんせい)”そのものの必然的(ひつぜんてき)な不可避的(ふかひてき)結果(けっか)であることを示す(しめす)ようないかなる証拠(しょうこ)もない。なるほど、能力(のうりょく)においても、気質(きしつ)においても、人間(にんげん)個人(こじん)による差異(さい)はむろん大(だい)なるものがある。同時(どうじ)に平和(へいわ)を確立(かくりつ)し、維持(いじ)するためには、何(なに)をおいても充たされなければ(みたされなければ)ならない万人(ばんにん)共通(きょうつう)の生命(せいめい)への本来的(ほんらいてき)な欲求(よっきゅう)がいくつかある。たとえば人(ひと)は、飢餓(きが)と疫病(えきびょう)、不安(ふあん)と恐怖(きょうふ)からの自由(じゆう)を欲する(ほっする)し、同じく(おなじく)、人間(にんげん)どうしの親睦(しんぼく)と、同胞(どうほう)からの尊敬(そんけい)と、そしてまた個人の人間的成長ないし発達の機会を希求するものである。」
1986年(ねん)スペイン(すぺいん)のセビリア(せびりあ)で行われた(おこなわれた)ユネスコ(ゆねすこ)の「暴力(ぼうりょく)に関する(かんする)セビリア(せびりあ)声明(せいめい)」によって「平和(へいわ)の文化(ぶんか)」の考え(かんがえ)が広まりました(ひろまりました)。20人(にん)の著名(ちょめい)な科学者(かがくしゃ)は「戦争(せんそう)や暴力(ぼうりょく)行為(こうい)の原因(げんいん)を祖先(そせん)から遺伝的(いでんてき)に受け継いで(うけついで)いるというのは、科学的(かがくてき)に正しく(ただしく)ない」という発表(はっぴょう)をしました。
この声明(せいめい)の概要(がいよう)は「人(ひと)は争ったり(あらそったり)、戦争(せんそう)などを起こして(おこして)きたが、それは遺伝(いでん)や本能(ほんのう)などが原因(げんいん)ではない。その反対(はんたい)に自ら(みずから)を変え(かえ)、また文化(ぶんか)を築き(きずき)、国境(こっきょう)や人種(じんしゅ)の枠(わく)を超えて(こえて)平和(へいわ)のために協力(きょうりょく)や協調(きょうちょう)ができることが証明(しょうめい)された。平和(へいわ)は実現(じつげん)可能(かのう)であり、戦争(せんそう)は終わらせる(おわらせる)ことができる」というものです。
認知(にんち)心(しん)理学(りがく)のD.A.ノーマン(のーまん)は、30年(ねん)も前(まえ)に次(つぎ)のように述べて(のべて)います。「人間(にんげん)の文化的(ぶんかてき)または人格的(じんかくてき)集団(しゅうだん)に関して間違った(まちがった)判断(はんだん)を、意識的(いしきてき)に又(また)は無意識的(むいしきてき)に形成(けいせい)する場合(ばあい)は社会的(しゃかいてき)に重大(じゅうだい)な問題(もんだい)になる可能性(かのうせい)がある」
発達(はったつ)心理学(しんりがく)エリクソン(えりくそん)研究(けんきゅう)の日本(にほん)に於(お)ける第一人者(だいいちにんしゃ)である広島(ひろしま)大学(だいがく)教授(きょうじゅ)(当時(とうじ))鑪(たたら) 幹(みき)八郎(はちろう)は、アイデンティティ(あいでんてぃてぃ)拡散(かくさん)による世界(せかい)破壊(はかい)への心(こころ)の動き(うごき)を、同時(どうじ)多発(たはつ)テロ(てろ)の10年(ねん)以上前(いじょうまえ)に予言(よげん)して次(つぎ)のように述べて(のべて)います。「自分(じぶん)が自分(じぶん)である実感(じっかん)と社会的(しゃかいてき)認知(にんち)が得られれば(えられれば)自己(じこ)実現(じつげん)へと向かう(むかう)が、得られなければ(えられなければ)、急進的(きゅうしんてき)なアイデア(あいであ)やイデオロギー(いでおろぎー)に忠誠(ちゅうせい)を示し(しめし)、自己(じこ)を規制(きせい)して、社会(しゃかい)を破壊したり(かいしたり)、伝統的(でんとうてき)な社会(しゃかい)価値(かち)に忠誠(ちゅうせい)を示し(しめし)、伝統(でんとう)にしばられて極端(きょくたん)な破壊(はかい)へ向かう(むかう)。又(また)は、幻覚的(げんかくてき)支配者(しはいしゃ)となり、自分(じぶん)への無理解(むりかい)に対する(たいする)怒り(いかり)は世界(せかい)を破壊(はかい)してしまう」
