2008/04/25

今週の倫理 (556号)より 後始末に徹すれば人生に残すものなし

昨今、テレビやマスコミにおいて、不祥事を起こした企業が大々的にクローズアップされることが多くなっています。

企業のトップである経営者や経営陣が記者会見をし、平身低頭しながら謝罪するシーンを目にするたびに、「この企業は再生できる」「ここはもうダメだ」と、大抵の人は予測ができるのではないでしょうか。

 それは、謝罪シーンにおける経営者や経営陣の頭の下げ方や責任の負い方、言葉の使い方などに差があるからです。
 頭を下げてはいても、本心からの下げ方でなければ、その姿勢はすぐ見破られますし、言葉の一つひとつに責任回避や責任転嫁と取られるような表現が随所に見られると、心の内はすぐに暴かれてしまいます。
 このように生死の境目となる大難大変(ピンチ)に陥った時、その人物の持ちあわせている器の全てが露呈するのです。

 昔から日本には「立つ鳥跡を濁さず」「有終の美を飾る」「終わりよければすべてよし」など、物事の締めくくりの肝要さを述べた諺が多くあります。この後始末の仕方で、栄光から挫折へと転落する経営者もいれば、挫折から這い上がって栄光をつかむ経営者もいるのです。

 後始末というと「物の後始末」をイメージしますが、とくに金銭の後始末が非常に難しいといわれます。
 太平洋戦争中、連合艦隊司令長官の任にあった山本五十六元帥は、幼少の頃より非常に頭が良く、小学校での成績は常に首席でした。しかし、家庭には中学に進学させるだけの経済的な余裕がなく、進学を断念せざるを得ないと思われた時、担任の教師から「旧長岡藩の設けた学費の貸与制度を活用してはどうか」との誘いがあったことで、山本元帥に進学の道が開けました。その後、海軍大学を優秀な成績で卒業し、海軍少尉に任官することとなったのです。

 任官以降、山本元帥は、初任給から毎月一度も滞ることなく長岡社に返金をしました。さらに、元金はとっくに完済していたにもかかわらず、戦死するまで毎月のように戦場から資金を送り続けたといいます。
元帥のように、借りた金銭を返すことは当然のこととはいえ、現代社会においては金銭の後始末を軽視しているケースが多々見られます。

後始末ができていない人の性格的特徴として、①心配性②決断力がない③約束を守れない④落ち着きがない⑤計画性がない⑥金使いが荒い⑦物を落としたり失くす⑧服装がだらしない、などが挙げられます。これらを克服するよう自身が意識することが、確実な後始末にも通ずるでしょう。

 後始末にも様々ありますが、人間としての最後の後始末は「晩年」という人生の後始末です。齢を重ねれば重ねるほど、無欲になって生命力が高まり、体から太陽のような光と温もりを放つ人もいれば、欲得にかられ表情が貧相で輝きを失い、生命が枯渇していく人もいます。

 人生最後にふさわしい晩年を迎えられるよう、日頃からやり残しや積み残しのない、爽やかな生き方をしていきたいものです。

2008/04/22

4月22日 モーニングセミナー 「地球温暖化対策と地域主権」


本日の講話は、阿部守一氏(横浜市副市長)です。

地球温暖化の現状と、これまでの横浜市の取り組みをお話しされました。

象徴的だったのは、「成長の限界」という書籍の中の引用でした。

水蓮は、成長が早く毎日2倍の速さで成長する。
この水蓮がどんどん成長していくと、30日で池を完全に覆ってしまう。
蓮で池がすべて覆われてしまうと、水の中のほかの生物を窒息させてしまうので、
なんとかしなくてはならないが、25日までたってもその兆候は3パーセントでしかない。

そして、気がつくのは29日目。
水蓮はほんの小さなものだったのに、この池を救うのにはたった1日しか残されていない。

この状況になる前に、手を打たなければいけない。

環境対策こそが必要とされる21世紀型社会システム作り。というお話でした。

2008/04/18

今週の倫理 (555号)より 閉塞に満ちた日常を感謝の心で打ち払う

現代日本を「うつの時代」と評することがあります。うつ病の総患者数と入院患者数を足した総患者数は、一〇〇万人を超えているという報告もあります。

 経営者Aさんは、仕事が順調になるに従い、妻をないがしろにして飲み歩き、わがまま放題の生活を送るようになりました。そんな自己中心な生活が精神のバランスにまで及び、仕事はままならなくなり、人間嫌いに陥ったのです。ついには「うつ病」と診断され、何をする気になれず、〈もう死んでしまおう〉〈このままでは妻に逃げられてしまう〉といったマイナスイメージだけが心の中を占めるようになりました。

