軍事用語に「攻撃の限界点」という言葉があります。これは、クラウゼヴィッツの『戦争論』において提唱された言葉で、文字通り、軍隊という組織の攻撃能力の限界をいいます。もし、戦いにおいてこの限界点を見誤り、超えてしまうと、それまでの優劣が逆転することにもなります。
『道徳という土なくして経済の花は咲かず』(祥伝社)の著者である日下公人氏は、同書において、限界点を越えてしまう前兆の第一に「まだまだやれる」と思っていること、第二に、追い詰められた敵が新兵器や新戦法を繰り出してきてもそれに対して「鈍感」になっていること、第三の前兆として、自分の弱点を指摘されたときに怒ること(同書二十二頁)と述べています。
経営においても、攻めれば攻めるほど状況が悪くなる場合は、限界点を超えてしまっていることを考える必要があるでしょう。それは、攻めるだけの組織の「地力」がないということです。限界点を決定するポイントとなる地力を見直し、強化する必要があります。
戦争の場合、攻撃力が減衰する原因としては、戦闘による損耗、後方連絡線の維持と防衛の負担、兵站基地との距離の増大などが挙げられます。企業組織では、商品開発力、資金力、人材等にあたるでしょう。企業活動を下支えする組織の地力はさまざまに考えられますが、倫理経営の視点ではその中に「家庭」という独特の要素を加えます。家庭は、心の兵站基地と捉えるからです。
例えば、社長が玄関から会社に入る第一声である「おはよう」の挨拶。この社長の第一声を社員は見逃しません。なぜなら、それがその日一日の社内の空気を決め、自分たちの仕事の成否を決定づけるからです。社員は、社長の声色、表情、足音など、どんな些細な仕草からも社長の機嫌を読み取ります。この社長の機嫌が端的に示される「おはよう」は、元々はどこが発信源なのでしょう?
間違いなく、家を出る際の「行ってきます」にほかなりません。その時の心境が仕事にも影響を及ぼすのです。
倫理経営の視点では、新たな顧客・仕事・利益を生み出すことに、「経営者夫婦の心の一致」が深く関わっていると見ます。物事は、陰陽の対立と合一を経て生成に至りますが、企業経営におけるその雛形を経営者夫婦の「心のありよう」に見るからです。
また、経営者の親子関係が、上下関係の構えの原点ともなり、社員への対応に反映するという見方もするのです。
企業の攻撃の限界点を引き上げる地力とは、結局は経営者の心の地力だと言えます。心の中の本音がズバリ露呈するのが家庭なのです。
もちろん、家庭は憩いの場であり、四六時中肩肘を張る必要はありません。また、家族サービスだけを行なって経営が好転するわけでもありません。大切なことは、生命と生活の基地である家庭との精神的つながりを強化し、その意識の質を高めて仕事にあたるということです。
具体的な実践は十人十色、工夫によって無限に展開できるでしょう。
過信と誤信を信念と勘違いして蛮勇を奮うことなく、問題から目をそむけて問題を取り繕うことなく、攻めを継続しつつ無限の見えざる底力を磨き続けたいものです。限界点なき無敵の攻撃隊を目指して…。
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