心理(しんり)学者(がくしゃ)ユング(ゆんぐ)は次(つぎ)のように述べて(のべて)います。「疑い(うたがい)なく、常に(つねに)人間(にんげん)の中(なか)に住んで(すんで)いる悪(あく)は、はかり知れない(しれない)ほど巨大(きょだい)である。」
戦争(せんそう)に一旦(いったん)突入(とつにゅう)すれば、人間(にんげん)としての価値観(かちかん)、判断力(はんだんりょく)、愛情(あいじょう)を失い(うしない)、予想(よそう)を遥か(はるか)に超える(こえる)悲惨(ひさん)な現実(げんじつ)を惹き起こし(ひきおこし)てしまいます。
暴力(ぼうりょく)の連鎖(れんさ)を断ち切らねば(たちきらねば)なりません。その活動(かつどう)の原点(げんてん)は被爆者(ひばくしゃ)の平和(へいわ)希求(ききゅう)活動(かつどう)にあり、ユネスコ(ゆねすこ)の精神(せいしん)や交流(こうりゅう)分析(ぶんせき)(TA)の哲学(てつがく)にあります。
ヒバクシャ(ひばくしゃ)は報復(ほうふく)の連鎖(れんさ)を断ち切りました(たちきりました)。ユネスコ(ゆねすこ)は心(こころ)の中(なか)の平和づくり(へいわづくり)を訴えて(うったえて)います。交流(こうりゅう)分析(ぶんせき)(TA)の哲学(てつがく)は、①(1)人(じん)は誰(だれ)でもOKである、②(2)人(じん)は誰(だれ)でも考える(かんがえる)能力(のうりょく)を持って(もって)いる、を浸透(しんとう)させようと努力(どりょく)しています。まず、あらゆる人(ひと)の存在(そんざい)を認知(にんち)し、多様性(たようせい)を受け入れる(うけいれる)ことが最も(もっとも)大切(たいせつ)です。
我々(われわれ)は自分(じぶん)の考え(かんがえ)だけが正しい(ただしい)と思ったり(おもったり)、他人(たにん)を中傷(ちゅうしょう)したり、拒絶(きょぜつ)してはなりません。いつも話し合い(はなしあい)を優先(ゆうせん)し、人(ひと)の話(はなし)を理解(りかい)しようと努める(つとめる)ことによって、表現(ひょうげん)の自由(じゆう)と文化(ぶんか)の多様性(たようせい)を守る(まもる)ことが大切(たいせつ)です。
戦争(せんそう)反対(はんたい)を訴え(うったえ)平和(へいわ)を希求(ききゅう)し相互(そうご)理解(りかい)の精神(せいしん)を浸透(しんとう)させていくことが唯一(ゆいいつ)平和(へいわ)への道(みち)であり、それを訴える(うったえる)ことが私たち(わたしたち)の使命(しめい)であると思います(おもいます)。
ユネスコ(ゆねすこ)憲章(けんしょう)には「戦争(せんそう)は人(ひと)の心(こころ)の中(なか)で生まれる(うまれる)のであるから、人(ひと)の心(こころ)の中(なか)に平和(へいわ)の砦(とりで)を築かなければ(きずかなければ)ならない」とあります。この精神(せいしん)の「浸透(しんとう)活動(かつどう)」こそが、家庭(かてい)、学校(がっこう)、地域(ちいき)に、団体(だんたい)の安穏(あんのん)や世界(せかい)の平和(へいわ)をもたらします。
『これらの活動(かつどう)が恨み(うらみ)や怒り(いかり)から湧き起って(わきおこって)いるのではなく、平和(へいわ)を願う(ねがう)一念(いちねん)から発して(はっして)いることを今一度(いまいちど)認識(にんしき)することも大切(たいせつ)です。
These activities are not caused by grudge and anger, and it is important to recognize what we get from desire to pray for peace once again. 』
ご静聴(ごせいちょう)ありがとうございました。
世界的(せかいてき)に著名(ちょめい)な哲学者(てつがくしゃ)ヘイゲン(へいげん)博士(はかせ)より、次(つぎ)のようなメッセージ(めっせーじ)を頂き(いただき)ました。
I received the following message from the world famous philosopher, Dr.Hagan.