 ちょうどその頃、友人から「倫理」の存在を教えられ、これまでの生活の間違いを振り返るよい機会を得ました。〈ああ、これまでどれほど妻にわがままを言い、苦労をかけてきたことだろう〉と、結婚以来初めて妻の身に立ち、妻の本当の幸せを思い浮かべるようになりました。妻と心が通い合い始めると共に、不思議と仕事を含めた様々なことが順調になり、今では病を患ったことが嘘のように完治しています。

 うつ病とは、心が病んで、本来の力が出せなくなりますが、どうしてそのような状態に陥るのでしょうか?
『万人幸福の栞』に「病気の原因になっている心のまちがいは、生活(家庭や仕事)の暗影(不自然さ)が、自分の肉体に赤信号としてあらわれている」とあります。うつ病の原因の一つに、Aさんのように自分のわがままで相手(妻など)を責め嫌うことにより、人との接し方や人からのアプローチに対する受け止め方がヘタになることがあります。

何事でも「そのまま」に受けることは、自己の力をおおいに出す秘訣ですが、苦手や嫌いなどの理由で相手を避け、その人のことを差し引いて受け止めると、それに比例して持てる力も差し引かれ、それが心のモヤモヤ感を呼ぶのです。

 そして、もう一つのうつの要因として考えられることに、自己が「その時その場」に立って(合って)いないことが挙げられます。私たち一個の人間は、同一人物でありながら、社長役、夫役、子供役、幹事役等々、さまざまに立場を変えて日々生活を送っています。  

 与えられたその時々の立場を自覚し、配役にすなおになって行動するとき、その場にフィットした力が出せます。しかし逆に、立場を忘れたり、間違った配役を演じるとき、それは自己を見失った状況といえ、力が十分に出せない状態です。その状態が繰り返されると、心を病んでしまうことにもつながります。

 現代において、うつを他人事と捉えるだけでは惜しいと言わざるを得ません。うつと診断されないまでも、自己の持てる力を出し切れず、〈何か閉塞しているな〉と感じる時は、そこに受け止め方のまずさや立場の不自覚がないかを振り返ってみましょう。

閉塞感を打破するためのキーワードは、ズバリ「感謝」です。目の前の人や遭遇する事柄に対し、すなおに感謝できる人こそが自己の持てる力を最大限に発揮できるのです。「世の中、ありがたいなー」「嬉しいな、自分は」と深く思う心があるとき、モヤモヤ・イライラはきれいに吹き飛び、透明で爽快な視界が目の前に拓けるでしょう。

2008/04/15

4月15日 モーニングセミナー 「愛和は繁栄のもと」


本日は能野恵美子(社団法人倫理研究所法人局参事)さまの講話です。

倫理の基本は、「明朗」「愛和」「喜働」です。
なかでも「愛和」はすべての繁栄のもとであり、一切の幸福を生むといいます。

倫理原点154ページを読むように。とお話しされていたので、以下に引用します。

よくないから愛する

愛することができない。それはなぜであろう。愛は無条件である。盲目ともいえよう。
良いから愛するのではない、良ければ愛する必要もない。良くないから、愛するのである。
唯一なるがゆえに、天上天下、取り替えるものがないから愛するのである。
愛せずにはいられないのである。(以下、略)

この他にも、長い倫理活動から含蓄のあるお言葉をいただきました。

倫理は病気を治すものではない。心の改善を促すもの。病気は医者にかかるもの。
苦難は生活の赤信号であり、倫理がこれを取り去ってくれるものではない。
しかしながら、苦難と立ち向かって心向きを直すことで自ずと道が開けてくる。

こうした倫理への誤解もわかりやすくお話しいただきました。

2008/04/11

今週の倫理 (554号)より 環境に適応した者が強く生き残る

企業淘汰の激しい時代、経営者の中には「戦う」という言葉を使って、現状の厳しさを表現する方々がいます。「この業界は厳しい戦いを余儀なくされている」「戦いに勝ち続けるために、他社の二倍は営業に廻れ」などです。

