夏の終わりのこと、T氏は定期健診で胃に影が見つかりました。夫人と二人で精密検査の結果を聞くと「末期の胃癌により、余命四ヶ月」と宣告されました。氏は仕事を整理して、闘病に専念することにしました。それからT氏が亡くなるまでの歳月は、夫婦二人が歩んだ道を振り返る日々となったのです。
T氏は戦災孤児で、親の名も知らずに育ちました。氏が結婚を意識する年齢となり、何回かのお見合いの後、最後に言われたのが「どこの馬の骨ともわからぬ奴に、娘はやれない」との言葉でした。お見合いの失敗を七回繰り返した後に、氏は親友の熱心な紹介によって夫人との縁を得ました。
後年の体験報告の中で、「『嫁にもらってやった』という言葉がありますが、私のもとには誰もお嫁に来てくれませんでした。ですから、私は妻を『お嫁にきていただいた』という気持ちで迎えました」と氏は語っています。
守るべき家族を得たことを機に、T氏は以前にも増して懸命に働き、同時に家事にも積極的に取り組みました。妻の負担を少しでも軽くしたいと願ったからです。
結婚して一年後には子宝に恵まれ、小学生になると子供たちに家事の手伝いをさせました。月末になると毎月のように「お母さんをいつも助けてくれてありがとう」と子供たちに丁寧に御礼を述べてから、お小遣いをわたしたと言います。
氏は目覚めるとまず、隣に妻がいることを確認します。「よかった。今日も自分のもとにいてくれた」と感謝して一日が始まります。仕事を終えてからの帰路、家の灯りが見えると、「自分には家族がいるのだ」とたまらなく嬉しくなり、足取りが軽くなります。夕飯は努めて家族と共にして、団欒を楽しみました。病気の時以外は夫婦で一組の布団で休み、眠りにつくまで語らいました。
やがて子供たちは成人式を迎え、そして結婚。孫も授かり、その伴侶と合わせて家族が再び増え始めました。そしてガンの宣告…。
それからの日々は、仕事に子育てにと毎日が忙しかった夫婦にとって、最も穏やかな日々となったのです。親友や恩人のもとへ挨拶に赴き、二人の思い出の地を巡りました。
そして迎えた最期の朝、氏は力を振り絞り、「貴女と結婚できてから、僕の人生は毎日が最高だった。僕のもとにお嫁にきてくれて、本当にありがとう」と最愛の妻に感謝の言葉を伝えて旅立っていきました。
数日後、夫人は告別式の出棺の折、次のように述べました。
「六十一年の人生、お疲れ様でした。子供たちも立派に成長しました。安心して、ゆっくり休んでください。貴方にお嫁にもらっていただいてからの三十五年間、私は幸せでした。ありがとうございました」
縁あって出逢い、永遠の愛を誓って始まったのが夫婦生活です。たった一人の妻を、夫を愛し続ける。これに勝る夫婦愛和の実践はありません。「恵まれたから感謝する」のではなく、「感謝するから恵まれる」のです。
〈世界中でただ一人選んでいただいた、結婚していただいた〉という謙虚な気持ちを生涯見失うことなく、夫婦道(どう)を一歩一歩踏みしめていく人生を送りたいものです。
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