Dear Professor Iida:
Mrs. Hagan and I want to thank you so much for your words on Hiroshima and world peace.
It is the most moving personal account we have ever read. Now we have a friend who personally experienced, with his family, that horror.
We shall keep this as a precious memory, wish you and your family all the best, and work with you and others so that we never have war again.
W.A.Hagan
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今年度のモーニングセミナーは本日で終了です。
平成22年度も皆様のご協力により無事終了いたしました。ありがとうございました。
来期以降も皆様のためになるモーニングセミナーを開催していけるようにがんばりたいと思いますので、ご協力とご参加のほどお願い申し上げます。
平成22年度 専任幹事 後藤長重
2010/08/24
8月24日MS 心豊かな暮らしと音楽@横浜市中央
2010/08/10
8月10日MS 「社会保険労務士の役割と人事労務管理」@横浜市中央

今回の講師は社会保険労務士法人 ディー・プロデュース 代表 越石能章(よしあき)氏。1972年生まれで神奈川県社会保険労務士会 横浜南支部 副支部長等の要職を務めておられる。「小さな会社の就業規則の見直し方・つくり方がわかる本」の著書がある。
社会保険労務士は事業の健全な発達と労働者等の福祉の向上に資する目的で設けられた資格で、実務に精通しているだけでなく、品位の保持と公正で誠実であることが求められる。(社会保険労務士法第1条)
社会保険労務士の倫理は
①自らの良心と法令を常に考えて行動する。
②法令に違反するアドバイスはしない。
最近の情報に常にアンテナを張り、活きた情報を提供する。
労働基準法や社会保険の運用に関して真っ白な会社はないが、それに近づける手助けをする。
事業活動は法令の枠で抑えられるが、解釈の仕方でどうにかなる部分もある。
まとめとして、社会保険労務士は「人」に関する専門家として
①経営活動における人に関する諸問題を解決する
②経営の意思決定支援をする
③企業実態に合わせて法令と現実のギャップを是正する
役割があると締め括られました。
最近の労務管理に関わる事件や諸問題を見るにつけ、社会保険労務士の果たす役割の大きさと倫理の重要性を感じました。
事務長 萩野宏樹
リンク先:
社会保険労務士事務所D・プロデュース
本日は横浜市倫理法人会の金本様と逗子葉山倫理法人会専任幹事の中筋様が参加されました。
お忙しいところお越しいただきありがとうございました。
専任幹事 後藤長重
2010/08/03
8月3日MS 「繁栄の岐路(わかれみち)」@横浜中央

今回の講師は(社)倫理研究所 研究局研究部次長 三浦貴史氏。昭和47年 兵庫県生まれ、熊本県育ちの37歳。研究部に異動になり法人会の皆様とはここ数年お会いする機会がなかったが、この4月から首都圏に限り派遣されるようになり、本単会での講話は6~7年ぶりとか。
研究部は全国での倫理の実践事例を収集して調査研究しており、倫理研究所紀要は倫理に関する内外の専門学者の研究成果を収めたものである。今回発行の紀要には講師が執筆した論文が初めて掲載されているとのこと。
数年前の紀要に載っているものだが、研究部で10-60歳代日本人の倫理意識を大規模調査したことがある。「繁栄」のバロメーターである金銭に対する意識は