 ここで疑問に思うことは、「戦う」とは、いったい何と戦っているのであろうか、相手は誰かということです。

 経営者は、ライバル企業や、原材料の値上げや金利、人の問題など、自社を取り巻く環境と戦い続けています。一方、経営者の中には、経験則や知識見識から「経営とは環境に適応することである」と表現する人もいます。「戦う」と「適応」では、大きく意識は違います。共に環境を意識してはいても、前者と後者では環境に対する受け止め方に違いがあります。一方は対立し、一方は受容するのですから、意識の方向性が正反対といえましょう。

純粋倫理という心の生活法則(心のあり方)を学ぶ者の立場は、環境を受容し、自身の実践をもって変化させることにより、自社を環境に適応するよう変化させるスタンスです。「戦う」と「適応」のどちらの道を選択するかは各人が判断すればよいことですが、いずれの立場を選択しようと、環境は常に変化し続け、結果として、生き残る者とそうでない者に分かれるのが自然の法則です。

意識の違いは、環境に対する対処法のプロセスの違いとなり、結果の違いにも影響を及ぼします。

進化論を唱えたダーウィンは、「強いものが生き残るのではない。優れたものが生き残るのではない。環境に適応したものだけが生き残るのである」と言いました。真に環境に適応しようとする経営者は、自分や自社を取り巻く環境を、自分や自社を更にレベルアップさせるための「情報」と謙虚に受け止めて、環境に適応するための自分づくりに取り組む人です。

環境は情報なのです。自分を取り巻く環境が厳しければ厳しい時ほど、自分を変化させるチャンスであると捉えましょう。倫理研究所の創始者である丸山敏雄は、苦境が自分を取り巻く理由を、

一、赤信号としての苦難

二、自己向上の足場としての苦難

三、美としての苦難

と喝破しました。

「赤信号」とは、怠惰な心の状態を教えてくれ、そこで立ち止まり、方向転換をせよという情報の意味。

「自己向上の足場」とは、目標を決めてチャレンジする者には、どこを変化させればもうワンランク上がれるかを教えてくれる情報という意味。

「美」とは、苦しい状況を嫌がらず、真正面から取り組んだとき、環境に適応できる自分ができるという意味。

これがよいと現状を率直に受容した時、解決手段が見えてきます。苦しい状況があるからこそ、幸せがクローズアップされるのです。経営者は、現状がどのような苦境にあろうとこれを嫌がらず、自らをよりよく変えるチャンスと、いよいよ希望に燃えていく素直さを涵養したいものです。

2008/04/04

今週の倫理 (553号)より 自己責任の意識が事態を好転させる

釣好きのN社長が初めて遊漁船F丸に乗船した時のことです。最初のポイントに着き、さっそく釣りを始めましたが、まったく当たりがありません。 船長はポイントを次々と移動しましたが、やはり結果は同じです。そこで船長は最初のポイントに船を戻しました。

ところが、そのポイントには他の遊漁船が数隻入っており、割り込むスペースはありません。しかも次々と魚が釣れているではありませんか。

結局その日はたいした釣果もなく、納竿の時間となりました。N社長は忙しい中でようやく取れた休みだっただけに、残念でなりません。「船長が最初のポイントでもう少し粘っていてくれたらなあ」と、つい船長への不満が生じた時のことです。船長が突然マイクで釣り客に詫び始めたのです。

「皆さん、今日は本当に申し訳ありませんでした。最初のポイントでもう少し粘ればよかったのですが、私の完全な判断ミスです。お土産を用意しておきましたので、今日はこれで勘弁してください」
釣りはその日の潮温、潮の流れなどの気象条件で釣果が大きく左右されます。釣り客はこのことを周知していますから、釣れなくても皆納得するのですが、今回のように船長が自らの判断ミスを詫びるというケースは稀といっていいでしょう。N社長は船長の責任感の強さにすっかり惚れ込んでしまい、以来その遊漁船の常連となってしまいました。

家庭生活においても仕事の面でも何か困った問題が生じると、ついその原因や責任を他に転嫁してしまいがちです。
子供に何か困ったことが生じると、夫は妻に「子供のことはお前に任せてあっただろう。お前が甘やかせてばかりいるから」と妻を責めます。妻は夫に「何もかも私に押し付けて、あなたは何もしてくれないじゃない」と夫を責めます。

