2008年10月24日金曜日

今週の倫理 (583号)より 意識的な実践が企業の器を大きくする

いにしへの 道を聞きても唱へても 我が行ひにせずばかひなし

この短歌の大意は、「昔の聖賢の立派な教えや学問も、口に唱えるだけで、これを実行しなければ何の役にもたたぬ。実践実行が最も大事である」(『島津日新公いろは歌集』―竹田神社)ということです。

 まさに「実践なき倫理は倫理ではない」という言葉そのままと言えましょう。すなわち、倫理法人会で学んでいる純粋倫理は、宗教でも、主義でも、学説でもなく、実行によって正しさが証明できる生活の法則であり、実践こそがその生命だからです。

 ところで、会社の業績を産み出す基盤とも言える 「社風」の良し悪しの差は、経営者、幹部社員そして一般社員の「実践のレベル」の差そのものと言ってもよいでしょう。例えば、良い社風の要素のひとつは、「当たり前のことが当たり前にできていること」ですが、当たり前にできているだけでは並の会社でしかなく、当たり前以上のレベルで行なわれて初めて、他社との差別化が可能となるのです。
当たり前のことの中でも最も基本的な、「あいさつ」という実践を例にとってみましょう。

 K社の職場での朝のあいさつは、ただ「おはよう!」という声が飛び交うだけの儀礼的なものではありません。ふだんは、社長は六時ごろ出社してきます。事務所に入るとすぐに、「おはようー!」と事務所中に響くような大きな声を発します。すると、すでに出社していた3~4名の社員が、いっせいに「おはようございます!」と、明るく大きな声で応えます。そして、社長が席につくと、社員一人ひとりがそれぞれに、社長のデスクの前で直立し、改めて挨拶をします。またそれに対して社長も、姿勢を正し、時には自らも直立して応えるのです。こんな光景が通常では七時ごろまで見られるのです。

 上下関係を超越して、同じ目的と同じ目標に向かう者同士の真心の交流の場と言っても過言ではない姿です。すなわち、そこには命令的でも義務的でもない、社員は社長に対して尊敬と感謝の心を込め、社長も社員に対して日々の仕事への感謝や労いと激励の心を込めた、「ほんものの挨拶」の実践があるのです。

 そのゆえK社の職場には、ただ単に元気で活気溢れる、明るい雰囲気というだけではなく、快い緊張感と、組織の要である正しい上下関係も自然と確立されています。   
このように、「あいさつ」という、きわめて日常的な実践一つを見ても、ただ習慣的・行儀作法的に行なっているだけでは、その意義と効果は半減してしまいます。私たちは実践に取り組む場合にはつねに、その目的や意味合いを十分に考え、「意識的に実践する」ことが大切なのです。

「企業の器は社長の器」と言われます。それは、経営者の人柄や人格のレベルがその企業のレベルであり、社風の良し悪しもまた、経営者と社員のレベルを表しているということです。経営者は今日、経営環境が厳しい時代だからこそ、「実践のレベル向上」のために精進を重ね、社風の向上と企業体質の強化に努めていく必要があると言わなければなりません。

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