①(お金もそれ以外も大事)バランス派②(人生での努力の)結果派③(やりたい目標を実現する)道具派④無関心派⑤(倫友のような)倫理派に分けられたとのこと。
また、かつてホリエモンこと堀江貴史氏が「お金で買えないものはない」と言ったとされているが、「お金で買えないものがあるか」に対するアンケートでは、
「あると思う」との回答が実に96.4%を占め、複数回答の結果でその中身は
①心・感情(72.1%)②家庭・家族(28.6%)③生命・自然(19.7%)であった。
この心・感情をはじめ、これらの事柄を学んでいるのが正しく倫理法人会である。
「繁栄の岐路(わかれみち)」は根底の価値を高める三つのポイントから。
①目に見えない価値に目を向ける。会社が繁栄を続けていくためには社会の持続可能性に配慮する必要がある。会社の薫りを作り上げる
②小さな実践を積み重ねる。朝礼・モーニングセミナーの意味を理解して、良い習慣を身に着けていく。
③家庭や家族の力を見直す。目に見えない力は、お金を介しない(用いない)人間関係から生まれる。グルエンベルク作の「お母さんの請求書」にあるように。喜んですすんで働く原動力となる。
久しぶりに三浦講師のご講話を聴き、元気をいただきました。
事務長 萩野宏樹
2010/07/27
7月27日MS 「和を以て貴し」@横浜中央

今回の講師は(社)倫理研究所 法人局普及事業部企画室研究員 高橋哲也氏。昭和59年 小田原市生まれの25歳。
本日のテーマ「和を以て貴しと為す」を話すときにいつもお見せするものがあるとして、御朱印帳を示された。全国のお寺や神社に参拝したときにいただいているそうで、法隆寺の御朱印には、「以和為貴」と書かれている。これは法隆寺を建立した聖徳太子が制定した、日本最古の憲法である「十七条憲法」の第一条だが、「万人幸福の栞」は丸山敏雄が「十七条憲法」に倣って生活法則を十七か条にまとめあげたもの。
「万人幸福の栞」の八条に「明朗愛和」として書かれている。P.62に「愛にみちあふれて、皆がその所を得た有様を和という。」とある。また、P.63に「和のもとは愛である。(中略)親子夫婦のたてよこ十字の愛和は、家庭の幸福のもとであり、親子、長幼の縦の敬慈、すべての人の横の愛和、協力が社会一切の幸福を生み出す。」とある。
人との心の関わりを作るのが愛。愛の真ん中には心(真心)がある。相手を思いやる気持ちや真心をどれだけ言葉・行動・態度で示せるかが重要。できれば先ず家庭から始めてほしいと話された。
講師の知り合いの女性教師が4年生を担任したときの話で、クラスの雰囲気が次第に落ち着いていくなかで、いつまでも心を閉ざす男子学童に毎日「大好きだよ」と精一杯の愛情を降り注ぎ続けた結果、3カ月ほど経った個人面談のときに、少年は初めて自分のことを話してくれた。少年とコミュニケーションがとれたばかりでなく、クラス全体にまでその少年を中心に和ができ、クラス全体に向上しようとする空気が生まれてきたとのこと。
講師には前日の特別研修から二日間に亘り、大変お世話になりました。
2010/07/20
7月20日MS 「足もみ健康法の実践から健康の実感を」@横浜中央

講師は(有)鎌倉健康ひろば 代表の松島誠一氏、68歳。6月8日のセミナーの続編として、今回は主に実技を中心に二度目のお話しをしていただいた。
最初に前回の復習として要点のお話しがあり、体温(免疫力)と血流に大切な筋肉の70%は下半身にあるので、大腿四頭筋を減らさぬよう良く歩くこと。
また精神的な面が健康に大いに作用し、笑いと感謝のこころが副交感神経を活発にし、血流を改善する。朝、鏡に向かってにっこりし大笑いするのが良いとして、笑顔を作って息が続く限り大声で「アッアッハ」と笑う実習をした。
「足もみ健康法」は足の裏・甲・すね等に全身の反射区があり、この反射区を按摩すると対応する部位の細胞が活性化し、機能が正常化する。按摩の「按」は指で中に押し込む、「摩」は表面をさすって毛細血管の血行を促進すること。