社員の定着率が悪いと「俺がせっかくここまで育ててやったのに、この恩知らずが!」と社員を責めます。
なぜこうなるか。「自分は精一杯努力をしている。自分は悪くない。すべて原因は相手にある」という心の状態に他なりません。そしてその心の奥には、「人にとやかく言われたくない」「傷つきたくない」などの自分自身を擁護し、甘やかす思いが潜んでいると言えるでしょう。

「君に任せてばかりで悪かった。これからは私も子供に心を向けるようにしていくよ」「私も不足不満ばかりでごめんなさい。これからはもっとすなおな気持ちであなたに相談していきます」「辞めた社員が悪くはない。経営者として自分が至らぬからこそ辞めていったんだ。本当に申し訳ない」こんな心になれた時に事態は好転していくのです。

問題が生じるということは、そこには様々な原因があります。しかし最終的には「自分の周囲に起きたことは己の反映であり、己が向上するチャンスである」と受け止めて善処していきましょう。そこには必ずや明るい舞台が用意されているのです。

2008/04/01

4月1日 モーニングセミナー 会員スピーチ「父母を語る」

本日のMSは、「父母を語る」の2回目です。



樺太生まれの三橋氏の父親は勉強熱心な樺太師範学校の教師をしていました。

ロシア語をはじめとして数カ国語に通じており、良書を原典で読む楽しさを教えてくれたと言います。

また、「人は裏切るが、学問は裏切らない。」と、若き日の三橋氏に学問やバイオリンなどを勧めてくれたそうです。

当時はあまり興味のわかなかったモノばかりでしたが、こうした親の教育による素地があって、いまでは胡弓やバイオリン、チェロなどを楽しむようになり、今は亡き父親を思う氏でした。

横浜貿易株式会社

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花形氏は、世界チャンピオンの花形進の長男で、物心ついたときから「世界チャンプの子供だから。。」と重荷になることを言われることが多く、わかってもらえない苦労をしたといいます。

しかしいまでは父親からジムの経営を学び、倫理法人会で倫理経営を学び、トイレ掃除などを自ら率先して行うなど実践している毎日です。

花形ボクシングジム

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本日は新入会者がありました。

2008/03/28

今週の倫理 (552号)より 「活力朝礼」でヤル気集団になる

経営不振、倒産の危機に陥っている企業を見ると、その原因の根っこの部分は共通しています。赤字が続き、不良債権を抱え、借入金が減らないという三重苦に悩んでいるのです。このような事態を解決できるのは、トップである社長以外にはありません。社員の心に火をつけ、やる気を引き出し、社内を明るく一変させていくことです

現在の社風や企業風土を生まれ変わらせる一助として、「活力朝礼」の導入をお勧めします。すでにお手元に届いている『倫理ネットワーク』№71号の「今こそ本気! 活力朝礼で己を変える」を参考に推進するとよいでしょう。

朝礼には、企業の社風、社員の質などが表われます。まさに朝礼は企業の縮図といえるのです。職場朝礼を活力あるものに創造することでヤル気集団が生まれてきます。

 A社では来店されるお客様に、明るい元気な挨拶をまったく行なっていませんでした。しかし「活力朝礼」を徹底するようになって以来、挨拶・返事・笑顔の基本トレーニングの成果がすぐに出てきました。お客様が玄関を入ると、受付係が「いらっしゃいませ」と明るく笑顔で迎えます。懇切丁寧な対応は社内の随所で見られるようになり、お客様に喜ばれる会社に変わっていったことは言うまでもありません。

 お客様にとっては、たった一度の挨拶なのです。応対する社員の誠実な挨拶だけが、お客様の心に刻み込まれるのです。「本気」の挨拶・返事だけが社内の空気を変えることができるのです。
笑顔一つ毎朝の朝礼でトレーニングできない人が、お客様の前で実践できるはずがありません。とくに朝の

