2009年2月6日金曜日

今週の倫理 (598号)より プロとアマの違いは準備に対する姿勢

世間では、「新型インフルエンザ」が流行するのではないかという予想がなされ、街を歩く人々の姿も、例年以上にマスクをした姿が目立ちます。見えない病原菌に対する準備として、多くの人が危機意識を持って、準備をしている様子が伝わってきます。

さて、私たちは物事に取り組む時、その「準備」を行ないます。しかし、多くの場合、この「準備」は、その物事にとって実質的に必要なことを整えているに過ぎないのではないでしょうか。
例えば、新規事業のプレゼンテーションを行なうのに、資料のコピーや、発表用の原稿作成を抜かりなく行なう。週末のゴルフコンペに向けて、道具の手入れやコースの状態を確認する。皆さんにも経験のあることだと思います。

しかし、物事に臨む時の「準備」とはこの程度のもので良いのでしょうか。
高知商業高校から明治大学を経て、読売ジャイアンツと西武ライオンズでリリーフ投手として活躍した鹿取義隆氏は、その著書『救援力』(ベースボールマガジン社)の中で「準備」について次のように記しています。

 リリーフ投手は、試合では1球で勝負が終わるときもありますが、その1球のために、キャンプで2000球を投げ込み、シーズンへ入っていきます。ペナントレースの大事な場面、1球ですべてが変わってしまうような状況で自信を持って投げるために、2000球の積み重ねがあるのです。

「どれだけやればいいのか」「何を用意しなければならないのか」その全体像が予想できない、先行きの見えない状況で行なう「準備」では、実質的な面よりも、心の面が重要であることが伺えます。

 米国発の大不況が日本を脅かし、今までのやり方では通用しないといわれる最近の状況では、実質的な「準備」もさることながら、心の「準備」も怠ることなく完全にすべき時といえるでしょう。

 倫理研究所の創設者、丸山敏雄も『万人幸福の栞』の中で「練習するということは、その仕事なり、競技なりに慣れて間違いのないようにするのが、その形から見たところで、その実は、信念をつけるのである。きっと出来るぞ、きっとやるぞ、と動かぬ信念がその事を成就させる。」と、物事に臨むにあたり、心の準備が重要であることを説いています。

 毎日の仕事や私生活、要するに私たちの人生は、明日、いや一時間後どうなっているか分からない、全体像が全く見えないものの代表格といえます。いつピンチになり、いつチャンスが巡って来るか、全く予想が立ちません。

 だからこそ、その「準備」は毎日行なわなければなりません。「今日は出番がなさそうだ」では、物心両面において準備不足となり、一度や二度は持てる能力で誤魔化しが利いても、そう何回も上手くは運ばないでしょう。

 日々の生活に、折り目けじめをしっかりとつけて、常に心を準備万端の状態にしておきましょう。

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