ついで実習に移り、先ず素足となって両ひざ下から足の指先までクリーム(軟膏)を塗ってよくすり込んだ。本当は相手の足をもんでやるのがよいが、今日は一人でできる方法を実践した。自身の手と足の握手(右手と左足で指を組んで付け根まで入れる。左手と右足も同様)して足首回し、竹踏み(100円ショップでプラスチック製を購入できる)で足の裏を刺激、足の甲並びに足の内側と外側を手の指で刺激、などを実習した。
最後に、講師から希望者に足裏の按摩を解説を交えながらしていただいたが、強くもむ必要はないとのこと。ただ、それでも痛く感じるときは、もんだ反射区に対応する部位が弱っていることが考えられる。1年も按摩を続けると効果が現れてくるとのこと。
「自分の健康は自分で守る」ことから始めなければと思った次第でした。そのためには、自分のからだをもっと良く動かして、積極的な改善を図ることが必要だと感じました。
事務長 萩野宏樹
2010/07/13
7月13日MS 「さくらノートの挑戦 」@横浜中央

今回の講師は中高生に絶大の人気を誇る仕事紹介の無料情報誌「さくらノート」を企画・編集・発行する(株)盤水社 代表の中山貴之氏、45歳。富山県出身、石川県金沢市在住。
「さくらノート」は学校配布型キャリア教育支援マガジン。このフリーペーパーを発行するきっかけとなったのは、7年ほど前の倫理法人会入会と大いに関係があるとのこと。
11年間ほど外資系生保で営業の仕事をしていたが、大口の契約が取りたくて大学の先輩にお願いしたところ、社長を紹介してくれる代わりに朝の6時に会場に来なさいと言われた。それが金沢市の倫理法人会で、そこで事務長をやっていたとき販売用に取り寄せた丸山理事長の「道徳力」を読んで、本の中に今まで生きてきたことの答えがすべて書かれていると思ったという。
戦後、修身が義務教育の履修科目からなくなり、「教育勅語」も廃止された。当時の文部大臣 天野貞祐が道徳教育の必要を感じて「国民実践要領」をまとめ提示したが、日の目をみることはなかったとのこと。講師はこのコピーを入手して昔の立派な日本人の逸話など、ここで説かれているエッセンスを「職場の教養」のように分かりやすくコンパクトに中高生に紹介できないかと考えた。
いま学校では規範や規律を教えられない。就業意識を中高生のうちから育ませることができ、就職後の転職・離職の減少に結びつけることができれば、学校・企業双方にメリットがあるのでは。これをビジネスにするにはどうすればよいか、自分の勤めている会社の仕事を休業して1年間ぐらいで構想を練り上げたとのこと。
見本誌を持って学校まわりをしたところ、意外とすんなり期待をもって迎えられ、むしろ金を出す企業の理解を得る方が大変だったとのこと。会社で一番頑張っている人から取材でき、仕事を天職と考える高い職業観を感じたという。「さくらノート」では単なる会社紹介や職業紹介でなく、人がどんな思いで働いているかを伝えていきたいという。
創刊号の金沢版を3年ほど前に石川県で発行。その後富山県版もスタート。
今月から横浜・川崎版の配布が始まった。
中高生を対象に、今までにないジャンルを一人で開拓したパイオニア精神に心服しました。
事務長 萩野宏樹
2010/07/06
7月6日MS 「心が一流なら、必ず技術も一流になる」@横浜中央

今回の講師は高級注文家具メーカーの秋元木工代表の秋元利輝氏、67歳。6人兄弟の8人家族。家が貧乏で勉強も全くできなかったという。でもそれがかえって良かったとのこと。故松下幸之助氏を髣髴させるお方だ。
手先が器用で自家の修繕も小学校4年のときから自分の役目になっていたし、近所の人からは大工仕事を頼まれるようになっていたという。
中学校を出ると1年間の訓練校を経て木工所で丁稚奉公をした。最初の3年間は使い走りだけを続けた。食事の用意まで何でもさせられたが、主な仕事は職人の作った家具を注文主まで届ける仕事だ。200kgをもリヤカーに積んで、10km先まで一日3回も納品することがあったという。