「おはようございます」という明るい挨拶がまともにできない会社では、大きな発展は望めません。朝一番の挨拶は活力の交換なのです。そこから活気に満ちた一日がスタートします。
朝礼は貴重な人材育成の場ともなります。「継続は力なり」の心で続けていくところに、本当の力が身についてきます。毎日続ける朝礼だからこそ、やり方次第で社員は急加速で成長し、伸びていきます。
B社では、職場の人間関係がギクシャクして、売り上げも上がらず、倒産の危機も囁かれましたが、「活力朝礼」の実践によって見事に立ち直り、社会が必要とする会社として健全な繁栄を実現しています。朝礼で、社是・社訓・実践の心得を全員で明るく大きな声で唱和し、広く社会にとって有用な存在になることを目指したのです。

「わが社をすばらしい会社にしよう」という目標に向かって、社是・社訓を唱和する中で職場の連帯感は生まれ、「ヤル気」集団となっていきます。朝礼を通して、経営理念や行動指針などの価値観の共有化を図ることが肝要です。職場の一員として、どのような局面に立たされても、常にお客さまの立場に立つことを最優先に考え、それぞれが個性を活かし、イキイキと働くことができるかどうか。そこに社の未来がかかっています。
当たり前のことをやり続けるところに、大きな意味があります。朝礼も仕事の一貫と捉え、活力朝礼に磨きをかけて、日本一の会社を目指していきましょう。

2008/03/25

3月18日 モーニングセミナー 「車作り(英国車)の精神を通して」


本日のモーニングセミナー講師は、日本ロールス・ロイス&ベントレーオーナーズクラブ会長の和田篤泰さん。

クルマ好きの会員が多いせいか、ゲストを含めて37社38名の出席と近年稀に見る高出席率のMSでした。

講演の内容は、クルマ談義に終始するかと思いきや日本人と英国人の国民性を比較したお話が多く、人とクルマの関わりという切り口から、日本人はもっと精神的に豊かにならないといけないんじゃないだろうかということを改めて気づかせていただくことができました。

自分の価値基準でクルマを選び、多少の欠点は「あばたもエクボ」と気にせず、愛情を注ぎ込む英国人と
カタログデータやら使い勝手の良さでクルマを選び、数年経てばドンドン新車に買い換えていく日本人という
国民性の違いもあるが、自分たちオーナーズクラブのメンバーは、1台1台丁寧に作り上げられた英国車を
「先人の築き上げた遺産」として次の世代に受け継いでいかなければならないと思っているとのことでした。
このこだわりというものが人間の深みを増していくことにもつながっているんだろ~なと思いました。

また、ロールス・ロイスという特別な車で注目される存在であることから、交通安全や町おこしなど地域に
人を呼び込むイベントに参加しながら、地域社会に貢献していく活動もされているとのことでした。

ライオンズクラブに永年在籍しながら様々な活動をされている中で、モーニングセミナーという勉強会スタイルを過分にお褒めいただき、「実るほど頭をたれる稲穂かな」という大変謙虚なお人柄に皆が魅了されていました。


朝食終了後には、ホテル前に止めていた100年近く前のロールス・ロイスを惜しげもなく会員の試乗会に解放していただき、試乗を希望した参加者全員を乗せてホテル周辺を一周していただきました。

何となく「ロールス・ロイス」というと敷居が高く取っ付きにくい印象ばかりだったのですが、その敷居を自然体で下げて招き入れてくれる和田会長のお人柄に参加者の皆さんが感動し、清々しい朝を過ごし気持ちの良い一日のスタートを切ることができました。

2008/03/21

今週の倫理 (551号)より 錯覚の愛情

 私たちの多くは「愛情がすべてを救う」と信じてきましたし、それが家族の絆であると思ってきました。ところがここ数年、愛情豊かなはずの親に育てられた子どもたちが起こす問題は、この常識に警鐘を鳴らしています。これまで「子どものため」「欲しがる物を与える」などの行為を愛情だと思ってきたものが、はたして正しかったのか、錯覚ではなかったのか。私たちは強い反省をするべきではないでしょうか。

 T社長は、一人息子のS夫に、愛情をいっぱい注いできたつもりでした。暇をみては遊んでやり、欲しがるものは何でも買い与えました。これに答える形で、S夫は明るく伸び伸びと成長し、成績はいつも上位でした。ところが高校二年生になって間もなく、学校からの帰りが遅くなりはじめ、ついで遅刻や欠席が目立つようになりました。当然のごとく成績は落ち、学校から呼び出しを受けるようになったのです。