丁稚奉公を卒業し6年目からは晴れて一人前の職人となり、勤め先の職人の中で1番になると、より上を目指し転職した。その都度一から始め(給料10万円→2.5万円/月)、最後に勤めた大手デパートの木工部門では職人150人のトップ成績となり退職し、27歳のときに独立したという。常に頭にあるのは質で日本一になるということで、それまで儲けてきた金もすべてを大工道具の買い揃えなどに費やしてきたため、貯えはなかったという。
「女子大生が家具職人に」のタイトルで、10倍の入社試験で採用された10人のうち、ただ一人大卒の女性が本採用されるまでを中心にしたビデオ上映がなされた。4年間住み込みの現代の丁稚奉公を課している稀有な会社で、叱られどおしで泣きながらも挫けず頑張る職人志望の女性の一日一日を綴るビデオだ。
1週間の試用期間を経て、一人前の職人になるぞという覚悟を決める丸刈りになる儀式で、彼女が晴れ晴れとした表情をしているのが印象的だった。
人情に厚く人間性を重視する講師のお話に、現在欠けている大切なものを気づかせていただきました。
事務長 萩野宏樹
秋山社長執筆の書籍、「丁稚のすすめ」をサイドバーに追加しました。聞き漏らした方やもう一歩深く学んでみたい方はぜひご一読下さい。
専任幹事 後藤長重
2010/06/22
6月22日MS 「街の法律屋 ~行政書士の世界~」@横浜中央

今回の講師は大和市倫理法人会 会長で行政書士大和行政手続事務所 代表の中村一夫氏、44歳。行政書士の資格は公務員を一定年齢勤めると与えられることもあり、講師が今から15年ほど前に行政書士会に入ったときは、公務員退職者が多く神奈川県で一番若かったという。
試験が比較的やさしく開業時の収入が良いとして、受験対策に専門予備校や中大法学部(通信教育課程)に入学して勉強し、行政書士にめでたく合格した。ただ資格を取っても更に勉強を積み重ねなければ仕事ができるものでなく、また自ら開業するのが普通で、勤められる事務所を探すのは難しかった。
看板を上げたものの知り合いもなく途方にくれたが、妹がかつて旅行で泊めてもらったことのある方の職業が行政書士であったのを思い出した。妹に当時の名刺を探してもらい、福岡で行政書士の事務所を営業している方にぶしつけに電話でお願いしたところ、親切にも関係資料をダンボール1箱も送ってくれたうえに、事務所を見に来ないかと誘ってくれた。この方には今も相談にのっていただいているとのこと。
また交通事故の案件を引き受けたものの経験がなく困っていたとき、いつも走っている道路沿いに今まで気づかなかった行政書士の事務所を発見、しかも近づいてみると交通事故を扱っているのが分かった。そこは日本行政書士会連合会の会長をされていた人の事務所で、その方のおかげで各界の著名人にも知り合いが広がったという。
この二つの出会いで今の自分があるという。
行政書士の仕事は幅広く、①権利・義務に関わる仕事では、相続・遺言、成年後見などの契約書・示談書作成 ②許認可申請に関わる仕事では、自動車関連、建設業・運送業などの規制緩和に伴う行政手続 ③国際業務では、入国管理局への在留資格申請の事実証明
などが増えているとのこと。
お話を伺って、気づきと出会いを大切にされ、チャンスを逃さない即行のお人だと感じました。
事務長 萩野宏樹
2010/06/15
6月15日MS 「徳福一致の経営 ~ここに倫理がある~」@横浜市中央
倫理研究所 法人スーパーバイザーの大園義友氏が今回の講師。昨夜の幹部研修に引き続いて氏のお話を伺った。(株)シー・プロダクション取締役会長、鹿児島県の離島、甑島(こしきじま)出身の66歳。
「倒産の危機を乗り越えて」と題する、全国商工会議所女性会連合会の吉川会長の新聞記事の紹介があった。 創業時からいくつもの経営危機を迎えたが、ついに倒産かというとき社長室に飾っていたランの花が次々と枯れていくのに気づいた。ランの花が自分の心のありようを教えてくれている、万物は一体なのだと自分のおごった心を反省し、他人への感謝の念が湧き上がった。それから事態は不思議に好転し立ち直ることができたとのこと。