 そこでT社長はS夫と話し合いましたが、結局「バイクを買ってくれたら早く帰る」との約束で終わりました。しかしS夫の生活が改まったのは、せいぜい半月ぐらいでした。元の木阿弥どころか、バイクを通してさらに悪化していったのです。T社長は、今度こそは体罰も辞さずの心境で、帰りを待ちました。ところがS夫の顔を見ると、〈家出されたら〉という不安が先にたち、厳しい言葉など何も出てきません。

 倫理法人会のセミナーに参加した折り、講師に自分の不甲斐なさを相談しました。講師は「息子への愛情の錯覚は、自らの父親への不満の裏返しです。貴方は十五、六歳頃に、お父さんを激しく恨んだことがあるはずです。そのために、その年頃になった息子に、父親としての自分を示せないのです」と指摘されました。

 確かにT社長は、高校卒業後の進路について父と激しく衝突し、父の「今日限りで勘当だ」との声を背に、家出同然に上京しました。苦学を重ねて大学を卒業し、日夜働いてお金を貯め、現在の会社を設立したのです。やがて経営も順調となり、父親より十数年ぶりに勘当が解かれ再会できたものの、胸の奥のしこりは残ったままでした。

 T社長は帰郷し、年老いた父の前に座り、恨んでいたことを詫びました。父親は「勘当せずには、上京を受け入れられなかったし、また背水の陣で頑張ってほしいという願いもあった」と話してくれたのです。母親からも、「父さんは毎日仏壇の前で、あんたの無事を祈っていた」と聞き、やっと親の愛を自覚することができたのです。

 早速T社長は、S夫に親としての毅然とした態度を示しました。以来S夫中心だった家庭が、夫婦中心へと変わったのでした。それからのS夫は、生活姿勢もすっかり改まり、無事に高校・大学を経て、父親の会社で元気に働くようになったのでした。

 私たちはともすれば、自らが親に求めて得られなかったことを、自分の子どもに施すことが愛情であると錯覚しがちではないでしょうか。親への感謝なくして、「優しさは甘やかし」となり、「厳しさは押しつけ」にさえ子どもには映ることでしょう。子どもに対する愛情は、自らの親への恩意識をもってはじめて伝わるものなのです。

2008/03/14

今週の倫理 (550号)より 目や耳を磨かなければチャンスは逃げていく

 経営コンサルタントの中村氏が駆け出しの頃、関西のとある料亭に頼まれて社員研修に出向いた時のことです。
 料亭の社長をはじめ二十数名の社員を前に、中村氏は「人はどう生きねばならないか」について、声を大にして話を進めていました。話の半ばあたりで、黒衣を身にまとった小柄な老僧が静かに部屋に入ってきて、末席に座りました。一瞬、中村氏は老僧に目を奪われたものの、前にも倍して声を張り上げて話を続けました。

 話が終わった後、後方にいた老僧が「そこの若い人、ちょっと…」と言って、手招きをします。中村氏が「何かご用ですか」と問うと、「若いの、元気があっていい。気に入った」と言葉をかけ、「何か一筆書いてやろう」と言うのです。氏は、どこの誰だかも分からない老僧の書など欲しくもないので、「お気持ちだけで結構です」と断わったところ、料亭の女将が「先生、書いていただきなさい。老師はめったに自分からお書きにならないのですから」と言います。結局、墨と筆が用意され、三枚の条幅を書いてもらいました。

 中村氏はその後、中国地方から九州にかけて一週間ほどの旅が続いたため、三枚の条幅が邪魔で邪魔でたまりません。そのため書画・骨董の好きな知り合いの社長をつかまえて、この三枚の書を押しつけるようにして渡しました。以後、この老僧のことも書のことも、すっかり忘れていたのです。

 ある日のこと、中村氏は『白隠禅師和讃』の一文を調べなければならぬ用が起き、神田古書街で三冊の本を求めました。その本に目を通していた時のことです。著者の顔写真の頁に、どこかで出会ったような人物が載っているのです。氏の記憶が徐々に甦ってきました。関西の料亭で出会った黒衣の老師です。初対面にもかかわらず声をかけ、三枚の書をくださった老師です。一気に本を読み、著者の経歴を確認すると、まさに唸るような高名な人物ではありませんか。

 手放した三枚の条幅が頭の中をグルグルとめぐり、中村氏はかの料亭の女将に電話を入れました。「老師が今度お越しになられた時、わがままを申し上げますが、一枚お書きいただけないかとお願いしてください」と。しかしその後、中村氏のもとに老師の書が届けられることはありませんでした。

 人は同じものを見ても、同じ話を聞いても、同じものに触れても、それを見た人、聞いた人、触れた人によって、大きな差が生じるものです。見たものの本質が見えない人、聞いてもその奥に潜むものが聞こえない人、触れても何も感ずることのできない人…。

「自分は生まれた星まわりが悪く、今までの人生を振り返っても良いことは一つもなかった」と嘆く人がいます。本当に運が悪かったのでしょうか。山ほどのチャンスがこれでもかこれでもかと押し寄せているにもかかわらず、チャンスをチャンスと見る目がないために、自分の手で伸びる芽を摘んでしまっていたのではないでしょうか。

 もっともっと目や耳を磨かねばなりません。そのためにも、ふんわりと柔らかで何のこだわりも不足もない澄み切った心を持ち、日々自分と正面から向き合い、人間力を高めていきましょう。そして身の回りにある多くのチャンスをものにしていこうではありませんか。

2008/03/07

今週の倫理 (549号)より トップの二つの目

 景気が好転してきたとはいえ中小企業にとっては、厳しい状況が続いています。そのような中、ここ数年、企業の品格を問われる不祥事は枚挙に暇がありません。

企業は利益を上げなければ生き残ってはいけませんが、品格を失くした経営が、様々な弊害を及ぼし問題となっているのです。今企業は、利潤を追求すること、品格を高めていくことを併せ持ちながら、いかに永続的に繁栄していくかが問われています。

 では、企業が品格を劣化させてしまうのはどのようなときでしょうか。創業時は、しっかりとした経営理念があっても、事業が軌道に乗り、成功を重ねていくうちに傲慢な心が頭をもたげ、次第に志が失われていくケース。或いは、事業が窮地に追い込まれ、苦し紛れに道を外れていくケース。企業が目指すべき指針を見失い、利益を上げることのみが目的となってしまったり、間違いがあっても指摘できない「なれあい集団」に陥ってしまえば、品格はたちどころに地に落ち、その組織に明るい未来はなくなってしまうでしょう。

これらは、神ならぬ人間であれば陥りがちなことです。だからこそ経営者は、眼前のどのような状況にも「ぶれない心」を練り上げていくことが肝要なのです。それにはまず、経営者自身の志に裏打ちされた「我社が目指すものは何か=経営理念」を明確にすることが大切です。そして順境のときも逆境のときも、原点に帰るのを忘れずにいることでしょう。

大丸の創業者・下村彦右衛門は事業理念に、「先義而後利者栄」を掲げました。荀子の栄辱編の中にある「義を先にして利を後にする者は栄える」から引用したもので、「企業の利益は、まずお客様・社会への義を尊び、信頼を得て、はじめてもたらされる」という意味です。「世のため人のために」を企業の品格の根幹としているのです。それが組織の中に浸透していけば、その精神は社会にも社員の心にも響くでしょう。社会からの信頼は、働く人たちの働き甲斐や誇りを支えるのです。

 こうした企業としてのあるべき方向性を見つめる目をしっかりと持ち、経営者の「ぶれない心」をはぐくむには、もう一つの目が必要になります。それは自分を見つめる目、すなわち自己客観力を高めていくことです。創始者・丸山敏雄は、己を客観的に見る法を次のように説きました。

たとえ苦しみの原因はわからなくても、平気で楽しんで―といっても、なかなかむずかしい事が多いが―これを迎える心でいると、間もなく苦痛は消えてしまう、夕立の晴れるように。といっても苦痛は、なかなか喜べるものではない。それは、自分本位であり、己にとらわれているからである。苦痛のただ中にとざされた時は、その中からぬけ出して、外から自分の姿を心を、静かに眺めてみるがよい。
(『人類の朝光』六~七頁)
 
予断を許さない経済状況が続く中で、「企業が進むべき方向を見つめる目」、そして「自身を客観する目」、この二つの目に磨きをかけつつ、あらゆる物事を「これがよい」と受けきっていくとき、活路を拓く入り口に立つことが出来るのではないでしょうか。