倫理法人会の根底には「涙」がある。涙を流して自身が生まれ変わる。涙の水滴の中に七色の虹が浮かんでくる。涙を流すようなモーニングセミナーにしてほしい。エネルギーが沸々と湧いてくる。本当に泣ける人、これこそ誠の人。誠の心(赤心)が迸る。
かねてから行きたいと念じていた阿蘇山に案内されて着いたとき、てっぺんに真ん丸い形の虹を見た。思いが叶ったことで、現地の人でも見られない虹を見ることができたのだと思った。
藤田東湖が吉田松陰宛てに送った手紙の中に、「さまざまな国難といえる状況があってもジタバタするな。国民の心がしっかりしていることが大事」。モーニング・セミナーは魂が行きたがる場所でありたい、心のふるさとのようなもの。一週間の自分の心のありようを自身でチェックして、心を切り替えて今日から再出発する場。
今年の倫理法人会の基本方針は自他の救済力を高めることにある。これこそ日本創生の心である。自分が入会して良かったと思うことを人に伝えることが必要。苦難は鬼の面を被った心の応援団である。会員スピーチでも語ってほしい。
電車内で化粧している女性に注意したことを取り上げ、素直に「ハイ」と返事してくれたが化粧の手を止めなかった。批判するのは簡単だが、相手の事情にまで思いを巡らせてみると、いろいろと想像が働いてやむを得ぬことであったかもしれぬなどと、相手の気持ちになって受け止めることができた。
最後に、こちらの会は初めてだが、抱いていた先入観と違い皆さんから教わることが多かったと、講師から励ましのお言葉をいただきました。会長の方針に従って着実に前進していきたいと再確認するとともに、講師のご指導に感謝します。
事務長 萩野宏樹
本日は、山梨県倫理法人会より(有)アクアマリンプラスの佐藤実様のご出席をいただきました。
誠にありがとうございました。
専任幹事 後藤長重
2010/06/08
6月8日MS 「足は第2の心臓 ~足もみ健康法~」@横浜市中央
本日の講師は(有)鎌倉健康ひろば 代表の松島誠一氏、1941年鎌倉生まれ、育ち、在住の68歳。講師は血行も良く、とてもお年には見えず、元気だ。
朝目覚めたら、すぐ寝床でもできる運動として、両手をブラブラ振る、グーパーを強く行うことで全身の血行が良くなる。起きたら鏡に向かってニッコリ笑う、すると副交感神経が働き、やはり血流が改善される。口の両端を上げて笑顔を作ると、笑筋が発達して効果があるとのこと。
講師はサラリーマンをしていた頃、5年ほど台湾に赴任していたことがあるが、その間の46歳のときに健康診断で肝機能異常が見つかったという。夫人も20年前に健康診断で病気が見つかったとのことで、定期的に健診することの大切さを身に沁みて感じたとのこと。
講師が養生していたときに、李先生に会い「若石(じゃくせき)健康法」に出会った。体温と血流に大切な筋肉の70%は下半身にあり、「足は第二の心臓」だという。それは足の裏・甲・すね等を按摩することで血液循環を促進し、内臓・器官の機能を正常化させる足もみ健康法である。
足の裏のどこにつぼがあるかを「足の反射区図表」で説明された。
「竹踏み」、「左足と右手、右足と左手の握手」、「よく歩く」、「よくしゃがむ」などを継続して実践することを勧められた。
最後に健康のヒントとして、下記「健康十訓」を示された。
①少憤多笑 ②少車多歩 ③少食多噛 ④少肉多菜 ⑤少塩多酢 ⑥少糖多果
⑦少欲多施 ⑧少憂多眠 ⑨少言多行 ⑩少衣多浴
健康の維持に即効薬はなく、健康によくないことはできるだけ避け、良いことは少しでも地道に続ける、そのことの積み重ねが大事ということでしょうか。
事務長 萩野宏樹
2010/06/01
6月1日MS 「全国一斉清掃デー」@横浜市中央
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